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ラジオ体操の思い出

朝のラジオ体操だけは、Eテレの番組に合わせて、なるべく毎朝続けようと努力している。時々寝坊してやり損ねたり、パソコンでnoteに載せるものを書いている途中で、体操は諦めることもある。実行できた日は、5年日記の毎日の初めに「ラ」の文字を入れておく。その日を数えてみたら、今年の 1月は19日、2月も19日、3月は18日やっていたことがわかった。

「ラジオ体操第一」をやっているときに、10番目の「両脚を開いて、両腕と腰をぐるっと左右に回す」場面に来ると、私の頭の中に、必ずK先生の姿が浮かんで来て、ほっこりする。高校時代の体操の女先生だったK先生に、ほめられた思い出が、70年後近い今も思い出されるからだ。

ある時、ラジオ体操第一をやっている時に、10番目の動きをした直後に、先生は急に声を上げた。「みんな、ちょっとやめて、そこはもっと腰をぐるっと回して、腰まわりの筋肉をほぐすのよ。藤原さん、あなた今やってた みたいに、もう一度やってみて。とってもいい動きでしたよ」と、私をほめて、皆の前で、やらされたのだ。先生にほめられる動きをしていたとは思ってもいなかったので、気恥ずかしいが、嬉しくもあった。私がやってみせると、皆にも腕を大きく回すと同時に、腰も回すことをやらせたのだった。

この先生は、私が一番嫌いと決めていた先生だが、その時から少し「嫌い」がゆるんでいった。

1年生になったばかりの最初の体育の時間に、ひとりずつ名前を呼び上げ、顔と名前を確かめている時、私の番になると、頭の先から足元までじろじろと見つめて「お姉さんはあんなにおきれいだったのにねぇ」と呟いたのが、聞こえて、感じ悪い、と即座に〈嫌いな人〉に分類した。姉はたしかに私と正反対の、色白でふっくらとして、肌の美しい、一重まぶたの日本型美人だ。部活は体操部で、先生の指導を得て、県大会に出場していた。回転、逆立ち、開脚、脚上げなど美しく出来る人だが、私はまるで運動音痴だった。当時の私ときたら、やせて小柄で、脚も腕も細くてゴボウみたいに、荒れ肌だったのだから、姉に比べてそう言われても当然だったのだけど。

私が高二の終わり頃、廊下でK先生に出会った時、先生は足を止め「まあ、こんなにきれいになって」と感嘆の声を上げてくれた思い出も残っている。私が読む本の内容を変えた1年生の中頃から、私の心情と表情が柔らかく なっていたのは確かだった。2年生になる頃には、身長も体重も増え、少しふっくらもしていたのだった。

ラジオ体操をすると、その先生との思い出が蘇るのと、先生は「ほめる」と生徒がどんなに変わっていくかを、知っているべきなのだと思うのだ。

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