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「わくわく」って怖い

こんにちは、えのきです。


退院して2周間近くが経過し、独立・サービスの売り込み・相談事などを行っている最中です。

不具合と言えばカメラにiPad、それに杖を持ち歩いて取材していると、なかなか自由に現場を歩き回ったり、暴れまわることが難しいと感じています。あと、ローアングルでカメラを撮影するときにしゃがむとまだ腹筋なしなので、確実にすっ転びます。

そんな中、取材に伺いかきあげた実に4ヶ月ぶりの記事がコレ。

三島は首都圏に送る七草の一大生産地。
やはり七草に関するイベントも行われているわけで、朝から野菜欲しさで並ぶ人の多いこと多いこと。三島のわらべうた復活がきっかけの七草の振る舞いに取材でお伺いしました。ああ、取材楽しい。


さて、この独立をきっかけにいろんな人とお話をさせてもらうのですが、僕がひとつ気にしていることがあります。

それは「ワクワク」という表現。

僕、この表現を使う人とは極力慎重にことを進めようとしていまして。
今回はなぜ「ワクワク」が怖いのか、というお話について書こうと思います。


意味もなく興奮する「ワクワク」


みなさんの目の前にいませんか?
なにかことを起こそうとしたときに
「ワクワクすること見つけました!」
とか、自己紹介するときに
「ワクワクすることがすきなんです!」
って目を光らせて言う人。

通称僕はこの人々を「ワクワクさん」と呼んでいます。

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(同世代の皆さんは全員この人を思い出すでしょ?)

僕の経験上(WEBコンテンツ・飲食店プロモーション・取材記者)からすると、その「ワクワク」という言葉がもうすでにワクワクしません。そして、その企画の殆どがお陳腐で楽しくもない話の連続です。

僕も人なので、お客さんから「ワクワクする企画思いついたんだけどさ」と言われれば、「まぢすか!どんな話ですか?」と食いつく(ふりをする)んですが、頭の中では今日の晩酌のメニューやら、年金の支払い期限のことやら、季節モノのクリーニングの取り込み時期を考えています。そのくらい頭の中では、リトルえのきが普段考えない実務的なことを考えていたりします。つまり、それくらい無駄。

だって、その企画誰が「ワクワク」するんです?

ともし聞き返すチャンスを神様がお与えくださるならば、あえて言いたい。そのワクワクは何で楽しいんですかねえ?と言うと必ずこう返されるんです。

「え、えのきくんはこの企画にワクワクしないのかい?」



「ワクワク」イズ・ジャスティス


お客さんはワクワクを押し付けてくるんですが、掘り下げるまでもなく「誰を喜ばせて」「他者とのアドバンテージ」をアピールしつつ、「自分のファンを喜ばせる方法」が明確化されていません。ようよう聞いてみると、単なる思い込みが暴走して、たまたまいた仲間が賛同したようなもの。思いつきならまだしも、それにやっかいな手足が生えちゃったもんだから、手がつけられない。何なら企画の手出しをしようもんなら「君はこのワクワクする企画をわかっていない」と一通りしゃべったくせにピシャリとコミュニケーションの門戸を閉める。門の外で叫ぶ僕の声はもはやリング外の場外乱闘のように見ている。試合開始のゴングを鳴らしたのはお前なのに・・・。

「ワクワク」する企画を信じるあまり、ワクワクの言葉を信じるあまりそれが正義のように語られる風潮があります。でも待ってほしい。その企画、本当に必要とされていますか?

何が「ワクワク」するのか議論が進まず、企画が暴走特急していく

そしてなぜか場外にいながらにして一部担当する(マスコミリレーション・PR・記事の配信)を自分が悪いのですが、この「ワクワク」の暴走特急、想った以上に途中下車してくれないのです。

その原因は「ワクワク」が置換されていないこと。その感情って誰と共感するときに別の言語化しますか?ワクワクという言葉が各駅停車しない暴走特急がゆえ、きちんとしたプロセスを踏んでいない。降りるべき駅を通過したまま乗客は勝手に終着駅まで乗せられていくのです。
暴走特急の原動力は「ワクワク」という足元の及ばない馬力の強い力で進んでいくのは、乗っている本人たちは全く気づかないものです。そしてそれが正義とすら思われてしまう。ワクワク・イズ・ジャスティス。

でも、大概のワクワクはレールを脱線してプロセスを無視し、勝手に暴走している。もはやどこに進んでいるのかわからない。でも乗車している人は「どこに行くかわからないんじゃないか」って言う。

同乗を求められている身としてはごめんな案件。そんな案件によく出会います。

ワクワクを辞書で調べると

[副](スル)期待や喜びなどで、心が落ち着かず胸が騒ぐさま。どきどき。「胸をわくわく(と)させて包みを解く」goo辞書

と書かれています。実に曖昧で不確かな言葉。
ほとんどの場合はなぜ「期待」や「喜ぶ」のか、それによって何が「胸が騒ぐ」状態なのか、仕掛ける側がビッグワードにとらわれてしまい、その本質を見つめていないのです。見つめられていない企画には目標やゴールの設定はありません。唯一言えるのは「どれだけワクワクするのか」。そんなにワクワクするのは、心拍数が上がりすぎです。一度病院で検査されたほうがいいです・


怖いのは「ワクワク」ではなくて「ビッグワード師匠」


ちなみにこの「ビッグワード」は、人によって多用し、煙に巻く人がいて僕はこの人々を「ビッグワード師匠」と呼んでいます。


ビッグワード師匠に見られがちなのは、自分を大きく見せてマウンティングしたがり、優劣を決めたがり人に多い。そしてよくよく聞くと実は何も言っていないことが多い。批判的な言葉に対して「センスがない」「感性が悪い」と師匠はすぐヘソを曲げます。

職業的に「ママ○○」「イケメン○○」「カリスマ○○」「女性○○」「○○コンサルティング」と、被らなくていい「虎の威」をかぶる人たちが多い気がします。

僕も自身が春風亭ビッグワード師匠になりがちな人間。
曖昧な言葉で企画を進め、何度も壁にぶつかり、何度も失敗しました。

だからこそ「その企画は誰が喜ぶのか」「そもそも誰を喜ばせたいのか」「本当にその人は自分にとってのファンになるのか」を何度も問い直して考えています。本当に怖いのは「ワクワク」ではなく、曖昧な状況で人を動かしてしまい知らんぷりしてしまう人。その多くの人が「ワクワク」という言葉を多用するのが多いこと。ひとつワクワクをとっただけでも、解釈は恐ろしいほど枝分かれしていてゴールは全然異なることを言っている可能性があります。

なので僕は「ワクワク」を多用する人を警戒していて、自身に何度もワクワクひとことで片付けないように、言葉の置換をかけるようにしています。

あるヒットCM曲を飛ばす作曲家は「いいアイデアであっても、翌朝忘れることが多い。忘れるくらいのメロディはヒットはしない」という趣旨の発言をしていて、自身にとても刺さりました。いい企画やアイデアはその場だけの興奮を通りこした深い意味があるのです。

あなたの「ワクワク」は、明日も誰かに的確に説明できますか?


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