シモーヌの場合は、あまりにもおばかさん。----ヴェイユ素描----〈11〉

「…不幸のために自由な同意の能力をとり去られている他者に対して、そのような能力を生じさせようとするのは、他者の中に自分からはいりこんで行くことであり、不幸に対して自ら同意を与えることである。すなわち、自分自身を破壊するのに同意することである。つまり、自分を否定することである。…」(※1)
「…注意力とは、自分の思考を停止させ、思考を待機状態にし、思考を空しくして、対象へはいって行き易いようにし、利

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生きる

人生をどう生きるか?

つまりは、不幸な人生を送るのか?
それとも、幸せな人生を送るのか?
は、事実と現実のバランスを適切にとれる能力があるか?ないか?にかかっていると言っても過言ではありません。
事実が自分にとって不都合になると人間は大脳新皮質の知恵を絞ってとにかく現実逃避という能力を磨き上げます。

事実とは自然の摂理です。
現実とは人間の道理とも言えます。

しかし、必ず人間の頭脳で事実世界

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シモーヌの場合は、あまりにもおばかさん。----ヴェイユ素描----〈10〉

不幸と向き合い、それに敢えて自ら関わろうとする力、注意力。それは自然のうちに身につくようなものではない。「…おそらくはすべての努力のうちで最大の努力…」(※1)を払わなければ、ならないものなのだ、とヴェイユは言う。
「…不幸な人に注意をむけることのできる能力は、めったに見られないものであり、大へんむつかしいものである。それは、ほとんど奇跡に近い。奇跡であるといってもよい。そういう能力を持っていると

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2019年 おすゝめ漫画:幸子、生きてます 柘植文 著

33歳独身、不幸女を題材としたコミックです。
『野田ともうします。』で知る人ぞ知る、柘植先生の作品です。
私は鬱々とした投稿が多いのですが、この作品の素晴らしさは帯にもあるように不幸を笑い飛ばせる力がある部分です。
 描く側に精神的に余裕がないと自虐で笑わせるのは難しいのですが、著者のエッセイも他人を攻撃するような笑いや気分が落ちる笑いでは無く、独身女性の力強さや面白さを感じさせる内容と成っていま

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幸福

人間の最大の幸福は

人から必要とされること。

そして

人間の最大の不幸は

人から不必要とされること。

人として生まれ

そして

何故、人から人間になるのか。

しかし、時代と共に幸福の価値観は変わってはきていても、人間の根源にあるものは何も変わってはいません。

シモーヌの場合は、あまりにもおばかさん。----ヴェイユ素描----〈9〉

根源的な不幸あるいは生命を根こそぎにする不幸とは、それが「自他の区別のつきかねるもの」として見出されたがゆえに、「…何よりも名前を持たない(アノニム)もの…」(※1)として見出されるのだ、とヴェイユは言う。見出されると言うものの、しかし実はそのような名前のない不幸は、誰からもけっして顧みられることがない。そのような境遇に置かれた人は、名前ばかりでなく人格そのものさえ剥ぎ取られ、単なる「肉塊」のよう

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お金を使って幸せになりたいなら、どのように使えばいいか

皆さんはボーナスがでたら何に使いますか?

学生さんなどボーナスがない人は、大きめの臨時収入を思い浮かべてください。

その大きなお金を何に使ったらより幸せになれるのか…

例えば次の2択だったらいかがでしょうか?

・経験
・もの

どこかへ出かけたり、友人と会ったり、スポーツや体験や鑑賞や旅行や…いろいろな経験が思い浮かびますね。

それとも、暮らしを便利にする家電や、贅沢品、高級な料理などな

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共に生きる、光と影

人と共に生きることを決心したとき、大抵の人は幸せだろう。
「この幸せがずっと続く」
と思うかもしれない。

私はそうは思わない。
人と共に生きるとき、そこには常に「不幸」の影が付いて回る。どこにでも。

私にとって、「人と共に生きる」とは、「不幸を分かち合う」ことだ。
何度も不幸になって、どん底に落ちて、それでも谷底から這い上がるために人は誰かと共に生きるのだ。
私は幸せになりたい。けれど、心の奥

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不幸の前払い理論に思う

人生の早めの段階で不幸を「払う」と、そのあとはあんまり不幸がないって話を聞く。これはその人間に与えられた不幸の総量が決まっているという仮定であれば有効か。たとえば100あったら70くらいを先に、まあ十代二十代で経験してしまえと。残りの30はゆっくりぼちぼちと払っていけば楽である。だいたい人間がタフになってきて耐性もついてるんだろうからそんなにつらくもなかろう。

翻って俺の不幸とはなんだったか、と

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シモーヌの場合は、あまりにもおばかさん。----ヴェイユ素描----〈8〉

ヴェイユ自身にとっての不幸は、その肉体的苦痛に導かれるもののみならず、才能に充ち溢れた彼女の兄に対するコンプレックスと、自分自身の凡庸さに対する失望に伴われて、幼い頃から彼女の目の前に立ちはだかっていたものでもあった。
 ヴェイユは、自身の思春期の苦悩を次のように振り返る。
「…十四歳のとき、私は思春期の底なしの絶望の一つに落ちこみました。自分の生来の能力の凡庸さに苦しみ、真剣に死ぬことを考えまし

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