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「渋染一揆」再考(14):倹約令(2)

『岡山部落解放研究所紀要 第6号』所収の『御倹約御触書写』(味野村控)をそのまま転載する。「渋染一揆」の直接の要因である「倹約令」である。「一統倹約御触」の全文であり、内容と各村々がどのような手続きで請印を提出したかがわかる。同様の史料は各地の村方文書にも散見される。

本史料は岡山大学中央図書館に所蔵されている荻野家文書に所載されているが、残念ながら私は見ていない。『禁服訟歎難訴記』は原文を見ているが、内容はほぼ同じである。ただ若干、変体漢文と読み下し文に違和感を覚えるところがある。後に検証するところで指摘しておきたい。

「倹約令」は衣食住の日常生活全般の節約を細かく命令したもので29か条に及んでいる。その最後の5か条は特に「穢多」のみに対して、今着用している衣類は認めるが、新しく作るときは「無紋渋染藍染」以外は認めないなどを命じた。これが「別段御触出」(屑者重宝記)とよばれるもので、一般には「別段御触書」とよばれている。

以前にも「倹約令」および「別段御触書」について私見を述べたが、あらためて前文から24か条を検討してみたい。その後に「別段御触書」について考察する。
なお、以下の「倹約令」全文に関しては<原点史料>として研究や教材化に役立ててほしい。

近年打続物入多勝手向必至及難渋無拠年々減免申付甚以一統え気之毒に思ひ候,殊ニ御備場御用蒙仰弥以何廉入箇相増作廻向取計方差支可申程之時節ニ至り居申処,剰此度江戸表稀成大地震ニて破潰ケ所夥敷,就てハ莫大之入費と思ひ候,迚ても此儘ニては作廻向難取続誠ニ心痛之事ニ候,其上近来異国船度々渡来ニは何時及異変候程も難計,依てハ武備之事欠候様之義有之世上へ聞恥辱ヲ受候事有之候てハ,奉対御先代様方え候ても恐入,且ハ我等面目も無之事候,就右公務武備之外ハ格別万端省略取行候存寄に候,依之今年より来る子年迄拾ケ年之間改革厳倹申付候間,何れも我等心底相察無心弛右年限中別紙之通堅相守質素第一に遂節倹武備専に相心懸可申候,申迄には無之候共,武器等相応相嗜可申事,但支配有之者共は右之趣末々迄可申聞候。
備前藩は,近年打ちつづき物入りが多く,財政が必然的に苦しくなり,仕方なく,年々知行米を減額支給し,みんなに対して大変気の毒に思っている。
殊に,沿岸警備の御用を命ぜられ,益々,何かと入り用が増加し,財政のやりくりも差し支えるほどの時節となっておる。その上に,この度,江戸表で稀な大地震があって,そのため破壊したところが大変多く,ついては,莫大な費用がかかるものと思われる。とてもこのままでは,財政を維持していくことはむつかしく,誠に心痛なことである。その上,近来異国船がたびたびやってきているため,いつ,異変に及ぶものかわからない。よって,軍備に事欠くようなことがあり,世間の批判を受け恥辱を受けることがあったのでは,先祖に対しても申し訳なく,かつ,我らも面目がないことである。
右のようなわけで,公務や軍備の外は特に,すべて簡略に取り行なおうと考えている。
これによって,今年(一八五五)から来る子年(一八六四)までの十ヵ年の間,改革を行い,厳しく倹約を申し付けるので,みんな我らの気持ちを察して,心を弛めることなく十ヵ年の期間中,別紙のお触れのとおり,堅く守って質素第一に節約・倹約をして,軍備を専らに心掛けるべきである。
言うまでもないことではあるが,武器など相応に嗜めるべきである。ただし,支配の立場にある者たちは,右の趣旨を,末々の者にまで申し聞かせること。


男女衣類可為木綿ゑり袖口にも田舎絹之類之外無用,綿服目立敷染物不相成夏物ハ木綿ゆかた染地布類,帷子奈良縞高宮稿生平之類持掛り不苦候但七十以上十歳已下之者共有合せ候麁末之絹類裡下着ニ相用候義ハ不苦候,尤小児は小切継に持懸り不苦,併目立候品は不相成候事
一(1条)
男女とも着物は木綿とせよ。襟・袖口にも田舎絹の類の外は使用してはならない。綿入れや目立つ染物はいけない。夏物は木綿のゆかたとし,染地布は,帷子(麻のひとえもの)・奈良縞(奈良地方産出の麻縞織物)・高宮縞(彦根高宮で産出麻の縞織物)・生平(大麻のせんいでさらしてない織物)の類は,所持している物は着てもよい。
ただし,七十才以上,十才以下の者たちは,有り合わせている粗末な絹類は,裏地,下着に用いることはかまわない。もっとも,小児は小さい切り継ぎを所持している物はかまわない。しかし,目立つ品はいけない。


髪之上なと目立敷無之様いたし可申,女櫛笄かんさし之類,竹木銅真鍮之外無用
一(2条)
髪の上は目立たしいことのないようにせよ。女の櫛・こうがい笄・かんざしの類は,竹・木・銅・真鎌の外は使用してはならない。


身元宜敷下男女等召仕候程之者共ハ,持掛りハ田舎絹紬之類,裡下着帯等ニ相用候ハ不苦候事
一(3条)
身元のよい下男下女などを召し仕っているほどの者たちは,所持している田舎絹・紬(細糸で織った絹布)の類は,裏地・下着・帯等に使用することはかまわない。


音信贈答無用,忌懸り親類聟舅ハ無拠吉凶ニハ軽キ品取遺ハ可為格別,年頭歳暮節句等之祝義も准右候事
一(4条)
音信や贈答は無用である。忌掛(家族親族の中で喪に服すべき続きあい)の親類・聟・舅のやむをえない吉凶のとき,安い品を贈るのは特別のこととする。年頭,歳暮・節句等の祝儀も右に準じること。


村方祭礼嫁取聟取之節,親類共出会凶事之節とも一汁一菜膾酢和酒三献之外無用之事
一(5条)
村の祭礼・嫁取・聟取のとき,凶事のときの親類たちの集いでは,一汁一菜・膾酢和・酒三献の外は無用である。


吉凶之節かつき,凶事之節上着夏冬無差別晒相用可申事
一(6条)
吉凶の節のかずき(被衣,婦人が外出の際頭からかぶった衣服)や凶年の節の上着は,夏冬差別なく晒(漂白した麻布,又は綿布)を用いること。


惣て用事等之出会別懇之もの遠方より参懸候ものへ支度出候儀,腹中調候程之義ニて随分手軽く取計可申事
一(7条)
すべて,用事などでの集まりや,特別に懇意な者で遠方から訪ねてきた者へ食事を出すときは,腹が調う程度のことで,ずいぶん手軽にすべきである。


さるふり共御法之三十一色之外売買堅停止,勿論御免之木札腰ニ付商ひいたし可申,無札ニて商ひいたし候ハヽ屹可申付事
一(8条)
笊ふりたちは,法で定めた三十一種類の外は,売買を堅く禁止する。もちろん,鑑札を腰に付けて商いをすべきこと。無札で商いをしたならば,厳重に申し付けるへきこと。


在方え町方商人入込商ひいたし候義,三十一色之外ハ停止,三十一色之外之ものヲ商,又ハ無札之ものヲ及見候ハヽ荷物押置名元等相尋早々御郡奉行え注進可申出候事
一(9条)
村方へ町方の商人が入り込んで商いをするについては,三十一種類の外は禁止する。三十一種類の外のものを商ったり,又は,無札の者を見たりしたならば,荷物を押えておいて,名前や身元などを尋ね,早く郡奉行へ連絡すること。


上方筋幷他国より之諸商人入込候とも売買不仕,一宿之宿も仕せ申間敷候事
一(10条)
上方筋並びに他国からの商人が入り込んできても,売買をしてはならない。一夜の宿乞いも許してはならない。


茶屋並之所ハ旅人之助ニ相成候程之軽品々是迄之通商ひ可申,新規致候義無用
一(11条)
茶屋並のところは,旅人の助けになる程度の簡単な品々をこれまでのとおり商いすること,新規の商売は禁止する。


茶屋並之所え出職屋敷替等停止
一(12条)
茶屋並のところへ出職(他に出かけて仕事をする職業。左官・大工など)し屋敷がえすることなどは禁止する。


町分之所ニて御法相ニ不差障店商是迄之通,持歩行之義ハ無用,但有来之軒数相増申間敷候
一(13条)
町方のところで,法に違反せず店商いをすることはこれまでのとおり。行商はしてはならない。ただしこれまでの軒数が増えてはならない。


海辺浦辺船繁之場所,酢醤油あふら材木猟具其外軽キ当用之品取扱候義不苦,紛敷品売買堅停止
一(14条)
海辺や浦辺の船を繋ぐ場所では,酢・醤油・あぶら・材木・漁具,その外簡単な日用品を取り扱うことはかまわない。まぎらわしい品の売買は堅く禁止する。


手作之草履草鞋青もの類海辺出来塩小魚之類所之産物ニて,耕作之透々御城下又ハ町分へ持出売歩行之義不苦
一(15条)
手作りの草履,草鞋・青物類,海辺でとった塩,小魚類など,所の産物は,耕作の合間合間に城下や町方へ持っていって行商することはかまわない。


往来之外清酒等一切停止
一(16条)
往来の外で清酒などを売ることは,一切禁止する。


村役人以下御用向村用等ニ寄合候節,銘々腰付弁当ニいたし可申,勿論可為禁酒事
一(17条)
村役人以下が御用向きの村用などで寄り合うときは,それぞれ腰付弁当にすべきである。勿論,禁酒とすべきこと。


生菓子之類一つ三銭より高料之品売買致間鋪事
一(18条)
生菓子の類は,一三銭より高い値段の品を売買しないこと。


家作之義分ニ過申間敷候
一(19条)
家作りについては,身分に過ぎないこと。


日傘雪駄相用申間敷候,但女ハ白渋張傘は不苦候事
一(20条)
日傘・雪駄(竹の皮の草履の裏に獣の皮をつけた履物)は用いないこと。ただし,女は白の渋張傘はかまわない。


雨天之節みの笠相用可申,手傘相用候とも竹之柄白張傘くり下駄之外無用
一(21条)
雨天の日は,蓑傘を用いること。手傘を用いても,竹の柄で白張傘,栗下駄の外は使用してはいけない。


在方ニて髪結を業といたし候ものも有之哉之趣相聞候,向後屹相止メ可申,但三駅町分船着之処ハ可為格別,尤村方之もの右床へ参り結剃無用
一(22条)
村方で髪結を業にしている者があるやのことを聞いている。今後,必ず止めること。ただし,三駅(三石・片上・藤井)・町方,船着場は特別とする。もっとも,村方の者が右 床屋へ行って髪を結ったり髭を剃ったりしてほいけない。


何を家業共なく遊暮いたし居候申もの有之候ハヽ,臨時差押逐吟味可申事
一(23条)
何を家業とするでもなく,遊び暮らしておる者があったならば,とりあえず差し押さえて,吟味をして申し出ること。


在医者白張日傘は不苦,其外ハ平百姓之通
一(24条)
村の医者は,白張の日傘はかまわない。その外のことは,平百姓と同じ。


穢多衣類無紋渋染藍染ニ限り候義勿論之事ニ候,乍然急ニ仕替候てハ却て費ヲ生シ迷惑可致哉ニ付,是迄持かかり麁末之もめん衣類其儘当分着用先不苦,持かゝりニても定紋付之分ハ着用無用,素藍染渋染之外ハ新調候義は決て不相成事
一(25条:別段1条)
穢多の着物は,無地の渋染藍染に限ることはもちろんのことである。しかしながら急に仕替えるのでは,かえって費用もかかり,迷惑するかもしれないので,これまで所持している粗末な木綿の着物は,そのまま当分着用してもよろしい。所持しているものでも,定紋付のものは着てはいけない。もとより,藍染渋染の外は,新調することは決してならない。


目明共義ハ平日之風体御百姓とハ相別居申事ゆへ衣類之儀ハ先是迄之通差心得可申,尤絹類相用候義ハ一切不相成事
一(26条:別段2条)
目明かしたちのことは,日ごろの身なりが百姓とは違っているので,着物の件は先ずこれまでのとおりであると心得よ。もっとも絹類を用いることは,一切いけない。


雨天之節隣家或ハ村内同輩等へ参候節も土足ニ相成候てハ迷惑可致哉ニ付左様之節ハくり下駄相用候義先見免シ可申,尤見知候御百姓ニ行逢候ハヽ下駄ぬき時宜いたし可申,他村程隔候所へ参候ニ下駄用候義ハ無用之事
一(27条:別段3条)
雨天のとき,隣家や村内のなかま等の家へ行くとき,はだしであっては迷惑するであろうから,そのようなときは,くり下駄を履くことは,先ず認める。もっとも,顔見知りの百姓に行き会ったならば,下駄をぬいで,お辞儀をせよ。他村などの遠くへ行くときは,下駄を用いることは無用である。


身元相応ニ暮し御年貢米未進不致もの之家内女子之分ハ,格別ニ竹柄白張傘相用候義見免可申事
一(28条:別段4条)
身分相応に暮らし,年貢を滞納していない家の女子については,特別,竹の柄の白張傘を使用することは認める。


番役等相勤候もの共,他所向役先之義ハ先是迄之通差心得可申,勿論絹類一切弥以無用之事
一(29条;別段5条)
番役などを勤めている者たちは,他所に行くときや,役目の先に行くときは,先ずこれまでのとおりと心得よ。もちろん絹類は,一切着ることはいよいよもって無用である。

倹約取締向之義ハ毎度触知せ置候処,近来何となく相弛居申哉之趣相聞候,此度御改革厳倹御趣意被仰出候ニ付,猶又別紙之通触知せ候条大庄屋村役人等篤と相心得組合一同え与得申諭屹相守せ可申候,尤,別紙之趣ハ衣食住日用之節倹ヲ相示候義に付,右之外兼々触出置候ケ条之趣等不致違失候様申聞,依弊致居申義ハ相改可申候,若不相用もの於有之ハ吟味之上屹御咎可有之候,右之趣可被相触候
卯十二月
   御郡奉行中
倹約について取り締まることは,毎度触れ知らせておるところである。ところが,近年は何となく弛んでおるかのように聞こえてくる。この度,改革にあたり厳しい倹約の趣旨が出されたにつき,又々,別紙のとおり触れ知らせるので,大庄屋・村役人などはよく心得て組合一同によく説き聞かして,必ず守らせるようにすぺきである。
もっとも,別紙の趣旨は,衣・食・往など日用の節約・倹約について示したので,右の外,かねてから触れ出している箇条の趣旨なども違反したり忘れたりしないよう申し聞かせ,悪いならわしとなっていることは改めさすべきである。若し,守らない者があるときは,吟味のうえ,厳しく告める。右の趣旨を触れること。
 (安政二年)卯十二月
   御都奉行中

別紙之通相触候様との御事ニ候間,則弐通相廻候,尤御趣意之趣其元方一同呼出御直々可被仰渡之所当節柄差遣可申,依て筆頭児子三右衛門壱人呼出被仰渡候間,委細同人より申伝承知候義と存候間,此度御趣意之趣組合村々小前之者共迄不洩様申渡厳重相守可申旨可被申触候
        以上
  十二月九日
        福田甚左衛門
 大庄屋中
別紙のとおり触れるようにとのことなので,二通を廻す。もっとも,お触れの趣旨をお前たち一同を呼び出して直々に説明すべきところだが,時節柄,差し支えがある。
そこで,筆頭の児子三右衛門一人を呼び出し説明したので,委しくは同人から聞いて知っていることと思う。
この度のお触れの趣旨を,組合の村々の小前の者たちまで洩れのないように申し渡し,厳重に守ることを触れ出すこと。
          以上
   十二月九日
         福田甚左衛門
 大庄屋中


部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。