2章-(6) 啓一とニワトリ
作造はかよに目を止めて、言った。 「ほんま、ちよさんによう似とるのう」
あきれたように、首を振って黒い激しい目を見張った。
「そのちよさんは、こげんかわいかったん。惚れとったんじゃろ。 作やんは」 「あほぬかせ。いや、やっぱし、惚れとったんじゃのう」 作造はその冗談に乗って、嘘とも本気とも取れる、大真面目な顔で言った。「へじゃけど、わしゃ、あほじゃけん。余平さんのために、仲立ちしてやったんじゃ」
あはは、あほらし。おトラさんが肩を揺すって笑った。作造も、苦笑いして、振り切るように出て行った。
つるがこんど目が覚めるまで,自由にしておいで、と下女がしらのおキヌ さんに言われて、かよはじいちゃんの家へ向かった。ここへ来る間に、つるの汚したおむつを、納屋の隅に隠してきたのだ。
まさきの垣根を越えると、大きな鶏小屋でけたたましいめんどりの騒ぎ声がした。グウエッ、コッコッコッ。
「なんじゃ、啓ちゃんじゃが・・」
かよが小屋をのぞくと、啓一がザルに卵を拾い集めている。とさかがだらりとたれた、際だって大きなおんどりが、その啓一のすきをねらって、とびかかろうとしている。
かよはマサキの枝を長目に折り採って、シッ、シッと雄鶏をけん制した。啓一は背を丸めて、やっと小屋の入り口から這い出てきた。
「ふうっ、大仕事じゃ。わしゃ、あいつの敵なんじゃ」 啓一はおんどりに、あかんべえをしてみせ、竹格子ごしに、卵の山を見せびらかした。 「あっちの鶏は卵を抱えこんで、座っとんじゃ。そのうちひよこがぎょうさん出てくるで・・。ああ、助かった。あしたも頼まあ」 「毎日でもええよ。なんかかぶりゃええのに」 「そうじゃ、ふろのおけを、かぶりゃええなあ」
かよはくっくっと笑った。大きいとめ吉と話してるみたいだ、
「そうじゃ、啓ちゃん、このへんに川はないん?」 「あらあで。ぼっけぇ、でっけぇ高梁川があらあ」 「うち、おむつ洗いに行ってくるわ」 「あほ、なんで川へ行くんなら。井戸があるがな。高梁川はずっと先で 遠いが」
かよはぽかんとして、啓一を見た。井戸でおむつを洗うなんて、そんなもったいないこと! お水神さまのバチがあたるわ。
「おれ、水くんじゃらあ。たらいは、あそこにあるで」 啓一は卵のざるを置きに、台所へ駆けこんで行った。代わりに,木のふちがもろけている小型のたらいを持ってきた。かよはしぶしぶ、おむつを持って、ついて行った。
ガラガラガラ。啓一が慣れた手つきで組み上げてくれる。かよはうしろめたい気持ちで、汚れ水を庭木の近くに、遠巻きに流して、ほっとした。
その夜、かよはじいちゃんのへやで、布団を並べて寝た。納戸のそのまた 奥に、6畳の隠居部屋があって、じいちゃんがいつもは独りで寝ているらしい。啓一は納戸の西隣の3畳部屋に寝ていた。じいちゃんの息子の、喜平と妻のヨシ夫婦は、納戸の東隣の6畳の座敷を使っている。
静かな暗闇の中で、かよは目をぽっかり開けている。ザザアと波のように 過ぎて行った驚きづくめの1日が、今どっと大波となって、押し返してくるようだ。
おくさま、旦那様、宗俊ぼっちゃん、おトラさん、啓一、作造。おシズさん、おキヌさん、男衆7人。沢山の顔が重なり合い せめぎあって迫って くる。
ふうっ。かよは大きく吐息をついた、夕方はずっと,つるを抱っこさせて もらえたけれど、夜はおトラさんに預けなくてはならなかった。夕べまで、手の届くところに寝ていたつるの温かな寝息のないのが、なにより寂しい。
「眠れんのか。かよ、さびしかろう」
じいちゃんが天井を向いたまま訊いた。とうちゃんが年を取ったら、そっくりこのじいちゃんになりそうなほど、よく似ている。
そりゃ、寂しいけど・・かよは首を振った。
「つるが川やこに流されるより、よっぽどええ。がまんすりゃ、ええもん」かよはささやき声で はっきり言った。じいちゃんが驚いたように、声を 強めた。 「そうか。そげんことがあったんか」
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