見出し画像

捨てる神あらば拾う神あり-今後の日本では買うより持たない覚悟が重要-

先週末は忘年会という日本の悪しき愚行に参加して調子が狂いましたが、筆者の「来年春先に毒親脱出」という目的を達成するために断捨離を実施しておりました。

あまり私物は多くないつもりですが、それでもここ2,3年で使っていないものから優先的にリサイクル屋で買取してもらいに足を運んでいます。

まだまだ先は遠いです。


さて、皆さんは空き家問題をご存じでしょうか?

日本ではベビーブーム終了後に少子高齢化が加速し、政治やメディアでは少子高齢化問題として色々と騒いでいますね。

言うまでもないことですが、どんな人間も例外なくいずれは亡くなります。宗教の話ではなく、現実に起きている形而下的な話です。

人はこの世に生まれ落ちた時から人間社会に深くかかわってきます。それは社会的、経済的、金銭的、物質的・・・全く痕跡の無い人間は余程特殊な例ですから別にして、必ず何らかの(意味的に)痕を残していきます。それが、人が生きるに当たって最も基本的な『衣・食・住』です。

衣=文学的に人の裸体を「産まれた時の姿」と表現しますが、一般的に産まれた後は衣服を身に着けて生活します。そして、亡くなってお骨になる直前まで服を身に着けていますね?(裸で焼かれるのは聞いた事ないですね・・・)

食=動物にとって食事は必然です。人間も生まれてから死ぬまで何らかの栄養を摂取し続ける以上は食事をします。もっとも、高齢になると自力で咀嚼できなく方が多いですから最後は点滴や胃ろうになるでしょう。自宅で最期を迎える方であれば、最期の食事の痕跡が残ると聞きます。逆に老衰を迎える為に意図的に水だけ、という例もあるとか。

住=ここでようやく冒頭にあげた空き家問題に繋がります(いつもながら長い前置ですみません)。自宅で亡くなる方、特に昨今は孤独死が増加していますから亡くなった後には家なり借り部屋なり残ることになります。

親族や関係者に後処理を任せるために登記の名義変更をしたり、生前相続する方が多ければ空き家問題がメディアで騒がれることはなかったと思いますが、実態として所有権の移転がないまま親族や関係者と連絡がつかず、誰も処分できない空き家が増え続けているのが空き家問題の現実です。


少し過去に遡りましょう。

日本はWWII前後までは大家族が多く、また土地や家を代々の家族が受け継いでいくケースがポピュラーだったでしょう。

ところがWWII戦後、日本の経済復興 ⇒ 高度経済成長に合わせて「マイホーム神話」が蔓延っていきます。

ガンガン働き、お金を稼いで、結婚し、新築の家を建てて・・・令和の現在から見ると『吐き気を催す社会勅語』ですね(筆者だけ?)。

「24時間働けますか?」というキャッチフレーズが懐かしいですね。

鶏が先か、卵が先かと言う話ですが、経済成長には国内生産=内需の拡大が必要でした。そのためには、とにかく日本国内の経済を循環させる必要性があり、そのため国内生産(GDP)とそれを支える国内消費が絶対的に必要でした。

消費者には『目的』『欲求』『期待』等の前向きな消費トレンドが必要になります。そこで国がメディアを使ってぶちあげたのが「西側=米国の自由で豊かな大量物質浪費社会」であり、「進学、就職、結婚、出産、家庭」という現在では常識として扱われているライフプランでした。

更にそこから「稼ぐためにはたくさん勉強して、良い大学に入って、良い会社に入って、良い人と結婚して・・・」とテンプレートとしての日本式幸福人生論(これは笑っていい)が成立していくわけですね。


ようやく現代に戻りました。

ここまで読んだ勘の良い読者はもう気づいていらっしゃると思いますが、空き家問題はつまるところ「過去の日本人が残した不始末」なのです。

わざわざ大家族中心社会だったところを核家族世帯として分裂させ、ただでさえ平地の少ない日本でわざわざ環境破壊をしてまで山を切り開いて住宅地を加速度的に増大。おまけに大量浪費という資源の少ない日本で愚かなトレンドを蔓延させ、最終的にバブル崩壊から回復できないレベルにまで日本経済を没落させました。

おまけに有権者の意識が低い事もあって法整備が追いつかないので地方行政が空き家問題になかなか手を出せず、自然災害や経年劣化による家屋崩壊が近隣住民のリスクになっています。

今、ミニマリストと呼ばれる人々は「持たない生活」をSNSやWeb上で拡散しています。しかしそもそも、日本のように人間が生活できる土地が狭く、資源の乏しい国においては「長年使えるものを大事に扱う」文化がありました。

庶民の服は仕立て直しが出来る着物を数枚、荷物はせいぜい引き車で運べる量、家屋は長屋(しかし火事に弱いので現代建築の鉄筋集合住宅のほうがいい)等、江戸時代において既に日本人による日本の生活形態が完成していました。(なにせ400年も続きましたからね)

筆者はポルポトのような国レベルでの原始時代の回帰を望んでいるわけではありませんが、現在の大量浪費文化や消費拡大トレンドを肯定できません。

必要な物を選定し、必要であれば手を加え、長く大事に扱っていく。不要な物や資源はリサイクルし、極力で不要な物を持たない。

結果、行き着く理想はミニマリズムになるのです。

最後に筆者の好きな格言を。

「足るを知る」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?