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 5章-(1) みさ、三の割へ

3週間も過ぎると、保の顔色はかなりよくなっていた。かよが土に書いてみせる文字を、保はつぎつぎに覚えていく。それが楽しくてならないらしく、かよが学校から帰り階段を上って門に入ると、保はそれまで待ちかねていたように、門の方を見ていて、かよににっこりするのだ。

それで、かよはきれいな着物に着替える前に、その場で、今日習った文字を書いてみせることにしていた。

それは、かよがうちに帰る日の、とめ吉も同じだった。朝早くから起きて いて、朝食を作りながら、戸口を出たり入ったりして、かよの帰りを待っているのだった。

あんちゃんのカズオと、とうちゃんのヨへイだけでなく、亡くなった母の チヨの名も、軒下の土の上に並んでいる。ヨの字が、3人にあると、とめ吉は驚いたように言った。ズはスエのスに点々がつくんだ、と気づいたのも とめ吉だった。

かよが帰るたびに、教科書と帳面を見せると、挿絵を見て、タコ、コマ  など、文字を言い当てて、それを土の上に書くこともある。ほんとに頭の いい子なんだと、かよは感心した。

そして3週間目の今日は、みさを連れて帰る約束になっていた。その日は、みさの父親のあばれの作造が、隣町の親戚の茅葺き屋根の普請の手伝いに、2日がかりで行くことになり「みさ、ちゃんと留守番しとけ」と、言いつ かったそうで、みさはこの時とばかり、かよに連れてって、と言い出したのだった。

そして、都合のいいことに、この時も、かよのとうちゃんはお屋敷の田んぼの手伝いで、じいちゃんちでの泊まりが、始まった日だった。つまり、2人のとうちゃんたちが、つきあうんじゃねぇ、と禁じていた娘たちは、秘密の友だちとして、とうちゃんたちを裏切ることになったのだ。

朝、暗いうちにかよが門を出ると、階段下でみさが待っていた。
「とうちゃんが出かけてすぐ、朝メシだけ食って、火事をおこさんよう、 火の始末と戸締まりだけ、ちゃんとして来たんじゃ。うちもあんたんちに 泊めてもらうんじゃもん。よそに泊るの初めてじゃけん、ドキドキじゃあ」 

みさはほんとに嬉しそうだった。風呂敷包みを背中にしょって、かよと並んで、ウキウキと三の割へと向かう。中島からあまり遠出をしたことがない そうで、あちこち見まわしてばかりいる。汐入り川の橋を渡る時に、かよは帯江のあたりでは、この汐入り川に、間引き子をアシ船に乗せて流す話を、みさに語って聞かせた。

「つる様もそうなるんじゃったん?」                 「うん、そうなんじゃ。庭で洗濯物干しとる時に、婆ちゃんたちが話しとるのが聞こえてな、うち、飛びこんでって、うちが育てるんじゃ、て叫んだんよ。とうちゃんも流す気は無うて、守ってくれて、お屋敷にお願いしてくれたら、もろうてくれることになったんじゃ」

「うちら、ほんまに、生きててよかったな。流された子らの代わりに、うんと長生きしような」
と、みさがそう言った。

うちの庭へ入ると、とめ吉とすえが、いつものように、戸口でかよを待って顔をのぞかせていた。

みさは2人をみると、大ニコニコで駆け寄って行った。
かよはすぐに言い添えた。                      「ねえちゃんの友だちじゃ。今日はお客さんで、泊るんじゃ。みさちゃんて言うてな。ここにある字は全部、こん人が教ぇてくれたんじゃ」

とめ吉は目を丸くして、尊敬の目で、みさにおじぎをした。すえも真似しておじぎした。
「ねえちゃんの先生じゃな。うちに泊る、いっちゃん初めての人じゃが」

とめ吉の言葉に、みさが首をすくめて笑うと、とめ吉をほめた。     「ここに字をほったんじゃな。上手じゃが、しっかりしとるわ。かよ   ちゃん、教えるのも上手じゃけん、ちゃんと伝わっとんじゃ」 

みさはその後、背中から風呂敷包みを下ろして、入れてあった土産物を取り出した。切り干し大根、干した里芋の茎、大豆の若い実だ。

それを見て、かよはとめ吉に言った。

「米をまたもろうて来たけん、豆入りたきこみごはんにしててくれる?  ねえちゃんは布団と、掃除と、風呂水汲みと、ちゃっちゃとすませるけん」「わかった、麦も入れるけんど、うめぇのができるでぇ!」         とめ吉は腕をまくって、台所に消える。

すえはみさに近寄りたくて、うろうろしているのを、みさがひょいとつかまえて、高い高いをしてやると、キャッキャと喜び、それからはみさのもんぺにつかまるようになった。

かよは身軽に、全部の布団を物干しに干してまわった。かあちゃんが使っていた布団も、みさのために干した。

「うちも何でも てごうするわ。いっしょにやりゃ、楽しいもん」とみさ。

「今から、うち中掃除するけん、てごうしてな」とかよ。 

  
  (画像 蘭紗理かざり作)

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