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【創作】ダブルリミテッドとかアイデンティティとか、そんなんじゃないの

「あっそうや!えっちゃん、これあげるわ」
渡されたのは四葉のクローバー。
「昨日の摘みたてやねんで」
確かにまだ青々としてる。ラミネート加工されたそれは、下に画用紙が敷いてあり、幼稚園児が短い指を懸命に伸ばして整えたような、不器用な丁寧さがこもっている。

「どう?ええやろ」
よくこんな園児の工作みたいなゴミを自信満々で人に渡せるな、と私は軽蔑する。なぜなら相手は私の伯母で、彼女は53歳だから。53の女が22の女に手作りラッキーアイテム(笑)をプレゼントするなんて。それも目をキラキラさせて。中学時代、バレンタインデーに友チョコと称してもらったチャンククッキーのことを思い出す。いびつな上に生焼けだった。

axh、と答えにならない音を出す。
こういうとき苦笑いで逃げても怒られないのは、私の特権。違う文化圏で育っているからしょうがないね、こういう時の受け答えがわからないんだね、と勝手に納得してもらえる。

***

子供の頃、母の振る舞いが周りの大人のそれと違いすぎて嫌だった。普通の声を出して普通に笑えない、意見を主張しようとしてもふにゃふにゃして何が言いたいかわからない、かと思えば急に叫ぶ。すぐにものを落とすし、全ての仕草がうるさくて、そもそも発音がおかしい。それら全部が気持ち悪くて、彼女のことを「劣った人間」と見做していた。小学生になった頃から、母は移民だから、ヨーロッパで育ってないし、英語が母語じゃないから。だから仕方ないんだ、彼女の育った場所ではこれがきっと普通なんだ、かわいそうに。違う文化圏にいるから子供からも馬鹿にされて、大変だな。そう思うようになった。そうでもしないと、自分が「劣った人間の子」になってしまうから。

11歳で私が「異国の母国」で暮らし始めたとき、学校には普通の子がいっぱいいた。もちろん彼女らは英語を話さないし、向こうの子達に比べて気持ちとか好みとか、わかりづらいところもいっぱいあった。けれどもみんなただ別のカルチャーで育ってきただけであって、「変」ではなかった。友達の家に遊びに行っても、料理中に油がはねたからって「っもういや!」と大きな声を出す親はどこにもいなかったし、「だってかゆいんやもん!」と蚊に刺された箇所を血が出るまでザクザクと肌を削るのは母だけだった。

母はどうやらこの国の基準でもおかしいらしい、そう絶望した4年後、母と父が離婚することになった。イギリスの学校に戻ることが決まったので、母とはそれきりほとんど会わなくて済むようになった。
変なお母さんの子供、でいる時間が減ることに私は喜びを感じた。

日本から戻ると、イギリスの同級生たちは驚くほどに「大人」になっていた。チューブトップの服で胸元を強調し、舌にもピアスを開け、昨日舐めたの「蛇」の質について話す彼女たちは、エミリはまだなの?とからかうように笑っていた。数年前まで一緒にローラースケートをしていたキャロリンやソフィーとはまったく別人で、わたしは4年間日本にいたことをあまり後悔せずに済んだ。私はまだ初潮を迎えたことさえ受け入れられていないというのに。

高校を卒業する頃、お父さんが死んだ。死因は、心臓がなんとかみたいなやつ。日本語でなんと言うのかわからないけど、れっきとしたミュンヘンのおじさん(彼はドイツ人だったのだ)って感じに太っていたから、まあそういうやつって言えばみんなわかってくれる。奨学金とかの手続きをすれば進学予定だったカレッジにも行けたはずだし、当時付き合っていた「蛇」の持ち主とその親は通学に便利なフラットを借りるから一緒に住んだらいい、と提案してくれたが、私はその「蛇」がどうしても好きになれなかったので、ちょうどいいやと父の死を言い訳のようにつかい、逃げるように日本の大学への進学を決めた。

日本の大学は、楽しかった。見た目がちょっとアジア人離れしてて英語ができるってだけでちやほやしてもらえるから、単位取得もバイトも全部イージーだった。英語ができるってだけでそれなりのレベルの大学に入学できたので、母のような変な人もいなかった。

母とは、大学入学手続きの際に1度会っただけだ。彼女は再婚しており、それなりに幸せなように見えた。ただそれは事実と異なっていたようで、53歳になった今年、旦那からのDVを理由に自殺した。

***

それで、私は母のお葬式にいる。特に母に思い入れなどなかったが、最後の挨拶にとやってきた。葬儀の手続きとか段取りは親族がやってくれると聞いていたし、相続したり私が片付けたりするものはほとんどないと思うけど、罪滅ぼしというかなんというか。こういうのを日本語では「とりあえずちゃんとする」と言うのだろうか。最近やっと「ちゃんとする」の意味がわかってきた気がする。

伯母から手渡された四葉のクローバーを見る。母みたいだな、と思う。伯母も、その親(つまり私の祖父母)も、ここに集まっている親族全員。なんだかみんなが変で、ここでだったら血が出るまで肌を掻きむしっても、ぼろぼろとこぼしながらお得用マドレーヌをかじっても浮かないんだろうな、と思う。母もずっと、ここにいればよかったのに。そうすれば彼女だって「普通」でいられて、子供から嫌われることもなかっただろうに。


オワリ


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