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#13 「過度に期待する」 / JINENコトハジメ

・ Podcast「JINENコトハジメ」の文字起こしを中心としたpostです
・【文字起こし】の部分は無料でお読みいただけます
・【解説】【参考文献】の追記後は、その部分は有料公開にする予定です

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【Podcast #13】

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【文字起こし #13】

山田:
皆さんこんにちは。JINENコトハジメのPodcast第13回を始めたいと思います。このPodcastは、「自然経営って何?ということを、自然経営研究会の発起人の1人である私山田の立場から語っていこうというシリーズです。
毎回、聞き手役をお呼びしていまして、今日は麦ちゃんに来ていただいてます。よろしくお願いします。

麦:
よろしくお願いします。

玉城 麦野(Mugino Tamaki)

沖縄で育ち、京都で学び、東京のITベンチャーで4年間働いた後、カミーノ巡礼、ヴィパッサナー瞑想、古民家でのシェアハウス暮らし、コーチングやファシリテーションの研究、腹筋、散歩、お昼寝などに精力的に取り組む。

現在は「オンラインで働く自由な人」になろうと決意し、2020年1月から台北に移住。対話の場づくりやファシリテーター、島嶼部プロジェクトのコーディネーター、小中学生のネット担任などの分野で活動中。

自然経営研究会代表理事、奈良県立大学「撤退学」研究員、「生命知」の研究実践を行うOrganic Organization Library研究員、資本主義探究部 部員、その他。

山田:
お願いします。今日から3回は、自然経営に対する「ありがちな誤解」についてを話したいと思います。1回目の今日は「過度に期待する」ことについて。
前半は少し僕の方から説明をして、後半に麦ちゃんと対話しながら、色んなことが見えてくれば良いなと思います。よろしくお願いします。

麦:
はい。

山田
そもそも、なんで「ありがちな誤解」っていう切り取り方で自然経営を話したいかというと、もともと言語化して伝えるって本当難しいなっていうことに、過去2〜3年苦労してきています。

じゃあ何で難しいかというと、組織の捉え方がそもそも全然違う。
よく「機械的な組織」から「生命的な組織」って言うみたいに、組織そのものが進みたい方に進むことを大事にしよう、と捉え方が違う。
組織への関わり方も違って、機械だと部品を変えるみたいにここを良くしようと、ある種、介入することがやりやすいけど、自然経営で言いたいことって、自分と組織が分かれてない、主体と客体がわかれてない状態で、自分もその一部だとすると、すごく捉え方と関わり方が違う。そこが難しいなと思っています。

一方で、その辺の捉え方は違うんだけど、「じゃあ具体的にやることって何?」に行くと、実はそんなに変わらないことも多かったりする。

例えば「仕事の頼み方」とか、会社だったら「評価制度」とか、最後にやることってそんなに大きく変わらないことも多い。
そこの思想とか概念の違いはありつつ、やることはそんなに違わないのが伝えるのが難しい原因だなと思っています。
そこをうまく咀嚼して伝えるのに、「よくある誤解」から伝えると、もうちょっと立体的に伝わるかなと思ってます。

麦:
うん、なるほど。

山田:
その中で、いくつかの誤解の切り取り方があると思ったときに、「過度に期待する」ことが今回話してみたいことです。

「過度な期待」って、今捉えているのは大きく三つあって、
1つ目は、「自然経営って理想的な組織だよね」と、過度にそこが良いものだと思っている。
2つ目は、「自然経営を実践すると、社員が必ずみんな幸せになる」という期待。
3つ目は、「自然経営を実践すると、創造性が高まる」とか「クリエイティビティが発揮される」こと。

1つ目からちょっとずつ簡単にいくと、「自然経営って理想的な組織だよね」とか「これが理想です!」とかが、よくある誤解、捉え方だと思っています。

大前提として自然経営って、環境に合わせてあるがままに変化する。違う回に話したは、木が育つときに、木は最初から「この形になろう!」と思って育ったのではなく、その環境に合わせて、一番伸びたい方向に伸びていったら結果的にその木の形ができる。
決まった形が先にあって、それを目指して下さいっていうのは全くない。
その環境に合わせて、自分たちの求める姿は自分たちで探したり、描いたり、実現したりしに行くことだ、というのが大前提で自然経営でやりたいこと。
なので「これが理想です」っていう形がそもそもない。最初からゴールがあって、追い求めに行くのは違うな、というのは結構大事なところだと思ってます。

ちょっと違うんだけど、「ティール組織」の著者のラルーさんも、「ティールを目指すっていうのは絶対にやめて下さい」と言っている。
それは組織の姿をコンセプトとかそういうものから求めるのではなくて、「自分たちがどうありたいか?」「どうなりたいか?」からちゃんと組織を作っていって欲しいのだと常々言っている。
そこも違った切り口だけど、繋がるところだと思っています。

2つ目、「自然経営を実践すると、社員のみんな幸せになるんだ」という、過度な期待もある。これは想いを持って社員を大切にしたい経営者の方ほどよくある。
それ自体はすごくいいことだと思います。ただ、自然経営とか、こういう自律的・主体的な組織が必ずしもみんなにとって幸せではないというのは、結構丁寧に扱った方がいいことだなと思っています。

自然経営もそうですけど、一人一人が自分の熱量をすごく大事にして、その人の判断をなるべく大切にしようという状態は、私自身は良い状態だと思うし、それに意義を感じて楽しく働ける人もいると思います。

一方で、それが全員か?というと、そうではない。
ある意味でそれは厳しい環境で、「少なくとも今は、私にやりたいことはないです」っていう方とか、「言われたことを着実にやることが私の喜びなんです」っていう方からすると、必ずしも「あなたは何が熱量の源なんですか?」とか「あなたがやりたいことは何ですか?」って言われることは幸せではない可能性はある。

あと、やってる事業内容がすごくレベルが高いのに、能力がそこまで追いついてない人が「あなたの好きなようにやっていいよ」って言われるって、すごく過酷な環境に裸で放り込まれることに近い。そこの掛け合わせも大事で、その辺はすごく丁寧なところだなと思っています。
「絶対これが幸せだ!」って思い込みすぎるのも違うよね、というのは、よく言っている誤解への説明なので、ここは個人的に大事だなと思っています。

最後3つ目、「自然経営を実践すると、創造性が高まる」「クリエイティビティが発揮される」は、ある面では正しいというか、そうなりやすいとは思います。
「決まった計画をみんなやってください」ではなく「なるべく一人一人が判断してね」であれば、結果的にそれまで想像もしてなかったことが作られる、可能性が広がることはある。

ただ、それは結果であって、それが目的にされてない。「クリエイティビティを高めたいから」とか「イノベーションを生みたいから」って言って自然経営をやるんですっていう一歩目は、ボタンのかけ方として筋が良くない気がしている。

あくまで一人一人の個性が最大限発揮される「結果」として、創造的なアウトプットが生まれるかもしれないけど、組織のイノベーションを「目的」としてやりに行くのはちょっと違うと思ってます。

今の3つは総じて、「理想的なものだ」とか「社員が幸せになる」とか「創造性が発揮される」とか、全く否定しないし、その面はもちろんあると思うけど、どれも目的ではないし、絶対的にそれが保障されるものでもないというのが、「過剰に期待しない」という大事なところだなと思っています。

麦:
私としては二つ目とかが「あー、あるある」って思いました。
最近、色んな活動をしてる人から、創造性をもっと持ってほしいからこういう組織にしたいんだ、とか、たしかに目的から語られることが多いなと思って聞いてました。
ちょっと聞いてみたくなったのは、「過度に期待する」こともすごい理解できる感じがして、そういうティールとか、自然経営とか、新しい組織概念が出てきて、そこに3つの期待を持ってしまう人の心理って、どういうものだと捉えられるんですか?

山田:
いくつかのパターンがありそうだな、と具体的な人とか場面とか思い出して感じました。
一つは、すごい良かれと思って、本当に関わってくれてる人たちにより良い状態を提供したい、でも今はできてないっていうときに、より前に進める方向性はないかな、という純然たる社員や関わる人を幸せにしたい想いから、それを切望する人もいる。

逆でもあるのは、今が悪すぎるから、これを解決できる答えを教えてくれ、みたいなモードで探しに来るケース。

答えがあると思って探しに来るみたいな場面が、大きく二通りあるなっていうのは今聞かれて、ぱっと思いついた切り分けでした。

もう一つあるとすれば、組織を作ることを考えるときに、「どこを考えればいいんだろう?」とか「そもそも何から手を付けるんだろう?」って、あんまりうまく体系化されてない感じがしている。
良い組織を作ろうというと、「どうすれば職場の空気が良くなるか?」「関係性が良くなるか?」「退職が減るか?」とか、わかりやすく何をすればいいだろうに、思考が行きやすいところはある。
やっぱり目の前でつらそうにしてるとか、仕事楽しくなさそうっていう人がいたら、「どうにかしてあげたい」って思うじゃないですか。それは良い思いとしてあるけど、それが一足飛びに解決できる「何か」を探しに行くモードが良くあるかなとも思います。

麦:
私は最近、中学生とか、小学生とかの教育の領域に関わることが多いんですけど、答えのない問いにいかに自分で向き合っていくか、どの問いに向き合うかを考えることが大事だ、とずっと言われている感じがしている。その現場に立ちつつ、私自身も常にそれが問われ続けているんですが。

今の組織作りが体系化されてないとか、「これが理想だ!」と思ってティールとか自然経営に飛びつくのは、まさに問いを考えるっていうところに慣れていなさすぎて、「答えっぽいものが来た!」という感じがあるのかなと思いました。
子供ももちろん今からの時代でその力が大事だって話なんですけど、組織とか、今の社会人たちも、同じ課題だなとすごく感じました。

山田:
本当そうだと思うし、組織作りに限らずその傾向はあると思う。
この前から自然経営塾という取り組みを始めて、全体を通して大事にしている問いが2つあって、1つは「あなたの組織の理想的な姿は?」という目指す方向性を問う問いと、もう1つは「じゃあ具体的にそこに向けて何しますか?」という具体的な一手って何だろうという問い。

どっちも大事で、特に自然経営を実践しようとすると、最終の設計図がカチッと決まって、そこに向けて逆算して1個ずつやってこうって言えないじゃないですか。
ベクトルとしてこっち目指したいって思った上で、そこに向けて一番今よさそうな一手ってどっからだろうっていうことを考えて、すごくどっちも大事で、でも違う結構違うこと考えなきゃいけない。

その問いにちゃんと向き合っていくのが大事で、さっきの麦ちゃんが言っていた「どんな傾向が根っこでありそうか?」みたいなのは、2つ目の問い、「じゃあ何をやればいいんだろう?」に向き合いたいときほど過度に期待してしまったり、それを使おうとしてしまうって結構起きやすいのかもしれないですね。

麦:
なるほど。どっちも難しい問いな気がしていて、ありたい姿をありありと描くところもなかなか鍛えられてこなかった部分な感じもしていて、でも一方で、なんとなくのベクトルや方向性、ビジョンみたいなものが感じられたとしても、そこに向かってどう進むかっていうときにノーアイディアだったら、それっぽいものが来たら飛びついてしまう、ということですよね。

山田:
「ティール組織」の書籍でどこかの会社の例で書いてあったのは、会社でよくあるのは「3年の計画を立てて、それを実行しに行く」だけど、自分たちは「20年先の理想像を描いて、明日何するかを決めるんだ」と言っているらしい。この話にすごく通じている気がしていて。
どっちも大事で、僕らは3年とかのある程度予測できるゴールから逆算して、一番効果的・効率的なことって何だろうっていう考えに慣れてるんだけど、それやっちゃうと、結果的に今そこで熱量があることを、そこにいる人ができるようにしようっていう、運営の仕方からだんだん遠くなっていく。

「山には登りたいよね、20年後に」「でもじゃあ明日何をしようか?」っていう対話ができることの方が、きっと自然経営とかティール組織で言っていることに近いんだと思う。
それが両方うまく成り立つようにするのに、過度に「社員を幸せにしたいんです」みたいなことのやり方探しをしちゃうとズレるんだろうな、っていう感じがしました。

麦:
面白い。いいですね、「20年後、どこにいたいか、どの山を登りたいか」と「明日何するか」という問いを同時に持つのは、真似したいなって思いました。
あとは「痛み」みたいなところに、さっき聞いてるときに反応したことがあって、「社員を幸せにしたい」からやり方に奔走するっていうところ。
そういう「いい人」ってたくさんいる気がしていて。


山田:
いるいる。

麦:
これなんだろう、って考えたときに、私もですけど、「自分自身が本当に何を求めてるか?」を考えるより先に「他の人どういう状態が心地いいかな?」とか「どうなりたいんだろう?」「どうしてあげるといいんだろう?」とか、どうしても自分よりも先に他者のことを考えることが、日本人だからなのか、コミュニティを今まで大事にしてきた価値観なのか、そこがすごく強く残ってる気がして、自分の中にも。

山田:
なるほど、その観点面白いですね、確かに。文化的なところもそこはありそうだよね。
どっちかというと「場」とか「コミュニティ」の良い状態、調和してる状態が気になって、その中で自分を捉える、っていうのをやり過ぎると、確かに「私にとって心地よい状態」が先に来なくて、「社員」とか「誰か」のいいことを先に持ってくる。それは確かにありそうですね。
その辺の違いとかも含めて、やっぱり日本の中でこういう経営をしていくときに何を気にするかは、やっぱり西洋とは違った観点が出てくると思うので、その辺は自然経営という言葉を使う中で見えてくると嬉しいなという気はしました。

はい。ということで、今日は、自然経営に対する「ありがちな誤解」というので、まずは「過度に期待する」、「理想的な組織」だと思いすぎるとか、「社員が幸せになる」ことを期待しすぎるとか、「創造性が高まる」ことを目的にしすぎる、ということをお話をさせていただきました。
麦ちゃん、今日はありがとうございました

麦:
ありがとうございました。

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