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ボッティチェリの「プリマヴェラ」を分析する知的冒険の書(後編)

少し前編を書いてから時間が経ってしまいましたが、後編です。

前編はこちらです。

前回は、日本人のボッティチェリ好きから始めて、「ボッティチェリ《プリマヴェラ》の謎」がどんな本かを紹介しました。
で、今回は、この本を読んで私の頭に浮かんだ疑問を挙げてみたいと思います。
だからって、この本がおかしい、ということではないですよ!勘違いしないように。。。。(どちらかというと私が歴史的経緯を知らないことと読解力の問題かと思います)

▶︎引用される著作、作品の製作年代と関連性の謎

この本では「プリマヴェラ」の構図、絵画のモデルなどが推理、論じられます。
その一部として、この絵画の中心に立つ2人の神話的人物ウェヌスとフローラが、ロレンツォ・メディチの、年上の恋人ルクレツィアと、若い恋人シモネッタであるとされ、絵画上での両者の描写が、ポリツィアーノのスタンツァ、ロレンツォ・メディチの自伝やランディーノの各種書物への註解からの引用、対照されます。
相当の紙幅がそれらの文献からの引用に費やされ「プリマヴェラ」の図像的な意味の解釈を強化するのにも役立つわけですが、この本の中では、ボッティチェリの作品が描かれた時期と、これらの著作が書かれた時期、さらに著者たちと画家が普段からどれほど意見を取り交わしていたかが明確にされていません。

ざっと時系列を眺めてみると 、ポリツィアーノのスタンツァはこの本ではシモネッタの死(1476年)以降1478年頃までに書かれたとされてますが、1475年という説もあります。
ロレンツォの自伝は晩年まで書かれたものだと思われます。
ランディーノの各種書物の註解は1481、2年頃に出版されています。
そして、「プリマヴェラ」は1478年のパッツィ家の陰謀事件の前から書かれていた(1475年頃から)という説とそれ以降の1480年以降という説があります。

この著者はどの立場なのでしょう?
それが明確でないため、様々なテキストが絵画のモデルや構図を強化しているように見えて、実はいくつかは絵画を見てテキストを書いたって可能性はないのか?とか、はっきりしないのでモヤモヤします。

さらにロレンツォの自伝だって、フィチーノやランディーノの影響を受けて書いているテキストでしょうから、それはより強めるというより、単にこのサークルがみんな同様の考え方をしてたのよねぇ、という話を延々聞かされているのかも、という気分にもなります。ここのところ、相互の関係性どうなんでしょう。
ボッティチェリ自身、どのくらいこの思想サークルの人物と直接話しているのでしょう?どうもそこらへんの各人の距離感がはっきりせずに、テキスト上で同じものを示しているといわれてもねぇ、という感じもしてしまったり。
そこがもっと整理されていて、著者が明確な各人の関係性や時系列が明確に書かれていたら、もっとわかりやすく説得力も高いだろうにと感じるのです。

▶︎タロットの図像モデルの謎

この本では冒頭部分が相当量ページをかけて、マルセイユ版タロットの「恋人」のカードの図像的解釈に費やしていることは前回にも書きました。

このタロットは15世紀末にフィレンツェ発祥で、その時期が近いということで「プリマヴェラ」の構図との関連性を導き出した推論は素晴らしいと思います。
(ただ、タロットの真ん中の男性の顔の向きを「ラーマ家の三博士の礼拝」の右端の人物の顔とするのは、そのモデルがボッティチェリとされているだけに行きすぎのようには思いますが。。。)

そして真ん中の男性が同じく「三博士の礼拝」の左橋の剣を持つ人間の図像だというなら、これがメディチ家のジュリアーノまたはロレンツォのいずれかといわれていることから思えば、著者はロレンツォ説に立つということなのでしょう。(そうすると、ここに立つ2人がジュリアーノとポリツィアーノだという説は成り立たなくなりますが)

それよりも私が不思議に思うのは、タロットの女性2人が花嫁と娼婦を表すとして、「プリマヴェラ」では若い花を纏ったのが若いシモネッタで、落ち着いて中央に立つのが年上のルクレツィアだとするなら、同時期に成立したタロットでは、どうして花冠を被る若い花嫁と、年上の手練れの娼婦、という、絵画と年齢や様相が逆転した形になったんだろう、ということです。もちろんタロットの図像だけみれば、それについて花冠は花嫁の象徴といった適切な解釈は成り立ちますが、絵画とタロットを並べると女性像が逆転したように思えるのです。
これは私がつまらないことを気にしているだけなのでしょうか?
そこがわからなくてモヤモヤします。。。

▶︎「プリマヴェラ」と「ヴィーナスの誕生」のつながりの謎

この本では「プリマヴェラ」の構図やモデルについて深い考察がなされていますが、この作品単体に閉じて推測していいのか、という疑問も湧いてきます。
ボッティチェリの有名作品として「プリマヴェラ」と並んでよく知られるのが「ヴィーナスの誕生」です。
そして、この2つの作品を並べてみればわかりますが、登場人物が重複しています。「プリマヴェラ」の主要人物である、ヴィーナスもいれば、ゼピュロスもフローラもいます。

**この2枚における登場人物の重複と、この本で語られる推測とには何ら関係がないのかが語られてないのもけっこうモヤモヤします。 **

もちろん美術史的にはこの2枚がセットで依頼され描かれたという確証はありませんが、少なくとも製作時期がそこそこ近いとは思われています。
これも最初に挙げた疑問とつながるのですが、著者が製作年代をどのように考えているのかによるでしょう。
「プリマヴェラ」も「ヴィーナスの誕生」も製作時期には諸説あり1475年あたりから1483年あたりまでにばらついています。
もしボッティチェリがフィチーノの思想に深く影響を受けていたというのなら、「ヴィーナスの誕生」は影響を受けてないことにはならないでしょうし、そこで登場人物がこれだけ重なってたら関連がないわけもないと思われるし、もし、神話的人物が現実のモデルの投影だというのなら、その点の関連性がないともいえないでしょうし、その場合の「ヴィーナスの誕生」側の解釈はどうなんだろう、、、、と思ってしまうわけです。
もちろん、全く著者がそれを無視しているとも思いませんし、考えているでしょうし、そのうち書いてくれるのかもしれませんが。

なんだか、考え出すといろいろ出てきちゃいます。さっきも書いたようにそれも面白いのですけどね。みなさんもぜひ読んでみて、自分なりにいろいろ考えてみることをお勧めします!!

▶︎おまけ (「プリマヴェラ」私見)

この本とは関係がないことですが、私がこの「プリマヴェラ」を見るたびに感じることがあります。
この絵の中央のウェヌスとフローラが仏像のように見えてしかたなのです。
この2人の手つきもそうですが、特にウェヌスのやや首を傾げて片手を差し出す姿なんて、中国の仏像壁画に見られる菩薩像に似ているように思えてしかたありません。

まぁ、そこになんの関連性もないのでしょうが、ウェヌスと菩薩ってところがなんだか少し面白い。。。

**もう一つ気になるのは、ウェヌスの顔です。こちらを穏やかに見つめる顔をよく見ると、すごく両目の軸がずれているんですよね。 **

立体的に書こうとした結果なのかと思うのですが、首の角度をまっすぐにしてみると、奇妙さが際立ちます。なんでここまでずれてしまったのか。。。ちょっと不思議に思います。

フローラの方にも少し不思議に感じることがあります。若々しく花を纏った**フローラの顔だけをじっと見てみると、けっこう年老いて見えてくるのです。 **

ウェヌスの方が白くあまりシワがないのに対して、フローラの一件若々しく赤みもあり凹凸のある顔面が、目や口の周りのシワや唇の感じを取り上げてるとけっこう年寄りじみてるというか。(首まわりのシワはウェヌスの方があるんですけどね)
落ち着きと若々しさが、下手すると逆転のイメージも喚起するというか。みなさんにはどう見えているのでしょうかね。

なんか長くなっちゃいましたが、ことほど左様に、やはりボッティチェリの作品というのは、見ているといろいろ気づき、惹かれ、好まれるのだろうなと思うのですよ。

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