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【冗長なつぶやき】公式ドキュメントは大事だけど

公式ドキュメント(を読むこと)はもちろん大切だ
けれど、「書かれていることが「正」」である、にはあえて踏み込まないが、「情報が網羅されている」という言いようは無批判に受け入れない

なぜならば、「情報」という言い回しは、それ自体(情報について)再帰的であり、おいそれと「網羅」なんて言えないように思うからだ

そこに書かれているのは、あくまで、開発者が意図する挙動、構造(およびに期待する操作)であり、その点についての網羅性は認められるはずだ

しかし、ドキュメントが依存するその他の文脈や情報へのアクセスのための情報、前提知識、そこに要求される「いわゆる「行間をよむ力」」、については、(暗黙知に関わる部分もあるはずであり、)当然網羅されているわけではなく、網羅されるべきなわけでもない。
まあ、預かり知るところではない、というやつである。

しかしながら、「ある程度のスキル、レベル」な方からしたら、その程度自前で用意しておけば良いし、そうすべきこと(と思われる)だろう

それを踏まえて、批判覚悟で言うならば、初心者、初学者に「公式ドキュメントは「正」なり、まずもって寄る瀬とせよ」というのは、適切なやり口なのだろうか、というのが率直な意見(というか未熟者ゆえの弱音)だ

もちろん、公式ドキュのメリット、デメリットに触れている記事も少なくなく、また、いろいろな解説などと併せて読み解くのを奨めるサイトもある

しかしながら、あくまでわたしの個人的な体験およびに所感だが、(大切ではあれど、)公式ドキュメント読むびとから読まぬ(読めぬ)びとに対する圧がすごい、と感じるので、長々と言い訳めいてみた次第である

ただこれも、公式ドキュを読む、読もう、読めてきたかも、というかなり自分よがりな上達感に伴って感じたことである

それゆえに、改めて、公式ドキュメントをしっかり読む(ように努める)ことの大事さを痛感した近頃である

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