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刑罰制度と治外法権

ダニエル・V・ボツマンの『血塗られた慈悲,笞打つ帝国』によって教えられたことは,治外法権を日本人の視点からではなく,外国人の視点から考えることであった。これは,従来の教科書記述にはない視点であり,見落としてきたことである。

もし逆の立場から考えてみれば,治外法権の重要性と必要性は十分にわかるはずだ。
かつて江戸時代にタイムスリップした現代の医者を主人公にしたTVドラマが放映されたが,もし自分が彼のように幕末の江戸時代に投げ出されたとして,そこで行われる裁判や刑罰,処刑について考えてみるだけでも納得するだろう。

ボツマンの考察したように,日米修好通商条約の「治外法権」(領事裁判権)が,江戸時代の拷問・刑罰制度に対する欧米列強の恐怖による要求項目であったこと,それゆえ条約改正の絶対条件が日本の刑罰制度の改革であったこと,この歴史的背景は確かな事実であったと思う。

特に,幕末から明治初年に日本を訪問した多くの外国人が見聞した「攘夷事件」と実行した日本人の処刑は,日本の「血なまぐさい刑罰」を強烈に印象づけたにちがいない。

幕末の「攘夷事件」について,外国人襲撃とその顛末を中心に簡単な年表にまとめてみた。

これらの事件は,やや誇張気味ではあるが,見聞した内容を詳しく具体的に本国である欧米諸国に報告された。

「鎌倉事件」について,処刑に立ちあったアーネスト・サトウは次のように書いている。

扉が開かれて目隠しされた1人の男が縛られたまま群集の間を引かれてきた。その男は荒むしろの上に膝まずかされた。背後の地面には血を受ける穴が掘ってあった。
付添いの者がこの男の着物を下へ引っぱって頸部を露出させ,刀の狙いを充分よくするために罪人の髪の毛をなであげた。刑吏は刀の柄に綿布を巻きつけて,刃を充分に研ぎあげてから罪人の左に位置を占めた。それから双手で刀を頭上に高くふりかぶってこれを打ちおろすや首は胴体から完全に切り離された。
刑吏はその首を持ちあげて,立会いの首席役人の検視に供した。その役人は簡単に『見届けた』と言った。首は穴へ投げ込まれた。
それから次の男が引き出されてきた。付添いの者は罪人をちょうどよい位置に膝まずかせるのに少々手こずった様子だったが,遂に人々の満足するようにやり通せた。
前回のように頸部が露出されるや前と別な刑吏が進みでた。そして,罪人の左に立ち,刀を振りあげ,前と同様な鮮やかな手並みで振り下ろした。付添いの者が首のない死体を穴へ抱え込んで,それをもみながらなるたけ速く血を流し出そうとしているのは身の毛のよだつ凄惨な光景だった。

欧米諸国にとって,自分たちが磔になったり切腹を強要されたり,あるいは拷問を受けたりする不安が残る限り,治外法権は絶対に撤廃できない条項である。
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日本の刑罰制度の変遷について,簡単にまとめてみた。

条約改正について,教科書記述のように「ノルマントン号事件」の不当裁判から欧米諸国の理不尽さと不平等さを強調する解釈では正しい理解とは言えない。
歴史を正しく解釈することの重要性,多角的な視点の大切さをあらためて考えさせられた。そして,この重要な視点は,部落史にも言えることだと痛感する。

一方からのみの分析・考察が陥りやすい過誤である。特に,「被差別」や「弱者」「民衆」という立場を強調しようとすればするほど,それらと対比する立場への批判が正当化され,しかも攻撃的な非難さえも肯定されてしまう。

「批判精神」は重要であるが,「批判すること」を目的に検証や考察に終始すれば「偏見や独断」に陥ってしまいやすい。また,特定の主義や主張に固執すれば,宗教のように「教条主義」に陥ってしまう危険性がある。


部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。