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「拝啓ルノワール先生 ー梅原龍三郎に息づく師の教え」展レポート

昨日は、10/19〜来年1/9まで、三菱一号館美術館で開催されている展覧会「拝啓ルノワール先生 ー梅原龍三郎に息づく師の教え」の内覧会に参加してきました。

この展覧会は表題にあるように、ルノワールと梅原龍三郎の2人を師弟関係としてとらえ、焦点を当てたものです。

梅原龍三郎が1908年に20歳でフランスに渡り、数ヶ月後にルノワールを訪ね、大きな作風の影響を受けたことは知られていたわりに、梅原龍三郎とルノワールの関連性を捉える両者の作品を集めた大規模な展覧会は今回初めてだというのはなかなか不思議かつ驚きです。

全体で80点ほどの作品が出展されており、梅原龍三郎が30点ほど、ルノワールが20点ほど見られます。また、梅原龍三郎が留学時に知り合い影響を受けたピカソ、ルオー、ルドンなどの作品、さらに梅原龍三郎自身が所蔵していた、ルノワールを初めて同時代の美術作家の作品も見られます。

今回の内覧会でも、高橋館長やこの展覧会の担当学芸員の安井裕氏からいろんあ話を伺えました。

特に、ルノワールと梅原龍三郎は師弟関係というけれど、実際の年齢差は47歳もあり、70歳前後と20歳過ぎという関係性で実際は何を学んだろうか、という基本的な疑問にはなかなか興味深いものがありました。
たしかに赤を基調とし、バラや女性像に代表される梅原龍三郎のタッチの絵画はルノワールの晩年の作品の影響を感じられます。しかし、今回の展覧会で、梅原龍三郎がルノワールに出会う前に描いた自画像や裸婦像を見ると、学芸員の安井氏がいうところの梅原氏の「青の時代」が短いながらにあったこともわかります。
特に下の写真の左端の「横臥裸婦像」は、初期の大傑作と言えるものだそうです。私も初めて見ましたがすごい迫力とともに見てすぐに惹きつけられました。

その後のルノワールの影響を受けた作風から、

梅原タッチの作品になり、

さらに晩年は大津絵などの影響も吸い込んだようなコミカルな要素も入り込み、たとえば、90歳で描いたルノワールの「パリスの審判」の模写なんかは、模写といいつつ模写ではなく、ノンジャンルの不思議な作品へと昇華されています。(上がルノワールのオリジナル、下が90歳の梅原龍三郎の手による模写。ピカソ的な目の大きさ、そして大津絵的でもあり、なんかコミカル)

一方でルノワールの初期の古典的な肖像画から、

精緻なまでに細かく書き込まれ色あいも繊細な少女像から、晩年の色彩は豊かながらタッチの単位は大きくなり境界が曖昧になっていく作風の変化をみると、ルノワールと梅原が半世紀近い年齢差がありながら、ルノワールの作風がそこに至った時に梅原は出会った、という面白さを感じるのです。

この展覧会では、梅原が興味を持ち、影響を受けたものとして、ギリシャ彫刻、大津絵、さらにそのコレクターとしても有名であった画家の先輩浅井忠の作品も見られます。

そして梅原が自分の作品に描きこんだルノワールのブロンズ作品のオリジナルも、その描かれた作品と一緒に展示されています。

このようにこの2人の密接な関連性を作品レベルでみつつ、そして同時にそのわりにはやっぱりちがうよねぇというところも実感できる展覧会でもあります。
まぁ、来年までやっているので、お時間のある人はぜひ見にいってみるとよいでしょう。単にある画家や画派の展覧会を見る、というのとは違う体験ができます。

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