「救癩」という言葉に込められた<欺瞞>もまた世間の目を巧妙に欺く役割を果たした。藤野氏は次のように述べる。
光田が欧米のキリスト教宣教師たちの「救癩」という考え方に強い影響を受けたと指摘するのは、「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟西日本弁護団共同代表である徳田靖之氏である。
この光田の考えを「外の差別から守るため」と「隔離政策」を善意から解釈して擁護する吉崎一氏のような研究者もいるが、患者の何人が「希望している」だろうか。外で差別を受けるよりも「宗教的慰安や娯楽」の設備のある絶海の孤島を選ぶ患者がどれほどいるだろうか、私は疑問である。
続けて、德田氏は「光田健輔の救らい思想と無らい県運動」と題して、光田の考えを次のように要約する。
ハンセン病の専門医にはキリスト者が多く、外国人宣教師がハンセン病患者の救済に使命感をもって取り組んだように、彼らも自ら人の嫌がるハンセン病医療の道に進んでいる。たとえば、宮崎松記や林文雄、犀川一夫、小川正子、神谷美恵子などの専門医、療養所に勤務する看護師(婦)や職員にはキリスト教の信者が多かった。
続けて、藤野氏は荒井英子氏による指摘を、戦前と戦後における「無らい県運動とキリスト教」の関係について歴史的に検証している。藤野氏の考察より抜粋して引用し、重要事項をまとめておく。
藤野氏は続けて、「戦後における無らい県運動とキリスト教」と題した項で、戦後になっても日本救癩協会は光田健輔と歩みを一にして、絶対隔離および無らい県運動に積極的に関わっていくことを検証している。戦後に関しては後に考察する予定なので、今はこれ以上は言及しない。
德田氏の「光田健輔の救らい思想と無らい県運動」を参考に、光田健輔と彼に連なる日本MTLなどの「救らい思想」について明らかにしてみたい。
德田氏は、上記の引用に続けて、次のように述べている。
私は、光田健輔によって発想された「絶対隔離政策」や「無らい県運動」「十坪住宅運動」などを検証するたびに痛感するのは、<目的のために手段を正当化してはならない>という論理である。キリスト者たちの「救らい思想」は<目的>としては正しいし、むしろ崇高な理念とさえ思うが、その<手段>は、荒井英子氏が看破した「救う側」の独善性による発想である。
以上のような光田に代表される救らい思想やその思想に共鳴して積極的に無らい県運動を展開した日本MTL指導者らが標榜する「救う」という発想の本質が露呈したのが、1936年の「長島事件」である。
(徳田靖之「救らい思想と無らい県運動」『ハンセン病 絶対隔離政策と日本社会』)
「長島事件」については、私も詳細を書いているので、読んでいただきたい。
私も上記の「Note」においてその問題点について検討しているが、特に、日本MTLの理事である塚田喜太郎の「長島の患者諸君に告ぐ」は「救らい思想」の本質を端的に表している。一部を抜き書きする。
德田氏は、この塚田喜太郎の一文の背景に「救らい思想」の本質を見抜いて、次のように述べている。
最近の研究者のなかには、この「二面性」や「背理」について、一方に偏っているとの見解からむしろ従来とは逆に肯定的な立場を重視するものが増えてきている。光田健輔の功績を過大解釈することで、絶対隔離政策さえも正当化しようとする。「救う側」の尽力があったから患者の多くが救われたのだという「救う側」の一方的な論理を肯定する立場である。
德田氏は、この「救う側」の論理の危うさが「黒川温泉宿泊拒否事件」を引き起こしたと考察する。菊池恵楓園に入所しているハンセン病患者の「ふる里帰り事業」で予約を受けていたホテル側が他の宿泊者への「迷惑」を理由に宿泊を拒否した事件である。ホテル側は非を認めて謝罪したが、その不十分な対抗に抗議した入所者に対して、全国から300通以上の誹謗中傷の手紙やメールが寄せられた。
私も入園者自治会がまとめた『黒川温泉ホテル宿泊拒否事件に関する差別文書綴り』を一読したが、書き殴った暴言や恫喝の言葉、罵詈雑言に混じって、的外れで自分勝手な論理ではあっても主張や意見をきちんとした文章に書いている人間も多かった。だからこそ、その的外れで自分勝手な論理が恐ろしいのである。その「救らい思想」を危惧するのである。
これは何もハンセン病問題に限ったことではない。「善意の第三者」という言葉があるが、「善意」ほど、その真意がわかりにくいものはない。本人は自らの言動を「善意」によるものと思い込み、「正当化」あるいは「肯定」する。
先の「黒川温泉ホテル宿泊拒否事件」でのハガキや手紙には、「何故ならば一緒に入った人に不快な思いをさせたくないという気配りです。貴方達ももう少し謙虚になりなさい…謝罪をされたホテルの人に対して声高らかに抗議している貴方達の見苦しさに我慢できず便りしました」「世間の人達(公共機関の人達)がたてまえで口にしている言葉をうのみにして、本気になって思い込み、負けん気で権利をふりまわして表面的な活動をすることは、我が身を知らない人間(身のほど知らず)だと思われるでしょう」等々が「善意」で書かれている。
社会的弱者が憐れみに感謝して従順であれば「同情」も「温情」も「慰安」も向けるが、対等の立場で同等の権利を主張すれば、「(弱者である)身の程を知らぬ」傲慢で「謙虚」さに欠ける人間とみなされて攻撃される。つまり、「救われる側」の人間が「救う側」の人間と対等・同等であることは許されないのだ。自分より劣っているから「救う」という論理がある。それは優越感を満たす、自己満足の論理である。なによりも、社会的弱者はいつまでもその立場に甘んじることを求められる。
無らい県運動の弊害は、同じ人間を「ハンセン病患者であるかないか」を基準として「救う側」と「救われる側」に大別し固定したことである。そして「救われる側」である患者は「救う側」が設定したルールを守ることを強要され、その中でしか生きられないように、まさに「飼育」されたのだ。