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 1章-(3) 実行までの手順

● 旅を終えて後に、この一覧表を見直してみると、現地で実際に物語中での表現と現場を確かめてみることができたのは、ボストン、ピアス、アトリー、ランサム、ポター、ファージョン、サトクリフの作品群であったことがわかる。

中でも、アリソン・アトリーの『時の旅人』に関わる場所が多く、スコットランドのメアリー女王が、イングランドのエリザベス1世によって捉えられ、〈チャッツワース〉に幽閉された部屋を、実際に見ることができた。

また、〈ルーシー・M・ボストンの舘〉と、フィリパ・ピアスの〈トムの庭〉訪問は、物語の中にも扱われている〈時〉を、なまなましく実感させられた。そして、千年経った今も、子孫達が住み続けている〈アランデル城〉や、廃墟となっている〈ウイングフィールド=『時の旅人』の舞台であった〉見学は、いやでも栄枯盛衰の〈時〉の流れを考えずにはいられなかった。

今回の旅は、物語に描かれた場所を辿ることが目的だったのだが、旅を終えて感じられるのは、旅の間、一貫して、イギリスという国の〈時の経過〉を体感していたのだ、ということだった。

かつての7つの海を制覇した栄華の時代の名残や、歴史の爪痕の残る荒れ果てた教会の内部など、〈過去〉を目にすると同時に、〈現在〉も変わらず営まれ続けている羊の放牧のさま(人口の倍以上の羊が飼われているとか)や、時間と共にめまぐるしく変わる天候の中で、頑固なまでに悠然と自分流の生の楽しみ方を貫く人々の姿ーーそれはこれからの〈未来〉も暗示してーーを目に焼き付けてきたのだから。

●こうして2年6ヶ月間に23回の勉強会を重ねる内に、いよいよイギリスへの旅の計画が、実施1年前の1997年6月頃から、実際に動き始めた。

この時、中央大学の池田正孝先生により、旅行社として〈ブルーエコー・ツアーズ社〉を紹介された。先生の助言も頂いて、計画は少しずつ固まっていった。「くにたちおはなしの会」の、H,I,S氏らが中心となり、会員のアンケートを採り、メンバーの意見や希望が確かめられた。

最終プラン表が配布されたのが、1998年5月2日のこと。この時、6月は  「ウインブルドン・テニス・トーナメント」の時期と重なるため、ロンドンでの宿が取れず、予定が1日短くなり、6月17日から27日までと決まった。

最少催行人数は15人以上というのだが、高齢の同居人を抱えている人が多いため、一時は人数不足気味でハラハラさせられた。かと言って、見知らぬ人を加えての旅にはしたくないと、外部からの希望者はお断りして結局、「タンポポ読書会」のOさんと、「くにたち絵本の会」のKさんが同伴することになった。2人が加わってくれたことは、結果的には素晴らしい刺激剤となった。

Oさんは出発までの短い間に、これまでの私たちの勉強の成果である、全てのプリントを読み通し、作品を読んで勉強し、現地では、好奇心いっぱいで動きまわり、その上、カメラと地図に強く、どのグループにも溶け込める、笑顔いっぱいの人だったから(それ以来、今も私の親友となっている)。

Kさんの方は地味な人柄ながら、熱心にメモを取り続け、ひそかに植物採集も実行していて、帰国後に全員で『旅行記:ダウンズを越えて』を作成した時、その植物採集が助けになってくれた。

ブルーエコーツアーズの随行ガイドの吉松実添氏が、2度勉強会の席に説明にみえ、5月半ばには、468,000円の費用も納め終った。

●それぞれの家庭に、病人や老人を抱えながらも、行くことに決断したメンバーたちは、土壇場で行けなくなることが、何より気がかりだった。Sさんと私は勉強会の帰りに、通りかかった高幡不動にお参りしたくらいだった。

後で知ったのだが、Sさんは数ヶ月前から、周到な準備を重ねていたのだ。

こうして、いよいよ「計 16人と添乗員 吉松氏」の、〈旅〉は本当に始まったのだった!


私の荷物、目立つ物を添えて

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