『言論の自由とその代償』を読んで

 何回かに分けて
元銀座のママと元小学校教師がPTA会長になって、ブラックPTAの改革に挑んでみた。
を読んだ感想を書いています。今回は感想の8回目です。

 エニアグラムでは、日本の国民性はタイプ6だと言われています。
 ここでは、タイプ6を通して、PTA改革の話の感想を述べます。

 『言論の自由とその代償』より

普段は理解のある、私の数少ない友人たちですら
「PTA改革などムリ」
「ママたちを敵に回す」
「子どもがいじめらる」
などPTA改革に大反対しました。

 タイプ6は恐がりです。何に恐がるかというと未知や混沌を恐がります。起きていないことを恐がります。
 未知や混沌が嫌いなので、従順型のタイプ6は普段はやさしく人に接しています。身近な人に対して、安心・安全・安定を提供します。ただし、あえて、「火中の栗を拾う」ようなことはしません。自ら安心・安全・安定を壊すようなまねはしません。

私は「言論の自由」と「責任」は
常にセットであるべきと考えています。
今回、私が執行部に立候補したのも
「自分がPTAを運営したことないのに、PTA批判するのは無責任である」

 これには異論があるので、私としてはスルーします。
 気持ちは分かりますし、この状況においては正しい判断でもあるし、うなずける言い分です。そうは想います。
 ただ、
これを言い出すと、「男の気持ちが女に分かるか!」とか「○○の辛さがあなたに分かるか!」とか「役者をやったこともないのに、文句を言うな!」とか「マンガを描いたことも無いのに批判するな」とか、変な広がりが出てくるからです。なのでスルーします。

 さらに、
「○○したこともないのに」という発想は、
塩村あやか東京都議会議員が、女性の出産・育児に関してのサポートについて質問している最中に、
「早く結婚したほうがいいんじゃないか?」「まずは自分が産んでから!」
といったヤジが出たときの、発想にもつながります。

 他にも、例えば、タイプ5は、「関わらずして専門家になる」ようなこともしますので、このような道をふさぎたくはなく、こういった諸々の理由から、この部分はスルーします。

 それに・・・ですね。「無責任」や「無知」から出てくる力や流れというのもあると思うのです。当事者でも無く、何も知らないからこそ、出てくる判断や怒りというものがあると思うのです。

また常々、PTA活動への不満を口にしていた
役員や会員たちは
「(批判が怖くて)決められない」と棄権に逃げたり
総会での反対派の数に圧倒され
直前まで賛成を表明していたのにも関わらず
反対に起立してしまい
環境改善のチャンスを逃してしまう事になりました。

 ここには、自らの安心・安全・安定のために、判断から逃げたり、数に流されたり、長いものにまかれるタイプ6の悪い面が描かれています。

今回の改編案への反対意見も
目先の自分たちの利益のみで
今後のPTA運営や他の保護者にまで配慮した
意見は皆無でした。
言論の自由とその代償

 ここで、反対している人々に関しては、タイプ6では無いと思います。
 混沌とした状況の中で、判断し、意見を言い、数に関係無く、自分を押し通している。からです。
 この方々もレベルは低いですが、この動きはタイプ6のものと違います。
 (2020/05/03追記、読み直していて思ったことを書きます。可能性としてではありますが、この動きがタイプ6だとしたら、直近の自分だけの安心・安全・安定や、狭い範囲での自分周りの安心・安全・安定のために、反対などの動きをしている可能性はあります)

 『元銀座のママと元小学校教師がPTA会長になって、ブラックPTAの改革に挑んでみた。 』に書かれているのは、
全体としてはタイプ6文化の中で、
その文化からはみ出るほどの自我をもった人たちが周りに影響を与えながらぶつかり合っている様子です。

※ 他の感想は、ハッシュタグ「#ブラックPTA感想」にまとめています。

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