思弁逃避行 13.並ぶ寿司のために並ぶ

 昼間だろうがなんだろうか回転寿司屋というものは混んでいる。

 何故なのか。こんな昼間だろうが寿司を食おうという人がこんなにもいるのかと毎回寿司屋の前で驚いてしまう。かくいう私もその列にいるわけだが。
  しかし寿司はすごい。 安いモノを雑に食うことも出来れば、高いモノを贅沢に頂くこともできる。さらに言えば、こってりしたものを食べることも出来れば、あっさりとしたものを食べる事も出来るので、ことさら皆の足が向くわけだ。

 恥ずかしい話だが、私は生魚が食べられるようになったのがここ数年であり、初めて美味い刺身を食べた時には「これを焼く意味がわからない。何故今まで火を通してきたのか!」と後悔したくらいだった。そのため回転寿司という場所に初めて行ったのもつい半年ほど前だったのだ。
 初めての回転寿司はこの上なく奇妙だ。あんなにもの数の食べ物が横スライドし続ける状況を私は他に知らない。それだけではなく、タッチパネルで寿司を注文すれば、目の前に寿司が滑り込んでくる。あの「寿司のネタが崩れ落ちない、かつ客を待たせない範囲で最も速い最適な速度」で滑り込んでくるというのがたまらなく面白い。しかも好きな寿司が飛んでくるのだ。もう止まらない。面白い、嬉しい、美味しい、面白い、嬉しい、美味しいというループからもう抜けられないのだ。その快楽を知っている限り、回転寿司屋に並ぶことを人はやめられないのだろう。

 きっとこの列に並ぶストレスも合わせて回転寿司なのだと私は列の中で納得する。きっとこれを耐え忍んんだ直後に食べる寿司は美味い。そう、寿司はいつだって美味いのだ。親しい間柄の人間が死んだ直後だって皆寿司を頬張り、心の中で「うまい」と呟くのだろう。



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