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土木技術者 都市と土木と写真。

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「地元、何もない」はもう言わない

愛される名店、を愛する人たち友人がメンバーのひとりとして活動しているユニットCHI&MEが、地元豊橋市の老舗を特集する冊子『愛される名店 豊橋駅前エリア』を刊行し、市内で配架しているそう。豊橋に足を延ばすことがなかなかできないので、オンラインショップで興奮気味に注文し手に入れた。 冊子は、「ひとつひとつのお店の魅力を掘り下げ、捉え、再編して発信する」というメッセージから始まる。丁寧な取材によって各店が紹介されていて、製作メンバーのワクワクとまちを愛する気持ちがひしひしと伝わっ

    • 妻の姓になって考えたこと

      4% ─夫婦の姓に関する現状─平成27年度の調査によると、96%の夫婦が夫の姓を選択して結婚しています。僕たちは2020年1月に婚姻届を提出し夫婦となり、僕は戸籍上の姓が変わりました。仕事では旧姓を使っていますが、名前が2つある感覚は意外に楽しいです。結婚以来、この4%のマイノリティーの立場として何か発信できないかという思いが常に頭の片隅にありました。 現在の日本の法制度では、結婚にあたりどちらか一つの姓を夫婦の姓として選ばなければなりません。手続きは非常に簡単で、どちらの

      • 背景としての土木

        「建築写真」はあるのに、「土木写真」とはあまり聞かない。何かと建築と土木を区別するのも野暮だけど… Instagramで検索してみると、「#建築」は200万件近く投稿されているのに対し、「#土木」は8.3万件程度だ。ちなみに、「#街」は49.5万件、「#都市」は10.7万件だった。この差の理由は、単体で被写体として成立する建築物と写真メディアの親和性の高さ(ばえるよね)とか、建築に携わる人たち、建築が好きな人たちが、日々発信の場・記録の場としてこういったプラットフォームを利用

        • 仙川駅前が好きな理由

          京王線仙川駅の改札を出ると、視界いっぱいを覆うほどの桜の木があって、その先にはまっすぐと歩く人の流れが見える。そこにはおしゃれなお店が続いてるみたいだ。初めてこの駅で降りたとき、直感的に、ここに住みたい、と思ったのをよく覚えている。 仙川に住み始めて1年以上経った。この街が好きな理由は、人とかお店とかたくさんあるけれど、今回は駅前広場の空間にフォーカスしてみたい。 下手な絵だけど、仙川駅駅前広場の平面パースを書いてみた。 1箇所しかない改札口を出ると、かなり老木のソメイヨ

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          生活の一部としての公園を考える ─ 善福寺公園を歩いて

          ようやく酷暑が落ち着き、朝から気持ちの良い気候だったので、ずっともったいぶって行けていなかった場所へ向かう。西荻窪駅から北へ、深く掘り下げられたいかにも都市河川といった善福寺川に沿って歩くと、住宅街の真ん中に忽然と森が現れる。ここが、神田川の支流で住宅街を流れる小さな川・善福寺川の上流端、善福寺公園だ。 善福蛙のプロジェクトとして知った遅野井川親水施設を見に行くのが当初の目的だったけど、池をぐるっと一周しながらこれからの公園についてあれこれ考えてみた。 善福寺公園は、昭和の

          生活の一部としての公園を考える ─ 善福寺公園を歩いて

          ジャーナリングの効用

          もやもやとした悩みを友達に打ち明ける時、話しているうちに自分の考えが整理され、なぜ悩んでいたのか、これからどうすればよいかが自然と見えてくることがある。書くことも同じで、noteでわざわざ下手な文章を公開するのには、書く作業を通して自分自身を知るという内向きの理由も大きい。ただし、ある程度ボリュームのある文章をコンスタントに書き上げることのできる性格ではないため、ジャーナリングという形式で毎日少しずつ思考を分析し書き連ねる取り組みを始めてみた。 ジャーナリング(Journa

          ジャーナリングの効用

          記憶のいれものにフックを

          どうしても忘れられない奇妙な1枚の写真があります。 去年の夏のある日の午後、ちょっと散歩でもしようと、まだ慣れないフィルムカメラを片手に、まだ慣れない東京のある街を歩いていました。どこかの国の大使館の建物の前を通りかかったとき、その白壁の表面でちらちらと揺れていた木洩れ日がほんとうに美しくて、高ぶる気持ちを抑えつつ、ゆっくりと一度だけシャッターを切りました。塀の向こうの大木の下、ざらざらとした壁の凹凸に映る光が深く印象に残りました。そのときの僕は、濱田さんの言葉を借りれば、ま

          記憶のいれものにフックを

          東京エバーグリーン

          春から夏へ。

          東京エバーグリーン

          アフターコロナのコンパクトシティ

          新型コロナウイルスをきっかけに、これからの私たちの生活の在り方を見直す動きが高まっています。特に都市・まちづくりの分野では、著名な建築家・プランナーや研究者の間でも議論が進んでいるトピックであり、自分自身の考えの整理のためにもここで文章にまとめたいと思います。 コンパクトシティは終焉を迎えるのか日本でコンパクトシティの考え方が登場してから久しいです。その定義は曖昧ですが、国土交通省によれば、都市機能・居住機能の立地を誘導・集約し、限られた資源の集中的・効率的な利用で持続可能

          アフターコロナのコンパクトシティ

          国分寺崖線の階段をめぐる

          住宅街の中にある階段に妙に惹かれる人は少なくないはずです。街の中に突然現れる階段は、見つけるとつい登ってしまう不思議な雰囲気を持っています。今回は、西東京・武蔵野台地の崖線を舞台に、まだ見ぬ魅力的な階段を探して街を歩きます。 国分寺崖線とは調布市の一角に住んでいる自分にとって、近所に階段に多いということはなんとなく予想していました。というのも、ここには「国分寺崖線」という特徴的な地形があるからです。国分寺崖線とは、古代の多摩川の流れが土地を削って作った、世田谷区から立川市ま

          国分寺崖線の階段をめぐる

          不自由を楽しむ

          制限は創造の母、という言葉がある。 俳句や短歌は、(ちゃんと学んだことはないけど、)決められた形式があるおかげで、あれこれ言葉を連想して予想外の表現に出会えるのだろう。 建築や土木構造物は、地形、気候、文化などさまざまな要素からかたちが決まってくる。そもそも、地球上のほとんどすべてのプロダクトは1Gの重力を前提条件としている。もし、「重力場が2Gだったら構造は全く異なる姿形になるはず」だ。(内藤廣『構造デザイン講義』) 単焦点レンズで写真を撮ることは、ズームができないという

          不自由を楽しむ

          写っテタンです

          少し前、3年間放置していた写ルンですを現像してみた。すっかり忘れていた思い出、風景がたくさん。インスタ映えだとか言いながら撮った公園のコスモス、当時住んでたボロアパートからの景色、研究室で徹夜した日の早朝の大学、ドライブ中に車内から撮った空、などなど。3年の間ずっと思い出すこともなかった記憶なのに、そのときの会話や温度をよく覚えている。 #スキしてみて に参加ということで僕の記事にスキすると、今回の写ルンですの写真8枚の中からランダムでひとつ、お礼のリアクションとして現れる

          写っテタンです

          透明高速道路

          小さい頃、東名高速道路は透明なチューブか何かでできている近未来的な道路だと思っていた人は僕だけではないはず。タイトルにしてみたけど実はこれは本題ではない。 合成路線名「合成地名」というものがある。 「大森」の「大」と「蒲田」の「田」で「大田区」みたいなあれだ。東名高速道路など、道路の場合は地名ではないから「合成路線名」とでも呼べばいいんだろうか。東名、名神、名阪(名古屋ばっかり)など、うまく言えないけど、遠くの地同士が結びついてひとつの単語になっているのがおもしろい。はじま

          透明高速道路

          未来は常に過去を変える

          学生時代、工学部にいながらも歴史研究(のようなもの)をしていた。歴史を探る手法や意義を十分に学び考えたわけではないので、それを専門として向き合ってきた人からは叱られそうだ。それでも、歴史とは何か、なぜ歴史を学ぶのかという問いは、今でも頭の片隅にくっついて離れない。 先人の蓄積を知ることは、なんとなく必要そうで、大事そうだ。だけど、必ずしも直接的な教訓を得られるわけでもない。 そもそも、教訓を得ようとしている時点である種の偏見を持って過去を見ているのではないか。では、過去を見

          未来は常に過去を変える

          人生が差し出すレモン

          好きな言葉/座右の銘はなんですか、という質問への答えはその時々によって違うけど、ここ1年ぐらいは次の言葉がしっくりきている。 When life gives you lemons, make lemonade. 人生がレモンを差し出すのなら、レモネードを作ろう。 ここでlemonは、辛く困難なもの、不運や逆境というニュアンスを表している。 有名なフレーズなのでいろいろなところで引用されているけど、実は先に知ったのはその派生したほうで、実際こっちのほうが気に入っている。

          人生が差し出すレモン

          細い鉄塔と軒先の緑

          東京に住み始めて1年が経った。これまでも東京へ行く機会もそれなりにあったものの、やっぱり住むとなると違う。地方出身者特有の東京への大きすぎる憧れと少しの恐怖感を今でも抱きながら日々暮らしている。この新鮮な気持ちが薄れないうちに、東京での身近な風景を見て感じたことを撮りためたフィルム写真と一緒に書き残しておこうと思う。 東京へ来て、都心のビル群や、歴史ある名所、風情を感じる下町の風景には素直に感動したけど、もっとじんわりと、それでいて深く心を動かされたのは、「古くも新しくもな

          細い鉄塔と軒先の緑