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Phase 1 それは、喫茶店のざわめきの如く。

2018年、5月。

初夏の梅雨入りを前にして、不安定な空模様と、不安定な生活の最中。私は、私という人生のターニングポイントを迎えた。ー

当時の私は、派遣社員として工場勤務していた。正規雇用で働いていた会社を、鬱で退社してからというもの、派遣になってからは職を転々とし、色んな人間関係や体力の限界にに悩まされ、四苦八苦していた。

そんな中、ようやく派遣先も一処落ち着き始めた頃だった。“ソレ”が、私を悩ませる事となった。

“ソレ”は、仕事中、ほぼ決まった時間帯に(午後過ぎ〜)訪れた。ソレ = “耐え難い胃痛” に、悩まされるようになったのだ。ー

今思い返してみれば、それより以前からその胃痛は度々あったが、元々見た目は“心も身体もお酒も強そう”に見られるが、事実は見掛け倒しの貧弱な私だったため、“単なる胃痛” “こんな痛み位、皆耐えている” “私が弱っちいからだ” なんて、そう比べられもしない他人と比べて、勝手に大丈夫だと思い込んでいたので、あまり意識もしていなかった。

しかし、意識せずにはいられらない程に、日々痛みは酷くなり、何時しかそれは、毎日の日課のように繰り返される事となったのだった。ー


2017年、年末。

職場はその日生産も少なく、フロア清掃をしていた。モップを手に、同僚のブラジル人女性と他愛もない会話をしていた時のことである。私が会話のネタに困り、手持ち無沙汰に、胃痛についてヘラヘラしながら話すと、彼女はとても真剣な眼差しで『私のお父さん、5年前、癌になった。すぐだった。死んじゃった…。〇〇さん、病院行ったほうがイイね。危ナイだよ?』と、カタコト混じりの日本語で心配してくれた。脳天気な私は、事情を知らなかったとはいえ、彼女に胃痛の話なんかして悲しい出来事を思い出させてしまった言葉に後悔していた。本当はすごく感謝をすべき言葉だったのに。その当時の私は(まぁそれは今現在もだが)感覚がズレていた。


2018年、年始。

年明けの出勤早々から熱を出してしまったが、やっとの量産だったこともあり、休むわけにはいかなかった。生活のためにも。この頃くらいからだ。段々と胃痛が酷くなっていったのは。

初めはそこら辺にある胃薬で気を紛らわせていた。しかし、まったく効いていない事に気づき、最終的にはガ○ター10を御守のように持ち歩き、飲むようになっていった。でも結局、それも効かなくなり(実際のところ、元々効果は殆ど無かったのかもしれない)仕事中、耐え切れずに席を外したり、早退する様にまでになってしまった。

職場の年上の同僚や、上司も心配をしてくれ、『休んでも平気だから、〇〇さん、病院に行っておいで。』と、声を掛けてくれた。

私も、胃痛で仕事に支障をきたし始めていたし、これ以上職場に迷惑を掛けないためにも病院へ行こうと思った。ようやく、やっと。


2018年、5月。

取り敢えず、近場の内科へ足を運んだ。軽い問診の後、少し待っていると、医者が『紹介状書いたから、今すぐに〇〇病院へいって精密検査してきなさい。〇〇病院(総合病院)へは電話連絡しておいたから、診療時間は気にしなくても大丈夫だから。』そう言われ、ギョッとしながら、考える間もなく、言われた通りその足で指定された総合病院へ行った。問診の後、数日間の検査予定を告げられ、造影によるCT検査(造影剤が合わない体質だったらしく、とてつもない吐き気をもよおした)や、エコー等々。最終日には、人生初の胃カメラをのんだ。

胃カメラが終わり、一旦、待合室に待たされていた私は、再び診察室へ呼ばれた。そこで腰を下ろすなり、開口一番医者が放った言葉は、『70%の確率で、悪性とおもわれる大きな潰瘍(腫瘍)があります』だった。そして、立て続けに『ほら、普通の潰瘍だったらね、こんな複雑な形にはならないんですよ』と、撮った胃の内部画像を指し示しながら医者は話し続けた。『3箇所ほど組織を採りました。生体検査に出してみないと何とも言えませんが』

私はというと、不思議なほど、淡々と。聞いていた。1週間後、検査結果を聞くために、予約をして帰宅した。


そして訪れた。

2018年、5月中旬。

1週間経った。1週間前と同じ様に、診察室へ呼ばれ、やはり開口一番に

医者『〇〇さん、悪性腫瘍です。』

私『ということは…えーっと、』

医者『癌ですね。胃癌です。』『私の見立てによると、あまりのんびりもしていられない状況です。』『手術日を決めましょう。』『ご家族の方は?連絡をとっていただいて…』『詳しい状況を説明しないといけませんし…』『手術にあたり、同意も必要となりますから…』…

やっぱりか。。

降り注ぐ言葉たちの渦中、なんとなくそうだと判ってはいたけど、実際言われてみれば… 。そうか、青天の霹靂とはこのことか。とか何とか、質問されてもいない心境を心の中で応えながら、なんだか心がハッキリしない、どこか全く他人事で、言葉は理解できるが、頭に入らないというか、とにかくまるで喫茶店のざわめきのように医者の言葉が私に降り注いでは、コーヒーカップに注がれたクリームみたいにグルグルとまわって、フワフワと囁いていた。


病院をでて車に乗り込もうとしたとき、ふと見上げた束の間の青い空に向かって。私は呟いた。


私って、癌なんだ。。。

30代後半、誕生日も目前の出来事だった。



Next Phase…





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