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2章-(9)大聖堂と聖母マリア堂

●  バスはイーリーの宿で、私たちを下ろしてくれたが、私たちは宿にすぐ戻る代わりに、目の前にある大聖堂へ向かった。ここはトムも訪れ、大聖堂の塔にも上ったのだ。

イーリー大聖堂は、大規模で壮麗、格式のある大寺院だ。ドムが上った塔は、足元が危険なため「出入り禁止」の札が立っていた。2階の回廊にある「ステンドグラス美術館」を全員で見学した。

聖堂の中は薄暗く荘重な歴史を感じさせたが、堂内のベンチには祈る人々の姿が多く見られた。時刻によって、聖歌隊が歌い出すことになっているのか私たちが堂内を見学している頃に、歌声が聞こえていた。

● 私と同室のSさんは、『トムは真夜中の庭で』の訳本を持っていて「ここに〈ロビンソン氏の墓碑銘〉があるはずよ。探してみたい」と言い出した。うろうろしたあげく、ついに見つけた。それは〈The Lady's Chapel〉につながる直前の壁に、大きく楕円形の形で掛けられていた。そこに刻まれていたのは、『この教会の祭壇の北側に、この町の紳士ジェームズ・ロビンソンが妻と共に埋葬されている。彼は1812年10月12日に、時間を永遠と取りかえた』という言葉だった。


ロビンソンの墓碑銘

Mr. Robinson who exchanged Time for Eternity という、ふつうなら who died と単純直裁に記すところを、婉曲に文学的に表現しているのが、面白く珍しく、ピアスの目を引き、心に残ったのだろう。

●〈The Lady's Chapel〉とは〈聖母マリア〉のことで、13~14世紀にマリア信仰が全国的に広まったとき(つまり、旧教、カトリック教が盛んな頃)国中の僧院や寺院に Lady's Chapel が増築された。

● イーリーでも同様で、普通は東端に建てられるが、ここでは牧師舘と北翼廊との間に建てられている。イギリス最大の規模で、直径12mの丸天井は、当時の石の天井としては、最も幅広いもの。これを建てるために、僧たちは日頃の慎ましい贅沢さえ犠牲にして寄進したが、費用の一部は、建設中に敷地内から掘り出された〈コインの壺〉のお蔭もあった、という伝説が残っているそうだ。

完成当時は、壁も天井も色彩にあふれ、中世最高技術のステンドグラスが、きらびやかに窓を飾り、精巧な彫像がくぼみの部分に建ち並んでいたはずだ。ところが、ヘンリー8世(1491-1547)以後、イギリスはローマ教会から独立して〈英国国教会〉を新設したため、マリア信仰は異端とされ、徹底的な弾圧と打ち壊しが行われた(1539年)。この打ち壊しが全国的に行われたため、今なお廃墟となったままの修道院や寺院、教会がイギリスのあちこちに見えるのだ。


●  私がこのことを知ったのは、英文パンフレットを日本へ持ち帰って、読みふけった時だった。私たちがが現地で見た The Lady's Chapel は、天井の高い広々として明るい礼拝堂の中が、ほぼ灰色一色で、壁のあちこちに剥ぎ  取った跡や窪みが、デコボコで目につき、これはいったいどうしたのだろう。第2次大戦の時に、戦災に遭ったのだろうか、それにしても、この場所の内部だけなのは、異常だし、建物の外形がそのまま遺っているのも納得がいかなかった。16世紀のマリア信仰堂打ち壊しの跡だったのだ。

そのパンフレットの最後に、1986年以降、募金が行われて少しずつ修復が進んでいる、と記載されていて、ほっとした。

● 6:40 皆で宿に戻り、夕食となった。109号室のH先生のへやに集まり、朝買物したものと、ランチの残りを合わせると、大量の食糧となり、吉松氏も加わって、大いに飲み食いした。                                                                その後、他のグループも加わって、全員で合唱、輪唱が始まった。Yさんのリードで「どうかどうか愛してくれ」「Bluebells」「クカブラ」「浦島太郎」「一寸法師」「花咲爺」「舌切り雀」「ももたろう」など、語りの時に子どもたちといっしょに謳ったり、聞かせたりする歌を次々に歌った。それから「雨の歌」を思いつく限り歌って、皆、満足!

懐かしい歌や物語歌など古い唄になると、少し年配のIさんがとてもよくご存じで、長い長い歌詞を最後まで歌い尽くしてリードしてくれた。9時半、解散。

● 部屋に戻ると、Sさんに言われた。
「遠藤さんは自分では気がついていないかも知れないけれど、人より何倍も頭を使っているのがわかる。とても疲れてるみたい。毎晩こんなふうに集まりが続いたら、ダウンするから、なるべく静かにしてた方がいいよ、うちの夫によく似ているから、よくわかるの」

そうか。彼女はよく気のつく目配りの良い、察しの良い有能な奥さんなんだ、とまたまた感心した。

「先生にも伝えといてあげるね」
そう言ってくれて、風呂はぬるめに張ってくれた。ほんとに有り難かった。ポーランド行き以来の寝不足の疲れが、顔にすっかり出てしまっていたらしい。今夜は眠り薬は飲まず、すぐに寝てしまおう。こんな道連れだったから、この旅は快適だったのだ!

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