タイプ1に関連して、「責任という概念を軸にするのは本能じゃなくて思考じゃない?」とあったので

noteで気になる記述をみかけたので、反応してみます。

タイプ1の怒りのメカニズムがまだよく分かってないな……。
例えば「無責任な事が嫌い」と言うタイプ1の人がいたとして、責任という概念を軸にするのは本能じゃなくて思考じゃない?と思っちゃう。
乱れや汚さや自制できない感情に苛立つのは本能だけど、責任の所在の認識も本能なの⁉


エニアグラムのタイプ1は、「べき」の人、『完璧主義者』とも呼ばれる性格です。
私的解釈では「(知情意の)意をもって内に向かう人」分かり易く言えば「自分を律する人」です。自分を律していった先に『完璧主義者』があります。

また、知情意の意は「行動センター」という別名があります。
意のセンターの人たちは、意志の反映結果として、具体的な事実としての行動に意識が向かう人たちでもあります。

「責任という概念を軸にするのは本能じゃなくて思考じゃない?」
これは、少し違っていて
「責任という概念を軸にするのは思考(知情意の知)」なのですが、
「責任という行動を軸にするのは意志(知情意の意)」となるのです(責任を果たした/果たしていない という意志の反映としての行動や結果や事実に注目するのが意)。

ついでに書けば、
「責任という美学(イメージや想いとしてとらえる)を軸にするのは心(知情意の情)」となります(『走れメロス』を美談として感じたり)。

同じ言葉でもセンターにより意味合いが違ってくるのです。

例えば、『思考者』タイプ5なら、責任という概念をいじくり回すでしょうけども、そのようなタイプ5が真面目で責任感が強いかと言えば、どうでしょうかね。通常レベルのタイプ5なら、責任そのものよりも、責任という概念を考えることの方に夢中になるでしょう。頭でっかちで実行が伴っていない可能性があります。


今回は、勝手に取り上げて解説しています。

迷惑なら、この文章は削除します。
分からない点があれば、コメントしてください。できる範囲で回答を試みます。

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