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"日本人の普通をこの子に押しつけたらかわいそう" エンタメ作家OKARAさんがマレー人医師に言われて気づいた大切なこと

noteでエンタメ作品を綴るOKARAさん。もともと地元で銀行員として働いていた彼女は、現在、遠く離れたマレーシアで二人の子供を育てながら暮らしている。転職や移住といった人生の転機にはどんな心境だったのか。そして今、子育ての傍らオリジナリティ溢れる作品を創作し続ける理由は何なのか。お話を伺った。

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リアル半沢直樹の世界に戸惑った銀行員時代

ーーーOKARAさんは大学を卒業後、銀行に勤め始めたと聞きました。新卒の就職時に銀行を選んだ理由はなんですか?

深く考えずに「潰れなそう」「親が喜びそう」という理由で銀行を選びました。内定をもらったはいいものの、入社した初日にお金を扱う独特の緊張感に「圧死しそう」と思ったのを覚えています。配属された支店の支店長のキャラクターが強く、支店内はまるで半沢直樹の世界のようでした(笑)

ーーー銀行での社会人生活はどうでしたか?

銀行の独特の緊張感と、支店内の狭い人間関係にストレスを感じるようになりました。早々にこの仕事を長く続けるのは無理かもしれないと思いましたね。精神的に辛くなり、精神内科でストレスを和らげる薬をもらったこともありました。

小中学生のころは勉強ができる方でした。高校もエリアの進学校へ入学して。子どもの頃から正しいと言われる道を歩んできたのに、その結果がこんなにストレスを溜める人生かと思ったら、あるとき急にアホらしくなったんです。入社1年目の12月に退社を決意し、入社して丸一年経つタイミングで辞めました。

飛び込み営業で知ったいろいろな人生

ーーー銀行を退社後、デザイン学校を入学されたんですよね。デザイン学校へ1年間通ったのち、学校の紹介でフリーペーパーを扱う会社へ入社したと聞きました。

はい。デザイン学校の紹介でフリーペーパーを扱う会社が雇ってくれることになりました。てっきりデザインを担当できると思ったらまさかの飛び込み営業で

でも、やってみたら面白い。毎日いろんな人に出会えるんです。今まで人生で出会ってきた人の大半は四年制大学を卒業した人でしたが、街で出会う人は、自分が今まで出会わなかった人ばかりで新鮮でした。スモールビジネスしている社長さんたちの話は面白かったですね。

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▲もともと絵が好きだったことと、デザインにあごかれがあったことから銀行退社後はデザイン学校へ進んだという。

ーーー飛び込み営業時代に出会った人にはどんな人がいましたか?

広告を出してくれるお客さんで、仲人の仕事をしている女性がいました。あるときその女性の勧めで半ば強制的にお見合いパーティに参加することになりました。

その初めてのお見合いパーティで隣の席に座った男性が今の夫です。その仲人さんに促されるまま、あれよあれよという間に数ヶ月で入籍してしまいました。

ーーー初めてのお見合いパーティで隣の席の男性が今のご主人なんですね!気があったポイントはどんな点だったのでしょうか?

夫とは海外の話で盛り上がりました。私は学生時代からあちこち旅行で海外を巡っていました。特に中国が面白くてよく行ってたんです。偶然、夫も頻繁に仕事で中国へ行っていたらしく、その話で盛り上がりました。

私は一人旅で5〜6回中国を訪れていました。当時は万博や北京オリンピックの時期で、中国が急成長していたとき。産まれてから今まで日本はずっと不況で、私は暗い雰囲気の社会しか知りません。かたや飛行機で隣の国(中国)へ行ったら、みんな明るい未来を信じて目をキラキラさせている。この違いはなんだ?産まれた国でここまで違うの?とそのとき衝撃を受けました。

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▲OKARAさんは今毎日絵を描くことに挑戦しているという。3月のテーマは鳥。

マレーシアで、多様性の意味を知る

ーーー妊娠を機に仕事を退職。その後ご主人の転勤でご家族でマレーシアへ移住されたと聞きました。マレーシアの印象はどうでしたか?

初めてマレーシアに降り立った日、クアラルンプールが想像してたよりもとても都会で驚きました。クアラルンプールの雰囲気は、かつて衝撃を受けた中国に似ていました。次々と建つ高層ビル、未来に希望を持って楽しそうな人たち、これから発展していく国のエネルギーを感じました。

ーーーマレーシアでは二人目のお子さんも産まれ、二人の女の子のお母さんとなりました。外国での子育ては大変そうですね。

少し悩んだことはあります。長女がインターナショナルスクールに入学したころ、長女に少し違和感を感じて、心配で医者へ連れて行ったことがありました。片付けを全くしないし、親とコミュニケーションをあまり取ろうとしない。感情も薄いような気がして‥普通の子どもと少し違うのでは、と心配になったんです。

病院へ相談しに行くと、中華系マレーシア人の医師が言ったんです。
マレーシアの子どもはみんなそうだよ。インターナショナルスクールに通ってるなら、学校では子どもに片付けなんてさせないはず。片付けにこだわるのは日本人だけ。日本人の普通をこの子に押し付けたらかわいそうだよ」

先生に言われてハッとしました。私自身、仕事が続かなかったり日本の普通とはズレていたと思います。それなのに子どもが普通ではないと心配になっていた。そもそも普通という概念もあいまいなものだし、たとえ普通でなくてもこの子はこのままでいいんだ、ってそのとき思えたんです。

ーーー我が子が普通のことをできないのでは、と過剰に心配になってしまう親御さんは日本にも多いですよね。

そうですね。マレーシアにいると見た目からして違うから同じことできなくても何も言われないし、考え方の違いも受け入れてもらいやすい。多様性を受け入れてもらいやすい環境なんです。

でも本当は、日本にいたって、同じ日本人の見た目であっても多様性はあるはず。多様性は髪や目の色だけじゃない。同じ日本人(の見た目)ですが、夫も子どもも自分とは考え方が違って当たり前だと、今は思えるようになりました。

ーーーマレーシアは居心地が良いと思いますか?

そうですね。マレーシアに来たらみんな放っておいてくれるんです。それは自分が外国人だからということもあると思いますが、人付き合いしたくないから放っておいてと言うオーラを出せば放っておいてくれるし、自分から関わろうとしたら受け入れてくれる。この環境は私にとって居心地がいいですね。

自分を環境にフィットさせる努力は必要ですが、子どもたちには、自分を比較的受け入れてくれる環境を自分で探せる大人に育ってほしいと思います。

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▲このnoteに使われるイラストはすべてOKARAさんから提供いただいた。OKARAさんの手書きイラスト。

「こんな生き方でもいいんだな」と元気になってほしい

ーーーOKARAさんのnoteではご家族のエピソードをユニークに綴ってますよね。電車の中で読んでいて思わず吹き出してしまいました!noteはどんな思いで書いていますか?

日本で煮詰まって辛くなってしまった人に『こんな生き方でもいいんだな』って元気になって欲しくて書いてます。

マレーシアに来て、無理に普通を目指す必要がないことを知りました。マレーシアに来るとみんな自由なんですよ。それは学校も信仰も見た目も、ここに滞在している理由も、皆本当に様々で比べようがないということも大きいかもしれません。私には華やかな経歴も経験も何もないけれど、私のnoteを読んで「この人全然ちゃんとしてないし、テキトーだけど、でもなんだか楽しそう」と思ってもらえたらいいです。こんな未来の選択肢もあると知ったら、元気が湧いて来ることもあるでしょう。

ーーー最後に今後の夢を教えてください。

二人の子どもが自立するまでの間、たっぷり一緒の時間を過ごして、同じ経験を共有したい。子どもたちと充分向き合うことができたと、自分で納得できるまでやることが今の目標です。今の優先順位の一番は子どもなので。

ただ、いつまでも子どもを生きる目的にしているとちゃんと子離れできるだろうか、と不安になります。子どもが親離れしたがっているのに「ちょっと待って。まだお母さんといた方がいい!」なんて子どもの自立を妨げる親になりたくない。

子どもが自立の素振りを見せた時には「はい、じゃあね」と一歩下がれる自分でいたいですね。そのために、noteを書いたり、絵を描いたりして、興味を持てることや仕事に繋がりそうなことを探していきたいです。

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《インタビューを終えての感想》
*今いる環境に違和感を感じても、変える勇気がなくてやり過ごしてしまう人は実は多いはず。時に自分から行動を起こし、時には流れに身を任せつつしなやかに変化を受け入れる姿勢は、見習いたいなと感じました。
*子どもに「ふつう」を願ってしまう気持ち、同じ親としてわかります。我が子に「ふつう」を押しつけてしまいそうになったら、OKARAさんのエピソードを思い出し、視野を広く持ちたいと思いました。
*今一番大事なのは子ども!と爽やかに言い切るOKARAさん。子育てに情熱を注ぎながらも、未来に備えて自分の興味関心を育てていきたい。共感する方は多いのではないでしょうか。
▼思わず「ぶっ」と吹き出してしまうテンポの良い文章は必見です!OKARAさんのnote、ぜひご覧ください。


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