見出し画像

#21 2021/02/21ーいまを生きる

「いまを生きる」観劇しました。2/20(土)の昼公演と夜公演。

色々書きたいことあるので書いていきます。パンフ内容についても触れるのでご注意を。


原作となる映画を以前たまたま観たことがあったので結末については知っていました。知っているからこそ、チャーリーが記事を差し替えたことを死せる詩人の会で言うシーンとか、ニールが自殺するシーンとか、ああこのシーンに近づいてしまう、来てしまった、と思うと胸が苦しくなりました。
あと、ニールの死を知ったトッドが泣き崩れるシーンも。あれも知ってたはずなのに昼初めて見た時に涙出てしまった。完全に新の演技に心動かされてます。新スゲ〜〜〜〜〜〜


そんな感じで一回目を観た後の、作品についての感想の第一声って「救いがないな」だったんですよね。ニールは死ぬしキーティング先生はいなくなっちゃうし、チャーリーも退学になって。作品内で描かれていないけど、ノックスは婚約直前の相手がいるご令嬢との浮気関係にあるままだし、トッドにも親との確執は残ったまま。どこにも良い状態の人がいない…。

このように私が抱いた感想はマイナスなものばかりだったんですが、昼夜間にパンフ読んだらちょっと考えが変わりまして。その考えが変わるきっかけになったのが、私の推し・基くんのページでした。基くんは、ラストの生徒たちがキーティング先生を見送るシーンについてのコメントの中で、こう述べています。

生徒たちにとってニールは大きな存在で、周りは一歩先に進めたけれど、進んだ先にニールはいないんです。

ニールについてはうんうんそうだよね、となったんですが、この「周りは一歩先に進めた」というのが引っかかったというか、えっどういうこと?ってなってしまって。前述の通り私はマイナスな方にしか捉えられてなかったので、一歩先に進んだ要素なに!?ってなっちゃったんですよね。

でもよくよく考えてみると、生徒たちはキーティング先生に出会って、それまでの自分にはなかったことを学んだり経験したりしていて、それを教えてくれた本人や共に学んだ仲間がいなくなってしまったとしても、そこで得たものは消えはしないんですよね。
だからこそ、あのシーンで先生の授業のように机の上に立って、「おお、キャプテン、わがキャプテン」と見送ることができたわけですし。うん、たしかに一歩進めている。


この基くんの考えに触れなければ、私の作品に対する感想はド鬱救いなしの方向で固まっていたかもしれないので、ほんとうに基くんには感謝の気持ちでいっぱいです。あの昼夜間の私に救いの手を差し伸べてくれたのは基くんです、どうもありがとう。

まあ言ってしまえば?他の出演者の方のコメントとか?もしくは観客の誰かの感想とか?他のところで同じような考えに触れる可能性も十分にあるわけですけども?オタクなので推しの考えが自分に影響を与えたことに喜びを感じてしまうわけです!基くん最高!基くんのことが好きな私最高!パンフ買った私天才!なわけですよ。ア〜〜〜〜〜〜オタクって単純。


ふざけたけど何が言いたいかというと、推しの出ている作品を観て、自分が抱いた感想と、推しが抱いた感想を比べることができる。そして推しの言葉によって自分の考えが揺り動かされるのって、すごく幸せなことだなあと思うのです。こういう見方もあるよねっていうのを、他でもない推しから教えてもらえたことがすごく嬉しいんですよね。



というわけでいまを生きるを観て、半日くらい経った今の私が抱いてる感想はこんな感じです。天邪鬼なのでなかなか物語の本質を捉えた感想とか語れなくて、この作品に対する感想がこれ!?って感じになってますけど笑、まあいいんじゃないかな自分らしくて。


素敵な作品に触れることができて幸せでした。出演者、スタッフ、他関係者の皆さま、計28公演お疲れ様でした。大千穐楽おめでとうございます!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?