言葉を自分を心をコントロールする

”コントロールすること”について最近よく考える。私は中学のころから自分ノートなるものを持っている。最初はいいと思った言葉を書き留める程度だったけれどだんだん自分の思いや考えも書くようになっていった。

社会人に入ってからは書く機会が減っていき、誰かと話すとき伝えたいことがうまく伝わらないと感じることが増えた気がする。きっと思っていることはすんごくあるのに言葉でうまく表現できないからだ。そもそも自分の考えや思っていることにしっかり向き合っていなかったのかもしれない。

この間久しぶりに自分ノートを読み返してドキリとした。

社会人になってからこそ自分の人生をより楽しくする!と意気込んでいたのはいいものの2年目に突入した今、”ワクワク”したことは?の質問に対して今までのノートにはぎっしり書きなぐってあったのに、久しぶりに書こうとするとペンが一つも走らなかった。正直自分自身の心の疲れを見て見ぬふりをしていたものもあるが、自分が思っている以上に心が動いていることが少ないことにびっくりした。感動することがこんなにもないのかと・・・

そんな時にふと思い出したのが茨木のり子の詩

ぱさぱさに乾いていく心を ひとのせいにするな

みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを 友人のせいにするな

しなやかさを失たのはどちらなのか

苛立つのを 近親のせいにはするな

何もかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを 暮しのせいにはするな

そもそもがひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を 時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい自分で守ればかものよ


そんなわけでこうやって今までノートに書きなぐってきただけだたけれどしっかり言葉にして、文章にして発信していこうと思う

自分の言葉で表現するトレーニングもかねてかな?

日頃の一つ一つに考えてそこで終わらせずにしっかりアウトプットできてこそ自分の言葉として伝わるのかなと思う。

そのためのインプットも大切だし、いろんな人と話して学ぶことや自分の思いを整理することも大切! そう考えるとワクワクが止まらないし行動に移したくなってくる。気負わずに好奇心持って動いて考えて笑って泣いて怒って立ち止まってはまた進んで、、、人間らしさをもっともっとレベルアップさせていきたいな!

その1つの手段としてnoteを更新していこうという決表明みたいなものでした!



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