レベル1もしくは美質は、その国の届かぬ理想形
最近、リソ&ハドソンのレベルを読みながらふと思ったのですけど、
性格タイプを国民性として見た場合に、レベル1は、その国における理想の国民像であることに気が付きました。
タイプ6のレベル1は、ザックリ言えば『勇気ある人』なんですよ。これは、依存度ゼロで自己完結している人でもあります。
他の著者のエニアグラムの本(ヘレン・パーマー)でも、タイプ6の美質は『勇気』と書かれています。
でも、通常見るタイプ6でそのような人を見たことがありません。勇気的なものを見ることもありますが、そこに不満や怯(おび)えが混ざっていたりします。
タイプ6の国民性である日本人も同様です。何か混沌が起こるとすぐに蜂の巣を突(つつ)いたように騒ぎ始めます。弱い犬のように吠え始めます。
それで、現実を見る中で、今まで、どうしてもタイプ6と『勇気』が結び付かなかったのですが、
『勇気ある人』が日本男児の理想像であることに気が付いて、腑に落ちました。
「長いものに巻かれるのではなくて、弱きを助け強きをくじく」
「人に頼るのではなくて、人から頼りにされる人になる」
レベル1もしくは美質というものは、そのタイプにおける届かぬ理想であり目標なのだと気付きました。
戦争や紛争のときに出てくる自らを肯定する言葉に、その国の性格タイプの価値観が出ることには気が付いていたのですが、
(例えば、タイプ6日本なら、集団気質かつ安心・安全・安定を求めることから、「大東亜共栄圏」「八紘一宇」。称賛を求めるタイプ3アメリカなら「ヒーロー」につながる言葉。ブッシュ大統領の「十字軍」発言(失言)も、その流れでとらえられる)
レベル1や美質がその国の国民の理想像であることには、最近になって気が付きました。
参考
『【エニアグラム用語】レベルとは?』
『国民性とレベルの関係(最後のほうだけ有料) 』いくつかの国を説明
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