『サイレント・マジョリティ その罪と罰』を読んで

 何回かに分けて
元銀座のママと元小学校教師がPTA会長になって、ブラックPTAの改革に挑んでみた。
を読んだ感想を書いています。今回は感想の11回目です。

 エニアグラムでは、日本の国民性はタイプ6だと言われています。
 ここでは、タイプ6を通して、PTA改革の話の感想を述べます。

サイレント・マジョリティ その罪と罰』より

ボスクレーマーXのターゲットにされた日から毎日怒涛のデマ攻撃が始まりました。

「PTAを潰そうとしている」
(←潰すつもりなら、時間かけて改編案作らない…)

「教職員は全員反対している」
(←学校は完全中立を宣言している)

「会長だけが楽をしようとしている」
(←会長職だけが仕事減っていない)

「役員や会員の仕事と大変になる」
(←負担軽減って書いてるじゃん…)

「PTAを私物化している」
(←こんなブラックな私物いらん)

「学校に渡すべきPTA会費を勝手に使っている」
(←PTAの会計報告毎年出してるんですけど…)

などなど

よくここまで思い付けるものだと感心するくらいのデマを
毎日長文メールで流し続けたのです。
資料を読んで、冷静に5秒考えれば解かる
こんなデマなど誰も信じない。
そう考えていました。
しかし、予想は大きく覆されます。
多くの保護者は資料を全く読んでおらず
Xの支離滅裂なメールの最初3行だけ読み
「たくさん書いてあるから、きっと本当なのだろう」
とMのデマを信じ始める人が出てきてしまったのです。
それが更なる不安を煽り
「普通の人々」がどんどん扇動されていきました。

 『「・・・ってえ、○○さんが言ってました」から見えてくる日本』で書いた「あるある」な人はどこにでもいるという、お話です。

 「デマを信じ始める」「普通の人々」と、豊川信用金庫事件を信じた普通の人々が重なります。

1人のデマで
不安を煽られ、考えることを止めた人が
どんどん扇動されていき、止められない流れになる。
そして多くの保護者は
サイレント・マジョリティと化し
「誰かがどうにかしてくれる」
と議決することすら放棄し、棄権という思考停止に逃げ込み
結果的には、半数以上の世帯が棄権という状況になりました。
これが日本の現実なのだと、まざまざと見せつけられた瞬間でした。

 これ、今の日本の現状とそう変わりありませんね。
 判断を逃げて「誰かがどうにかしてくれる」と思っている人が大半ですよね。
 私も例外というわけでもないですが、そういう人は『常に被害者』となります。
 これは、「私は関係無い」「私は被害者だ」「私は悪くない」「私はだまされた」という人になるということです。
 自ら判断をせず、誰かに依存している人は、『常に被害者』になれます。
 「誰かがどうにかしてくれる」と思っている人とは、そういう人です。
 ですから、サイレントマジョリティ(静かなる多数派)に何かを問うても無駄なことです。
 彼ら彼女らは、「自分には責任が無い」と思っています。

 それと、「議決することすら放棄し、棄権という思考停止に逃げ込み」という態度、これ、今の政治に対する態度にも似ていますね。

 これは、『「安倍一強」を支える人たち』で書いた、「何もしない"現状維持"」を選択した消極的支持者ともつながると思います。

 そして、思考停止で自分の意見を持たない人が結果的に勢いに加勢するという構図が日本にはあります。


※ 過去の感想は、ハッシュタグ「#ブラックPTA感想」でまとめました。

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