母が亡くなって2ヶ月が過ぎ

1ヶ月が過ぎた後自分のアパートに戻って寝腐っていた。
本当に寝腐っていた、ご飯も1日1食。
アホみたいな生活をしていた。
カウンセラーの先生からは生活リズムが崩れすぎて予約しても約束守れそうになかったので予約を入れたけどキャンセルした。
カウンセラーの先生からは、何から逃げているの?と言われた。
連絡を入れていたときはわからなかった。
とにかく何もしたくなかった。
父や姉や甥のために多少動けてはいたけれど、自分のアパートに戻ったらそう感じる、思うようになっていた。
PCを起動しても音楽を聞くくらい、ゲームをやっても続かない、
心療内科から処方された薬と最低限の1食のご飯を食べて寝るを繰り返していた。

2週間くらい自分のアパートに居たが、その後実家に戻った。
正直実家に居るほうが精神的には辛い。
父が何度も救急車で運ばれたり、
自分が寝ている隣の居間で処方されていた薬を全部飲み、遺書を渡され「情けない父でごめん」と別れの言葉を言われた場所。(助かったが)
そして母が突然亡くなった場所。

でも育児で大変な姉と甥、立ち直ろうとしている父のためにと言うところでは頑張れるのでまた戻った。

そして2ヶ月が過ぎて、アパートに戻って寝腐っていたのは母の死から逃げたかったのかなと思った。
いや違うのかもしれないんだけど思いついたのはこれくらい。
鬱の症状としてなんかあるのかもしれないんですけどね。


そしてもう1つ、今のあなたをお母さんが見たらどう思う?と言われた。

分からない。

カウンセラーの先生はみっともない、しっかりしなさいと言われそうと言って欲しかった、思ってほしかったのかもしれない。

2ヶ月経ってもなんて言ってくれるのかまるで分からない。

初孫が生まれて、長生きの味噌汁の本を読んで料理も少しやれる元気が出てきて両親もこれから良い方向に向いて動けそうだと思ったときに突然飛び降りて死んだ。
本当に、何を言ってくれるのか分からない。


たまたま姉が自分のマンションに荷物交換等で少しの間だけ帰る時、
父と2人で夕飯を食べねばいけなかったのだが、おかずを用意する気力もなくてよく行く居酒屋に久々に行こうとなった。
休日だったのもあり混んでいたがカウンターの席に座って食べた。
僕は薬がアルコールNGだったので飲まなかったけど。
直近の仕事の話を色々話した。
フリーランスのようなそうでないような仕事の仕方をしているので本当にいろんな話をした。
その中でふと父が俺は大丈夫だから自分のことに専念してもいいんだぞとは言ってくれた。
と言っている日の二日連続でノイローゼ気味の痛みが出て病院に行っていたんですがね。
父の大丈夫という言葉が信用できない。
何度もそう言われては救急車で運ばれていたりしたから。

生活保護を受けているので生活保護課のケースワーカーさん2人にも話した。
どうにもどうしたら良いのか分からなくて。

ケースワーカーさんにはまず自分の事を考えて、仕事も始めても良いくらいには回復したのだし仕事をする方向に動いたほうが良いよと。

幸い姉は父の面倒をできるだけ見てくれそうな事を言っているので、任せても良いのかな。


祖父母が亡くなった時は学生だったし、どう人の死を乗り越えたのか覚えてない。
その時は多分時間が解決してくれた。
最近は映画やアニメを見る元気が後述する薬のお陰で出てきたので人が亡くなり、それに対して登場人物がどう考えて立ち直ったり、何かを成し遂げようとするのかと思って見た。
ただ鬱病の、こんな自分みたいな話に参考になるようなものは無かった。
見ているのが作品が全然関係ないのかもしれないのが悪いのかもしれないけど。

今はやたら考える時間だけはあるから別に考えてなくてもいいネガティブなことをたくさん考えてしまう。
どうしてもポジティブになれない。
仕事はできるくらいには軽い鬱病くらいに回復した。
無理やり忙しくしたほうがこういうときはいいんだろうか。
辛いことが連続で起きすぎて訳が分からなくなってしまった。

抗不安薬と漢方薬を毎食処方されるようになってからは少し楽になったので少しずつやれること増やしていったほうが良いのかなぁ。

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