同人いにしえの記憶

同人活動in宮崎

私が高校まで過ごした宮崎県での同人活動は、おもにイベント参加と通販だった。今日はイベントのことを中心に書く。

宮崎では当時、宮崎市で「南風」という個人主催イベントが毎月行われていた。しかし私の家は宮崎市から遠かったので、日向市のイベントに参加していた。こちらも個人主催で、定期開催ではないが、けっこうな頻度でやっていた気がする。

地方イベントで頒布するものといえば、コピー本とラミカと便せんである。オフセット印刷の本なんてのは高嶺の花だった。イベントでオフセット印刷の本が机に並んでいるだけで「やべぇ……大手だ……」みたいな感じだった。

コピー本

私はいつもデサキ(文具屋さん)で本文をコピーしていた。まんがアトリエ会員はモノクロコピーが@5円で使えたのだ。
でも今思えば、デサキのコピー機はどう考えてもトナーが薄かった。シャイガールオタク中学生の私は店員さんに言い出せなかった。言えば良かった、普通に。「トナー替えてください」って言えば良かった。でもトナー自体を知らなかった気がする。なら仕方ない。

表紙だけはセブンイレブンのコピー機でカラーコピーしていた。デサキのコピー機はカラーの質が今ひとつだったからか、そもそもカラー機能がなかったからか、思い出せない。

初めて中綴じのコピー本を作ったとき、面付けの見本としてコピー用紙で小さい本を作って、それを見ながら原稿を貼り合わせて、紙をどうセットすれば両面コピーが上手くいくのか試して試して、中綴じ用ホチキスでパッチンパッチンして、どうにか本が完成したときは、嬉しかったなぁ。本ってこうやってできるのかと思った。

ラミカ

ラミネーターは、デサキで仲良くなったお姉さんが「就職するからもう使わないだろうし」と言って、お下がりをくれた。
ハガキサイズまでラミネートできるスグレモノである。
そのラミネーターは今もクローゼットにしまってある。最近使っていないが、数年前にスイッチを入れたときはまだ使えたから、たぶんまだいけるだろう。
私はいつでもラミカを作れる。

便せん

初めてオフセット印刷で作った便せんは、よく懐かしワードとして上がるグラデ便せんですらなく、1色刷りの便せんだった。レッドさんとイエローを描いた気がする。印刷所の色見本を見ながら悩みに悩んで、薄い青の紙に濃い緑のインクを選んだ。あんまり売れなかった。母が「売れる色とかってあるからね……」と慰めてくれた。

あとは、家のインクジェットプリンターでフルカラー便せんを作った。きれいに印刷したくて、きれいモードに設定して印刷したら、アホほどインクがなくなって半泣きになった。

イベント

イベント前、10冊くらいコピー本を作って「刷りすぎたかなぁ……!!?」とドキドキしていた。
地元のイベントは募集スペースが30くらいで、サークル参加費は500円とかだった。安すぎる。と今は思う。でも当時は、知り合いのお姉さんから「コミケは参加費が7,000円くらいするんだよ」と教えてもらって震え上がった。
そういえば、最初のうちはイベントの1週間前くらいには印刷して製本していたような気もする。

人間は変わるものだ。




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