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葬儀しつつ、ヘッドフォン(マイク付き)が死亡しつつ、誕生日来つつ、身体が限界値到達していたりする。

12/15におとん他界したわけですよ。(病院出たの朝だった)
面会帰りにいつ何時電話あるかわかんねぇ!妙に深刻をあおる主治医報告の為にゲンナリしつつ各停でちんたらしつつ、胡散臭く入院していた病院からの行き帰りにつけてたヘッドフォンもほぼ同日死んで、くそ安いのをポチった。なんだ、この共同体な感じは。

妙に段取り組んだと言うか、まぁほんま入院した即日からあと何日か?だったので、さっさと葬儀屋さんやらなんやら姉貴と決めてたし、その前にワシは火葬場状況聞いてたりしたし、年末に伸びたらそれはそれで大変なので「これは最短で行けるか?」ってのと、もう今時と言えばそうな火葬場葬でいいとしてたのでほんま最短だった。最大の問題は母方の宗派と父方が違うんでどこの宗派だ?騒動が起きて位牌眺めたが。

葬儀、12/18だよ。

おとんの交友関係ある程度は把握していたが、そもそももう存命者少ないし、親戚関係もそうで、果てして何人いらはるのか?不明の中、一応返礼品の数を土壇場で2つ足したワシはナイス判断だった。ジャストや!買いに行ったの姉貴だけど、前日にシネマ歌舞伎に行くと言うたからそのまま買ってきてだったわけですけど。(観に行けば?と言うたのはワシだったが)

我々姉妹、腐ってるんで、
他界前後からある程度普通にマイペースは貫いていた。
ワシは面会帰宅後の深夜に作業してたし、
姉貴は今月1つだけ泣く泣く諦めたが、他の歌舞伎やらの予定が山積み。

しかし参列者とメンツがカオスだった。(少ない分)

ぶっちゃけるともう基本父方・母方のイトコくらいしかいないんだが、そもそも一部除きワシら姉妹は連絡先わかるようでわからず、さらに最後に何年前に会ったかわからん状態でいろんなものがうろ覚えでありますよ。だっておとん、父方の付き合いを我が姉妹をガードしてたとこもあるし。

父方ではワシが一番下の子なんだが、母方のワシの下は数歳下はいるんだが、いや母方全員誰もそのワシの下の2人の連絡先わかんねぇっつうな。

が、ガチの親族外も来るのは知ってたのでワシはじんわり場を濁すメンツを混ぜていた。来てくれるというたから断る筋はなかった。

甥ら2匹より謎の存在感を醸し出してたのは我が介護人?(監視役)だったとワシ関係者に言われたが、まぁそうですよね、そうですよ、でかいもん。年齢もなんともな…とこだし。焼いてる間もワシら姉妹と甥らの席に混ざってたよ、帰りも家まで来させたよ。

もれなくイトコで最年少なワシ、もれなく歳を聞かれまくるわけよ。

「いや明日誕生日なんだけど」



この一言でみんな苦笑いであった、いやワシも自分でも思ったよ。

18日の時点で身体が悲鳴上げてたんで、姉妹+甥1匹(2匹目何故か留守番)+介護人?(監視役)で、ごはん帰りに食いに行きつつ、マッサ二日連続行っちまったよ。それでもまだ体力というか、身体が戻らん。引きこもり長くなった身としては移動地獄だった。バキバキよ、バキバキよ。メンタルは別に平気だったりする、通いは約2週間だったのもあるが、面会行きまくってたし、直前まで会話出来たしね。

寝倒し続けてればまだ復活しやすいんだが、部屋掃除やら、役所手続き関係を姉貴とテケテケ行くから地味に早起きで、役所近いからいいけど、一応喪主は姉貴になってるから単独で行ってくれねぇかと思いつつ、ワシは黙々と不明遺産総額とか不動産のことやら相続のことでどこの士業関係がいいかを調べまくって睡眠がますます削られるの巻。そっち関係はワシの方が詳しいのもあんだけどさ。手広くやってるマイ行書にぶん投げたくなるほどめんどくさくなってきた、マジで。

姉貴が冬休み中に候補の士業決めないとめんどくさいわな。
ま、遺産分け、割と簡単というか揉める要素ないからいいんだけど。

てなわけで、状況説明してなかった人らから「おたおめ」が連発してきて、
まぁそもそも自分が礼服は死んでも着ねぇ!という掟破りしてるから、喪中といえどお祝いの言葉は不謹慎とも思わず、感謝している。

オチ:自動的にキリのいい歳になったので、あとまぁやはり相続額次第で数年だけ踏ん張って株式会社作って社長に戻って荒稼ぎ大会勃発するか、ガチ公演やるなら永遠の萌えクズんとこに一回行くかと思うのだった。


ま、体力氷点下だけど元気です。




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