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はじめてのインターネットは、小さな冒険に出る勇気をくれた

はじめてのインターネットは、親戚の兄ちゃんがやっていたMMORPG、ラグナロクオンラインだった。当時、小学校3年生か4年生くらい。

はじめて目にしたとき、とにかく驚いた。ゲームと言えば、1人でやるか、せいぜい隣にいる人とやるものだと思っていたから、画面を埋めつくすキャラクターすべてを他人が操作しているというのが、あまりに想像がつかなかった。

最近のネットゲームをプレイしたことのある人からすれば、「画面を埋めつくす」だなんて大げさな、と思われるかもしれない。

でも今は、当時と比べると明らかにプレイヤーの人口密度が違う。昔はゲームの数自体が少なかったから、ほんとうに人がひしめき合っていた。大げさでなく、常に渋谷のスクランブル交差点だったんだ。

ちなみに当時は、今や国内最古参のMMORPGであるラグナロクオンラインもβ版が出たばかりで、チャットもアルファベットしか対応していなかった。

日本語対応しない中で生まれた文化も多く、wが笑いの意を示すようになったのもそんな背景があったりする――なんてどこかで聞いた覚えがある。

ともかく、ほんとうはもっと前からインターネットに触れていたのかもしれないけど、「これがインターネットの世界か」と認識したのは、間違いなくそれがはじめてだった。

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世界中の人と一緒にゲームができて、だらだらおしゃべりを楽しむこともできるーー。

そんな魔法のような世界を早く自分の足で歩きたいと思った少年は、なぜかパソコンをねだるのではなく、パソコン教室に通うことを望んだ。

およそ20年前、まだ一家に一台パソコンが普及していなかった当時。両親もそういった仕事に就いていなかった我が家にパソコンが来る予定はなく、私はきっと、近所のパソコン教室に通うのが一番早く経済的で現実的だ、と判断したのだろう。

小学生がそこまで考えるか?と思わなくもないが、子供は結構大人だし、ときに大人よりよほど打算的だ。少なくとも、当時の私ならそんな判断を下しかねない、と想像できるくらいにはリアリストだった。

かくして、どこから見つけてきたのやら、近所の工業高校で毎週土曜日に開催されていたパソコン教室のチラシを両親に見せて、見事その権利を勝ち取ったのである。

(なんていうのは都合の良い改変で、実際はパソコンに興味津々だった私を見かねた母が、「こんなの行ってみるかい?」とチラシを見せてくれたのだった気もする。が、まあそこはあまり重要ではないので良しとしよう)

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通うことになったパソコン教室は、自転車で15分くらい、かつ大人でも漕いで登るのが難しい急坂の先、という、10歳にも満たない少年がひとりで通うにはやや心細いところで開催されていた。

近所ではあったけれど、遠く感じたものだ。

根っからアクティブな人ならいざ知らず、人見知りでインドアで、学校の休み時間も図書室にこもって本ばかり読んでいた私にとって、とてもとても遠い距離だった。

そんな遠い距離を埋めてくれたのは、小学生の私を突き動かし小さな冒険に出る勇気を与えてくれたのは、とにかく早く「あの世界に行きたい」という気持ちだ。

何度か通う中で、坂を登るのに疲れて泣いたことがあった気もするけれど、結局最後まで通い切った。

肝心のパソコン教室で習ったのは、なんてことない内容だ。タイピングの基礎からメールの送り方、年賀状のデザインから印刷の仕方、ブラウザの簡単な使い方などなど。

これから生活の中にパソコンを取り入れたい人が、まずはこんなところから、と一歩踏み出すためのものばかり。歩き方をフォームから習っているようなもので、はっきり言って楽しんで学ぶような内容ではない。

それでも飽きずに懲りずに続けられたのは、とにかくわくわくしたからだ。パソコンとインターネットは自分にとって知らないことだらけで、何をやっても楽しかった。


そんなこんなで、半年ほどかけてパソコン教室を通い終えるころには、はじめてインターネットに触れてから1年近く経っていただろうか。

それから少ししたころ、ついに我が家にパソコンがやってきたんだ。

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パソコンは、子供用にと両親が買ってくれたものだった。届いてすぐは、セットアップやらなんやらでなかなか苦戦したけれど、なにせ子供はスポンジのごとく吸収する。一週間もすれば、兄と2人で取り合いながらひたすらゲームに明け暮れていた。

はじめて徹夜したのも、このころだ。寒い冬場に、物音を立てたらさすがに怒られるだろうと暖房もつけず、毛布にくるまりながら息を潜めてかちかちとマウスをクリックしていたことを覚えている。

当時、ゲームに浸る時間が増えれば増えるほど、大人になる感じがした。

当時のラグナロクオンラインは無料だったのもあって、自分以外にも小学生くらいの年齢でプレイしている子はいたのだけど、それでも大半は10代後半から20代ばかり。そんな中に混じって生意気にチームリーダーみたいなことをやっていたのだから、大人ぶりたくもなろうというものである。

ネットの中の世界が楽しすぎて、かといって現実の世界をないがしろにしているわけでもなかった。昼間はふつうに友達と遊んでいたし、「それよりもゲームがしたい」とはならなかったのは、我ながら不思議だ。

ひょっとすると、「知らなかったことを知る」のが楽しかっただけで、結局ゲームやそこでの関わりそのものに強く惹かれていたわけではないのかもしれない。

その証拠に、中学生になってからはほとんどプレイしなくなり、それから半年もすると、ついに一切プレイしなくなった。

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何があったわけでもない。いまだに、当時の仲間たちと会って話ができる機会があるなら、会ってみたいと素直に思う。それでも当時の私は、自然と「かつて憧れた世界」から身を引いた。

以来、どんなゲームをやってもあそこまで夢中になれることはない。「はじめてのインターネット」だったからこそ熱中できたのだろう。

私にとってのはじめてのインターネットは、新しい世界との邂逅であり、小さな冒険に出る勇気をくれたものであり、仲間との出会いと別れを経験させてくれたものでもあった。

願わくば、またそんなパラダイムシフトに出会い、似たような体験ができればと思う。

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