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2章-(3)妻たちと一同会食

シコフ夫人は私を他の3人の夫人たちに紹介してくれて、挨拶を交わすことになった。同行の夫人は私を含めて5人とわかった。

ポーランドから来たアンナは、微生物学者博士号を取り、6年前から夫と  同じ大学の傍にある病院に勤めている。夫君とポーランドから車で来たが、大変な渋滞で、苦労したのだとか。東ドイツは元は道路がボコボコだったが、今は建設が進んで、見事なハイウエイに変わりつつあるが、そのために車線が少なくなり、渋滞になってしまうそうだ。
彼女の年齢は最後まで見当がつかなかった。子どもはなく、この3月9日に最愛の母上を亡くし、まだ喪を解く気持ちになれない、と言う。

アメリカのノースダコタから来たエリサは、メキシコ人ゆえ、肌は浅黒く、よくインド人やインディアンに間違えられるという。結婚してまだ1年たたないので、やっと2週間前にビザが下りたばかり。3年経たないとアメリカ市民になれず、選挙権もないそうだ。

メキシコでは英語の先生をしていたそうだが、発音はひどくて「黄色」は「ジエロウ」、「若い」は「ジャング」になり、それをものすごい早口で  しゃべりまくるので、耳をそばだてていなくては話の行方が掴めなくなる。

彼女が驚いていたのは、オランダの夫人たちは、厳しい顔をしている人が  多く、めったに笑わないことだって。メキシコ女性はいつもスマイルして   いるよ、と。

私がオランダで見つけた花や木の名前を知りたくて、何人にも訊いてみた
けど、わからなかった話をすると、彼女も知りたがった。メキシコでは、 黒い花〈濃い灰色〉が葬式に使われ、11月が黒い花の月で、どの家庭でも飾って、故人を偲ぶのだそう。

シコフ夫人が、英語の苦手らしいスペイン人のジュデイットを連れて来て、エリサに引き合わせたら、2人がスペイン語でどんどん話が進み初め、私はしばらくひとりで黙っていられて、気が休まった。2人は年齢もほぼ同じ くらいで、たぶん20代後半から30くらいらしかった。  

ふと思い出して、シコフ夫人に I have something for you. と言って、日本 からのお土産を渡したら、彼女は末席にいる夫のシコフ氏と娘のシルヴィアのいる席へ持って行き、早速包みを開いてみせた。夫君へのネクタイ、ペアのお箸、藍染のテーブルクロスのひとつひとつをとても喜んでくれた。特にテーブルクロスは、ブルーのテーブルを持っているので、ぴったりだと本当に嬉しそうだった。

7時過ぎから、同じへやで食事になった。へやの片隅のテーブルに並べた 料理を、自分で取ってくるビュッフェスタイルだ。私は「サラダ・ポテト・フィッシュペイスト。酢魚。ビーフシチュー・ビーンズ」を選び、ワインももらった。

夫は私が夫人達とおしゃべりしていた間、ドラゴヴィッチ氏と何やら懸命に、数学の計算をしたり、議論したり打ち合わせをしていた。

食事が始まると、つい最近、東京の理科大での〈情報関係学会〉に参加してきたという、オーストラリア出身のボロヴィッチが一番よくしゃべった。 浅草へも行き相撲が大好きだと言う。日本では赤信号になると、皆いっせいに止まって、ほとんど誰も飛び出さないが、ヨーロッパでは、ほとんどどこでも、赤信号でも渡っている。日本のあれはなぜ? とまず夫に尋ね、夫が首を傾げると、今度は私に問うてきた。私自身は子どもに見られていなければ、左右を見て安全そうなら、赤信号でも渡ったりしているが、理由を説明するほどの意見を持ち合わせていなく、言えなかった。彼はhonest な国民性のせいかな?と言った。

隣席のユーゴースラヴィア出身のドラゴーヴィッチが、私にアムスで美術館を訪ねましたかと、質問してきた。皆が一斉に耳をそばだてている。ヴァンゴッホを見たと応えると、感想を聞かれた。「見ていると、彼の狂気に引きこまれるようで、自分のへやに飾るほど好きとは言えないです」と応えた。私は英和辞書に従って「ヴァン・ゴウ」と発音した。すると、シルヴィア・シコフが「イギリス人は正確に読めなくて、発音できないから、そんな風に読むのよ。本当は〈ファン・ホッホ〉が正しい」と言って、二度三度発音してみせた。〈ホ〉は、喉の奥をくっと引き締めて破裂させる音で、なるほど難しい。

私が手洗いに立っている間に、お開き宣言がなされたらしいが、外はまだ 夕方の明るさで、子どもたちがボール遊びをしていた。時計は9時15分。

バスで宿に帰り着いて夫の顔を見ると、げっそり疲れ果てている。しかも 入浴しようと服を脱いだら、首筋、背中、手首などジンマシンがいっぱい 出ていた。ワインと魚がまずかったか、と言い合う。その上、入浴が大好きなのにシャワーをかぶるだけなので、夫は出て来た時には鳥肌だっていて、「こんなで1週間過ごすのかね」と、ますますげっそりしていた。日中は暑いほどでも夕方は肌寒く、浴槽に入れないのでは疲れも取れないのだった。

私は心配で、戸棚の中の予備の毛布を、1枚ずつ足しておいた。

シャワー室の床は、10cmほどの深さの受け皿になっていたので、湯を 出しっぱなしにして、10cm分ため、それを体に駆け続けて、なんとか 温まるまで頑張ったので、私の方はなんとかなった。耳栓とアイマスクを して、10時少し前に眠った。

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