世界1大嫌いで、世界1大好きなママへ②

えのまやの幼少期の頃のお話をします。
3歳の頃から
ピアノを習い始めます
ピアノ弾くのが大好きでした。

小学6年生からゴルフを習い始め、
プロゴルファー目指す為
両立が難しくなり
8年続けたピアノはやめました。

4歳からスイミングスクールにも通っていました
1年弱続け
やめました。

両親共働きだったので
17時まで保育園に行っていました。

4歳くらいの運動会で

先生が「この中で1人だけ
逆上がりが出来る子がいます‼️」
とマイクで話した🎤

鉄棒で
みんな前回りしていく中

パパママに
サプライズで驚かそうと
内緒にしていた
私は
逆上がりを披露した✨

びっくりしてる
驚いた顔
私は嬉しかった

4歳にして
サプライズ好きな
えのまやでした。

今も家族や友達のお誕生日は
必ずサプライズでお祝いをするのが楽しみであり、
生きがいでもある。


そして
5歳の
お遊戯会
【どうぞのいす】

私はウサギ役とナレーターの二役を担当していった。
しかし、当日、
キツネ役の子がお休みになってしまい
先生に頼まれて
全員のセリフを覚えていた
私はウサギ役とナレーターに加えて
キツネ役も演じたのである!

この頃から演技とか
目立つ事が好きだったのかもしれない。

楽しかった!

5歳の時
スイミングスクールに通い始める
送り迎え無しで
1人でスクールバスに乗り
1人で帰ってくるようになった

いつもバスの1番前の1番高い席に座るのが私

その姿を
ママも
いとこも

そして保育園のアルバムを見ると
初恋の相手と
手を繋いだり
隣で一緒に写真に写ってる

告白とかしてないし
初恋は叶わなかったものの

多分その当時は両思いだったのだと今では思う


小学校1年生
体の小さい私は
「ランドセルが大きく見える」と家族に言われたのを覚えている

ランドセルが歩いてると思ってびっくりしちゃうよと

6年間でどれだけ大きく成長するのか
楽しみだ

1年生
入学式
隣の席の男の子は
保育園から一緒だった
弟同士も親同士も仲良しな友達だった

その子と手を繋いで入学式歩いてる姿が
小学校の卒業アルバムに載っていたので
覚えてないけどなんとなく覚えている

両親共働きだったので
私は学童に入った

活発な私は
男の子たちと一緒に外で走り回ったり
夏は水かけごっことかしていた。

学童のスポーツ大会では
【トライボール】というのがあった

私と親友は足が早く
本気で優勝目指していた

しかし大会の決勝戦
何かのズル?で
相手の学校が勝利した

私と親友は悔しくて悔しくて
大泣きして

先生に
ズルだよ
ズルいよと訴えた記憶がある


この頃から
一生懸命目標に向かうこと楽しいと感じ
負けず嫌いな性格が
私を作っていってるのだと
今思う。

2年生
1年生の担任の先生が
妊娠して
進級するタイミングで
担任の先生が変わった

市川先生だ。
市川先生は
音楽が大好きで

私が歌うのが大好きになったのは
この先生のお陰だと思う!

歌を楽しく歌う
ピアノを弾く
楽器を演奏する
全て楽しかった。

美術、絵の才能もあり、
八王子市の展覧会には
4.5.6年生と毎年
作品が選ばれて、
展示されていた。

2年生で
市川先生とはお別れだった。
クラス替えもあり、
お別れ会が開かれた

ORANGE RANGEの『花』という曲を
皆さまご存知だろうか?

【花びらのように舞い散る中で
夢みたいに
君に出会えたキセキ

愛し合って
ケンカして
色んな壁2人で乗り越えて
生まれ変わっても
あなたのそばで花になろう♪】

この歌の後かな、
私と、入学式に隣の席だった男の子の
2人は号泣😭


この頃からやはり感情豊かなのだった

何泣いてるのとバカにして笑う友達もいた

市川先生は
そんな生徒を
怒っていた。

抱きしめてくれた。

大好きな市川先生と離れ離れになるのが寂しかった。


そして4年生、
学芸会

【じゅげむ】


わーん😫
と泣く女の子の役が私はやりたかった

しかし
もう1人
やりたいと手を挙げた女の子がいた


オーデション形式で
クラスメイトの投票になった。

私は
その子に負けた。

私はその瞬間、

悔しくて悔しくて涙出た

泣いた。


しかし私は先生から

「じゅげむじゅげむ………ちょうすけさん」

と長い
じゅげむの
長い名前を呼ぶ役がいいと
その役に抜擢された。

『まやちゃんは泣く役よりも
こっちの方が似合ってるわ』

この須藤先生の言葉で
私は
泣く役じゃなくて
良かった

負けて良かった

そう思って

この頃から前向きに考えることが
できるようになったのかもしれない。


3、4年生で担任だった
須藤春美先生、
ありがとう。
感謝してます。

そして3.4年生は
須藤先生が好きな
詩の暗唱ばかりやっていた

【雨にも負けず】
【わたしと小鳥とすずと】
【みんなちがって、みんないい】

毎日のように暗唱していたから
今でも覚えていて言える

いい詩だよね。

あと、
日記、
先生にはなまるもらうために頑張ってた

いい評価されること
成績がいいことが
私は
嬉しかったのだ。

だから小さい頃の私は

【みんなの見本】
【優等生】だった

真面目な生徒でした。

この
真面目は

パパ・ママの
じいじ・ばあばの
血の濃さが
本当に
流れてると感じる。

4人とも本当に真面目であるのだ。

じいじはクソ真面目!とばあばがよく言っていた。
そして、ばあばも本当に真面目な女性である。

パパは元暴走族だけど、
会社経営して
社長となり
従業員7人雇って
ママはそのパパと従業員を支える事務をしていた

私は学校の成績は本当に良かった。

弟は私と反対でやんちゃ!

保育園の3歳が1番反抗期だったとママは言う。
ママの怖さを知らしめたらしい

プラスチックの野球のバットを
家から保育園まで持っていっちゃったり
言うことを素直に聞く私とは正反対で
弟は何でも反抗して
「やだ」
「なんで」
全く言うこときかない男の子だった

小学校1年生の時は
休み時間が終わってるのに教室に戻らずに
友だちと校庭のどこかに隠れて遊んでたり
授業中座っていられないで立ち歩いたりしていて

ママは担任の先生や校長先生にしょっちゅう呼び出されて
仕事中電話きて大変だったらしい

でも
そんな弟の尊敬できることは
友達が多くて
たくさんの人から愛されている
ということだ。

今は接骨院の院長していて
出世もした。

柔道整復師の国家資格は一発合格したし
私と一緒で模試では合格点いったことなかったし、
もっとやばいのが
専門学校の先生には
『学校の合格率が下がるので
試験受けさせられません!』と
ママに電話まできたという。

『受けさせてください!!
困ります!』
ママは言った

無事弟は国家資格に一発合格したから良かった

私たち姉弟は
ピンチに強いのかもしれない。
一発逆転とかね!

一発合格をしたのも
私も弟も最後の3ヶ月
先生や仲間と共に
猛烈に勉強した成果でもある。

素晴らしい先生と仲間の集まりの
専門学校であることに
間違いはない!

6年生の図工の展覧会では、
学校で開催される展覧会は六年生が
保護者の皆さまに説明する案内係をやるのだ。

なんと市川先生が来たのです
たまたま私の案内する時間に!!


「市川先生〜✨」
私は久しぶり
4年ぶりに市川先生に会えて嬉しかった

「大きくなったね」と言われた

説明しながら案内係をやった

「上手だったありがとう」と言われた記憶がある
嬉しかった。

この経験から
私は
旅行の添乗員の資格を取って
バスツアーの添乗員をするという経験に
繋がったのだと
今ふと思った!

6年生、
ママに「中学受験する?」と言われて
塾に通い始める。
卒業式、
退場する時に泣いたよ😢
なぜかというとパパが涙ぐんでいた😢

保育園からの幼馴染の友達のお父さんに
「まやちゃんは感受性豊かなんだね」
と言われた!

次は中学の話しだ。

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