藤田孝志

イスラエルに【おなかがすいた子どもに、一匹の魚を与えれば、その日だけの食べ物にしかなら…

藤田孝志

イスラエルに【おなかがすいた子どもに、一匹の魚を与えれば、その日だけの食べ物にしかならない。魚のとり方を教えれば、一生の食べ物をあげたことになる】という口碑がある。私はそのような「記事」を書いていきたい。本来あるべきでないものをなくすために…何ができるかを問い続けていきたい。

マガジン

  • 心の壁を越えるために

    岡山県にある長島愛生園をフィールドに,ハンセン病問題について,その歴史的過程(排除・排斥・隔離の歴史)と実態(なぜ差別されたのか)の解明などを通して,我々が将来に向けて何を学ぶべきかを考えていきたい。

  • 史実の深層を求めて

    さまざまな歴史事象の背景を多様な視点から考察することで,歴史観や歴史認識を再考してみたい。

  • 時の流れの中で

    人権・教育・社会・文化など,折に触れて感じたことや思ったこと,考えたこと,伝えたいことなどを「断章と雑感」として書いてみたい。

  • 人と海に学ぶ

    岡山県東部に位置する日生をフィールドに、里海づくりを目指している中学校の海洋学習の実践を紹介する。「里海づくり」(海洋学習)を通して将来の地域再生を担う子どもたちを育てる「日生の応援団」プロジェクトです。

  • 存在を問い続けて

    「岡山の部落史」をテーマに、「渋染一揆」や「明六一揆」(解放令反対一揆)を中心に、江戸時代から近代までの論考や史資料を紹介していきたい。

最近の記事

  • 固定された記事

汝の道を行け

Segui il tuo corso、e lascia dir ie genti! 【 汝の道を行け、そして人々の語るにまかせよ 】 ダンテの『神曲』「煉獄篇」にある章句であり、マルクスが『資本論』(初版序文)に掲げたことでも有名な格言として多くの人びとに勇気を与えている言葉である。 ----------------------------------- 年頭、<Blog>から<note>に、記事(文章)を移行した。 作業しながら昔書いた文章を読み返していると、論旨が明確で

    • 光田健輔論(41) 不治か完治か(1)

      人はなぜ「病気」を恐れるのか。釈迦も人生の苦痛を「四苦」(生老病死)と教えているように古今東西の宗教や哲学では「病」を問題としてきた。 「病気」を恐れる理由は、「死」と結びついている、あるいは身体の損傷(変形、機能不全など)と結びついているからである。また、「病気」に「治療法(薬)」があるかどうか、完治か不治かである。そして、「病気」が「感染」するかどうか、その強度が深く関係している。これが「病気」に対する判断基準である。 最近の「病気」では、エイズやコロナをみればわかる

      • 光田健輔論(40) 牢獄か楽園か(4)

        「戦争は最大の人権侵害である」とはよく聞く言葉であり、真実である。戦争の悲惨さは数多語られ、その残虐さゆえに非人道的な所業と誰もが思うが、敗者は戦争犯罪人としてその責任を問われて罰せられても勝者は免罪される。このことは歴史が証明している。しかし、戦争の副産物ともいえる悲劇は、その責任を問われることもなく歴史の闇に隠されてしまう。従軍慰安婦、住民への掠奪・強姦、人体実験、強制労働など、そしてハンセン病患者への隔離政策である。 なぜ光田健輔および占領地・植民地の療養所長は「戦争

        • 井戸替え

          来月には年に一度の町内会総出の溝浚いがある。朝早くから各家の周囲を囲む溝掃除を行った後,いよいよ川に流れ出す排水溝の大掃除と小川の泥浚いである。毎年のことだが,近所も高齢者の比率が高くなり、なかなかに大変である。重い石蓋を持ち上げて外し,溜まった泥を鋤簾やスコップで抄いだし,水道の水で流していく。排水溝と小川は,ここまで1年で溜まるものかと毎年のことながら思う。 町内会の人たちと作業をしながら思い出すのが,江戸の「井戸替え」である。 江戸湾に面する低湿地が多く,井戸を掘って

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        汝の道を行け

        マガジン

        • 心の壁を越えるために
          76本
        • 史実の深層を求めて
          28本
        • 時の流れの中で
          89本
        • 人と海に学ぶ
          5本
        • 存在を問い続けて
          56本
        • 我が心は石にあらず
          82本

        記事

          マイクロアグレッション

          昨日(2024/4/09)の読売新聞「編集手帳」に、静岡県の川勝知事にふれて、次のように書かれていた。抜粋して転載する。 多くの人びとには聞き慣れない言葉だが、人権思想が広く社会に浸透し、さまざまな人権に配慮することが当然の時代になり、人権意識や人権感覚の必要性がさらに求められるようになった現代だからこそ、逆に不平や不満、悪意が心の深層に沈殿してしまい、それが無意識に表面化してしまうのだろう。 匿名性を利用してSNSやブログなどに誹謗中傷・罵詈雑言を書き込む人間の中には、

          マイクロアグレッション

          光田健輔論(39) 牢獄か楽園か(3)

          光田健輔は『愛生園日記』に、「戦争末期の激しい空襲と戦いながら、食べられもしないイモヅルの配給をうけていた一般社会に比べたら、わずかながら耕作地をもち、海水で塩も作ることができる島の生活は、まだましであったかもしれない。」と書いている。この一文を読んだ人たちは何を思うだろうか。戦争の悲惨さや戦時下の暮しの苛酷さを読んだり聞いたりしている人びとは、多分そのままに「まだましであった」と理解するだろう。しかし実態はまったく違っていることを人びとは知らない。栄養失調と患者作業によって

          光田健輔論(39) 牢獄か楽園か(3)

          光田健輔論(38) 牢獄か楽園か(2)

          戦争の拡大と長期化がハンセン病療養所に隔離された患者の生活をどれほど悲惨な状況に追い込んでいったか、戦時体制下での国民生活を記録した数々の証言から推察することは容易だろう。 多摩全生園患者自治会編『倶会一処』に「飢えと戦争」と題して、戦時下の療養所の生活が記録されている。抜粋して転載しておく。 長く引用したが、これが戦時下での療養所の実態の一端である。戦争中は内地でも食糧事情は厳しく、特に食糧事情は困窮していた。だが、隔離された園内での制限された自給自足、定員超過による食

          光田健輔論(38) 牢獄か楽園か(2)

          光田健輔論(37) 牢獄か楽園か(1)

          日本近代思想大系22『差別の諸相』付録[月報15]の中に、成田龍一「『小島の春』のまなざし」がある。今回、ある論文の引用文献に挙げられていて気づき、一読した。『小島の春』を通して小川正子の患者観が考察されていて、興味深かった。 成田氏は「固定化」の証左として、「小川が病者を自動車で運ぼうとするときのエピソード」を「印象的」として例示する。 ベストセラーとして多くの国民に読まれた『小島の春』が果たした役割、その効果について光田健輔は「数百数千回の講習会を催すよりも有効であろ

          光田健輔論(37) 牢獄か楽園か(1)

          「近代」の解体と差別構造

          田中等氏は、著書『ハンセン病の社会史』の「はじめに」において、次のように述べている。 まず田中氏の藤野氏への批判が的確かどうか、私には疑問である。田中氏は藤野氏のこの一文を「議論の基調」と断定し、藤野氏の「問題構制の珍妙さ」を批判するが、田中氏が指摘する「問題構制」とは何か、どういう意味か判然としない。(あえて「構制」という用語を使う必要性くらいは明記してもよいのではないかと思うのだが…) 田中氏は藤野氏の一文を引用する際に「…(略)」としているが、最初の「…」は「こうし

          「近代」の解体と差別構造

          下作

          随分と昔、もう20数年ほどになるが,友人から私の文章表現が「下作」になってきたとの厳しい指摘を受けたことがある。確かに,当時、ブログやBBSに書く文章表現が粗野になってきたように私自身も感じていた。元々,文章は上手な方ではないが,表現内容に用いる語句や修辞が独り善がりになり,決めつけたような文章になってしまい,伝えたいことが正確に伝わらず,誤解や曲解を生むことも多くなっていた。 出版目的の論文や職務上の公用文では上司や同僚からの指摘もあるが,私的な文章に関しては指摘を受ける

          西の丸騒動

          HDDを整理していたら、昔の駄文が出てきた。20年ほど前、私に対して執拗に日々、一面識もないにもかかわらず、的外れな誹謗中傷の文章を自分のブログに書いていた山口県の牧師がいたが、この拙文を私がブログに書いたら、何を勘違いしたのか「殺害しようとしている」と書かれたことがある。そう思うのであれば、愚かしいイヤミや皮肉に満ちた攻撃的なことを書かなければいいのだが、松平外記をいじめた人間らと同レベルということだろう。誰からも相手にされない鬱憤を、今も同じことを繰り返しているのだろう。

          西の丸騒動

          古書

          久方ぶりに古書店を巡って、数冊の本を買った。 『伝説 よもやま話 岡山奇聞』(岡長平) この本は、発行が昭和36年1月である。正確な史実かどうかは別として江戸時代の説話としては興味深い。 『江戸空間』(石川英輔) 江戸時代と現代を対比させながら、庶民の生活から江戸時代を多角的に考察していて、おもしろい。 『大江戸生活体験事情』(石川英輔・田中優子) これは著者二人が実際に江戸時代の生活を体験し、実体験から考察していて、これも江戸時代の庶民生活を知るという点から興味深い。

          光田健輔論(36) 善意と悪意(6)

          『ハンセン病市民学会年報 2005』に、泉潤氏による『ハンセン病報道は真実を伝え得たか』(末利光)の書評「活きつづける光田イズム」が掲載されている。 私も末氏の同書を友人から教えてもらい一読したが、あまりの独断的かつ錯誤と曲解に終始した内容に辟易して途中で投げ出して、処分してしまった。今となってはほとんど記憶にない。 現在、光田健輔論と題して、光田を中心に日本のハンセン病史を検証しており、彼の周辺の人物にも筆を伸ばしている関係で、市民学会の年報も再読している中で、泉氏の書評を

          光田健輔論(36) 善意と悪意(6)

          光田健輔論(35) 善意と悪意(5)

          『ハンセン病 絶対隔離政策と日本社会』(無らい県運動研究会)所収の徳田靖之「救らい思想と無らい県運動」を参考に、小川正子と『小島の春』が果たした役割をまとめてみたい。 <ハンセン病問題に学ぶ>ことは、過去のできごとを<歴史>として学ぶことではない。その<歴史>の中に潜んでいる、決して繰り返してはならない「原因(要因)」と「意図(思惑)」を学ぶのである。過ぎ去ったことと振り返ることなく見過ごせば、同じことが再現されていることは多い。 上記の一文の「註」として、徳田氏は次のよ

          光田健輔論(35) 善意と悪意(5)

          光田健輔論(34) 善意と悪意(4)

          だが、キリスト者や真宗大谷派の信徒がハンセン病患者に注ぐ「献身」も「慰安教化」も、純粋な「善意」からであったことは否定できない。彼らのハンセン病患者への救護がどれほどたいへんなものであったかは、少し自らが行うと想像してみれば容易にわかるだろう。不治の病と言われ、治療薬もなく、感染の危険性が高いと言われていた時代、身体に現れた病状、知覚麻痺、膿と悪臭、失明などに苦しむ患者に直接寄り添い、治療・看護することがどれほどのことであるか。 「善意」でハンセン病に関わる彼らが、(自覚せ

          光田健輔論(34) 善意と悪意(4)

          光田健輔論(33) 善意と悪意(3)

          森本幹郎氏は『足跡は消えても-ハンセン病史上のキリスト者たち』の「自序」において、「らい予防法」廃止前後に声明を発表した「日本らい学会」、日本キリスト者医科連盟、真宗大谷派の各発表から引用して、次のように述べている。まず、森本氏の各発表の引用を抜粋しておく。 各発表には問題点も多々あるが、ここで全文を掲載して批判することは目的ではないので別項にて行いたいが、森本氏の引用に関してだけでも大きな問題が内在していることは一読で明白だろう。 「日本らい学会」の見解については、「救

          光田健輔論(33) 善意と悪意(3)