ストーンズとテロの物語――笠井潔、村上龍、長谷川和彦、F・F・コッポラ

(初出:電子書籍販売サイト「e-NOVELS」、2001年)

 笠井潔の小説デビュー作にして、現象学的推理を駆使するヒーロー、矢吹駆の初登場作『バイバイ、エンジェル』は、1979年に発表された。
 私は高校生の時、発表後間もない『バイバイ、エンジェル』を角川書店のハードカバー版で読んだ。その本の著者近影では、右手に吸いかけの煙草を持ち、左手をポケットに入れた長髪の若者が、顎を突き出し、不敵な表情でこちらをながめていた。作家というよりミュージシャンみたいなポーズの写真。小説の冒頭には、ローリング・ストーンズ〈悪魔を憐れむ歌〉の詞が引用されていた。そして、小説を読み始めると、やはり長髪で、マーラーの曲を口笛で吹く無愛想な青年探偵カケルの魅力に引き込まれた。
 私はこの本から、漠然と反抗のにおいを感じて、無邪気に喜んでいた。あの頃、この本は活字のロックに思えたわけである。
 それは、『バイバイ、エンジェル』の前後の時期に、ストーンズ関連の小説や映画が多かったせいもあるだろう。村上龍、山川健一といった作家、長谷川和彦、フランシス・フォード・コッポラなどの映画監督が、ストーンズのイメージを使うことで、作品を印象的なものにしていた。私は『バイバイ、エンジェル』を、そうした流れの一つとして読んだ。
 ここでは、国内ミステリ史における位置づけよりも、あえてストーンズ関連作品の一つとして『バイバイ、エンジェル』を語り、この小説が登場した時代風景を、私なりにスケッチしてみたい。

「五月革命」と『バイバイ、エンジェル』

 現象学的推理を駆使するカケルが、首なし死体、密室における爆殺の謎を追う。これが『バイバイ、エンジェル』の骨子である。パリを舞台に日本人はカケルしか登場しないこの小説は、愛憎渦巻くラルース家の物語として始まるが、やがて事件に過激な政治結社が関係していたことが浮かび上がる……。
 ミステリとしては、まず、犯人が死体の首を切断した理由が秀逸だった。また、語り手を女子学生ナディア・モガールに設定したことが効果を発揮しており、重いテーマゆえに硬くなりがちな内容を、青春小説的な甘さ、苦さで覆っているのもよかった。
 笠井自身がたびたび語っている通り、この小説は連合赤軍事件の問い直しを大きな動機として書かれている。68年をピークとする政治的な学生運動の波が70年代を迎えて終息に向かう一方、一部活動家は大衆運動とは離れ、爆弾テロなどで過激化していった。そして72年、組織内部でリンチ殺人を行った後にあさま山荘に籠城した連合赤軍事件が発生した。社会変革を目標に始まったはずの政治活動が仲間同士の殺し合いに帰結したこの事件は、60年代的な政治運動の終焉を告げた出来事と捉えられている。
『バイバイ、エンジェル』はこのリンチ殺人を、「観念の殺人」として批判することをテーマにしている。カケルは作中で殺人を、自己保存のための生物的殺人と、神・正義・倫理などの名で犯される「観念の殺人」の二種類に分ける。そして小説では、「観念」の比喩として悪魔のイメージが導入され、ストーンズが引用される。物語中盤の推理談義で、カケルは首なし殺人の犯人を問われ、「ルシファーさ」と答える。その時に同席した、友人・アントワーヌの反応を、ナディアは次のように書いている。

「堕天使(ルシファー)、地獄の天使(ヘルス・エンジェル)でもある……」カケルがアントワーヌの顔を見て補足した。アントワーヌは肩をすくめ、それからそっぽを向いて口笛を吹き始める。曲はローリング・ストーンズだった。わたしにはアントワーヌの皮肉の意味がすぐにわかった。〈ヘルス・エンジェル〉はローリング・ストーンズの親衛隊だし、口笛の曲は〈シンパシー・フォー・ザ・デヴィル〉の一節だったからだ。

 欧米や日本における60年代後半の学生運動拡大の背景には、セックス、ドラッグ、ロックンロールに代表されるユース・カルチャーの隆盛があった。政治的な反体制運動を、より広範で無責任な反抗の気分が取り巻いていたのだ。長髪=反抗のシンボルだった頃である。そんな反抗の気分を象徴するポップ・イコン(偶像)がストーンズだった。〈悪魔を憐れむ歌〉を発表した68年に、ストーンズのメンバーはドラッグ問題で裁判を受けており、このことが彼らの反体制的イメージに拍車をかけていた。
 しかし、ストーンズは反抗だけを象徴するのではなく、反抗の挫折をも象徴している。69年8月には、ニューヨーク郊外のウッドストックで「愛と平和の祭典」と銘打たれた大規模な野外ミュージック・フェスティヴァルが開催された。ベトナム戦争への反対運動が広まる中、「ラヴ・アンド・ピース」が合い言葉となるのと並行して、ポップ・ミュージック界では野外フェスが多く企画され、若者たちの祝祭的ムードを盛り上げていた。そうした流れに衝撃を与えたのが、69年12月、サンフランシスコ郊外のオルタモントでのストーンズ公演中に起きた事件だった。先の引用に出てきたヘルス・エンジェルが観客に暴行を加え、1人の若者を刺殺、その時の怪我で3人が死亡した(公演の模様は、映画『ギミー・シェルター』に記録されている)。この事件は、「ラヴ・アンド・ピース」の時代のエンド・マークとして記憶されている。
 そして『バイバイ、エンジェル』は、60年代的運動の挫折後の時期を舞台にしている。作中ではあまり明確に書かれていないが、例えば登場人物はこんなことを喋っている。

 裏切者さ、あいつは。薄汚い転向者だよ。アンドレは五月革命の時極左方針を主張する学生集団の指導者だった。それが今ではこの国のなかでもいちばん悪質な新興資本の手先になっている。

 ここで語られる「五月革命」とは、68年にパリで起きた学生暴動を指している。一方、『バイバイ、エンジェル』は、学生運動の波が引いた後の70年代のパリを舞台にしている。事件は12月から1月に起きるが、小説は(たんに春と書くのではなく)「五月」時点から回想した形をとっている。この設定には、五月革命的な60年代的運動と、その波が引いた時期の虚脱状態(70年代日本の流行語でいえば「しらけ」「三無主義」)の中で、観念化し過激化していった活動との距離をはかろうとする作者の意図がほのめかされている。
 笠井潔は、68年に政治結社に入り、黒木龍思のペンネームで評論を執筆していたが、74年から76年にパリに移り住み、この時期に『バイバイ、エンジェル』を構想した。カケル・シリーズでは、五月革命を経たフランスに、日本の学生運動の隆盛から退潮への流れが重ねあわされ、カケルもかつて政治組織の一員だったと設定されている。
 また、『バイバイ、エンジェル』では、ラルース家殺人事件の発端となった人物、イヴォン・デュ・ラブナンや、ナディアの父、ルネ・モガール警視が、かつて抵抗運動の闘士だったとしている。「観念」化の方向を常に有する政治組織というものの所属経験者を、若年世代だけでなく親世代でも登場させ、物語に奥行きを与えている。さらに、ヴァン・ダイン、エラリー・クイーン、エドガー・アラン・ポーなどミステリの古典の要素を取り入れるだけでなく、19世紀に「観念の殺人」を描いたドストエフスキーの先駆的作品(選民思想を持つ青年が金貸しの老婆を殺す『罪と罰』、政治組織内部の殺人を扱った『悪霊』)の要素も取り込んでいる(カケルの住まいは、『罪と罰』のラスコーリニコフの屋根裏部屋をもとに造形されている)。
〈悪魔を憐れむ歌〉の詞は、悪魔が登場し、キリスト処刑やケネディ暗殺を目撃したと主張する内容だった。『バイバイ、エンジェル』のラストでは、その歌詞のうち、ペテルブルグの皇帝暗殺に触れた部分を引用し、ロシア革命と作中の政治結社を並べて、歴史に遍在する「観念」=悪魔を印象づけている。〈悪魔を憐れむ歌〉はもともと、ミック・ジャガーが恋人マリアンヌ・フェイスフルからミハイル・ブルガーコフの小説『巨匠とマルガリータ』の内容を聞き、イメージを膨らませたものだった。このロシア作家の作品には、革命の経験が影を落としている。『バイバイ、エンジェル』におけるペダントリーや引用は、たんにミステリ好きの遊びにとどまらず、歴史を超えて跳梁する「観念」=悪魔を追跡するためにも働いている。

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