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5年日記の、心強さ。


悔しいほどの、いい天気。
窓からは、冬の光がめいっぱいに降り注ぎ、部屋じゅう金色だ。
ぼーっと目を細めてその光景を見てしまう。


今日明日と休んだあと、30、31は仕事なので、今年中にやるべきことはこの2日でなんとかせねば、と思う。

そう、今日は悔しいほどの掃除日和です。

大掃除といえば、とキッチンの換気扇掃除を試みる。
というのも、お恥ずかしながら本当に大掃除のときくらいしかやらないし、毎年夫に任せきりだったので、初めて自らふたを開けてみた次第…。


わぉ…
なかなかこれは…

でも一度取りかかるとひたすら集中して、汚れがひとつひとつ目に見えて落ちていくのが、快感でもあった…。


ふだん表面に見えていないところは、それ故におそろしくもあり、見て見ぬふり、という後ろめたさ抱えるもとにもなる。
実感をもってきれいさっぱりさせると、見えてなくても、清々しい気持ちになるものだ。

いつも子どもたちのサッカー用品でどうにもこうにも片付かない玄関も、年末ばかりはすっきりさせようと整え、内も外もあちこち拭きあげる。

空気が清らかになった。
これも、気のせいだけど、気のせいじゃないはず。


最後に、赤と白の水引飾りをドアに飾る。
少し離れて眺めると、すん、と日常のごちゃごちゃから離れて静かになり、あぁやっぱりいいものだなぁ、とこの季節を思う。



最近また、ためずに毎日(か、1、2日おきには…)日記を書いている。

5年日記の4年目が、もうすぐ終わる。
ついに、最後の1年が始まる!

うそみたい、こんなに書くことを継続できたのは、人生ではじめて。
でも、それは5年日記だからこそできたのかもしれない、なんて感じている。

だってまず、1年たたずにやめたら、もったいなすぎる。(ほぼ日の素敵な5年日記帳だし)
そして2年目になると、去年の自分の言葉、何気ない日々のことがとても懐かしく愛おしくなる。

3年目以降は、大げさだけど、変わらず営まれていく季節や自然の変化、自分の日常に、感動すら覚える。
毎年おんなじだな…は、ネガティブではなくてむしろとても尊いものとして感じられる。
もちろん世の中の状況は刻々と変化するし、子どもたちは成長するけれど。

…そう!
変化する中で、変わらないものを見つけられるところ、だと思う。


5年後なんてずいぶん先だと思っていたけれど、あっというまよね、もちろん。
でも、ここに確かに過ごしてきた日々があった、となぞれることが心強い。

ちなみに、去年の12月28日には、

自己嫌悪最低値の日。

なんて書かれていた。
あぁそうだったね、そうだったね、と1年後の私は笑ってわかってあげられている。


日記っていいですね。
5年日記、いいですよ~。





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