「令和」からのRestart③

高校生編②

2年になって私のパートに後輩が出来た。

後輩

後輩が入った当初は平和だったが、すぐにまた魔の「怒られ期間」が始まるようになる。

きっかけは演奏会の準備でF先輩が私たち2年生に締め切り前日に頼んできたことを私たちがこなせなかったことだった。

なぜか同輩はすぐに許されたが、私はまた「怒られ期間」が課せられた。
これがかなり長く、後輩の入部2週間後から5月の演奏会の当日朝まで1ヶ月近く続いた。

演奏会前に練習がほとんど出来ない。合奏だけが私の練習時間だった。

しかも、怒られている間は後輩に話しかけることすら許されない。。話しかけようとしたらF先輩が「〇〇(後輩),こっちおいで」と引き離した。指導することが出来ず(O先輩が指導してた)「不甲斐ない先輩で本当にごめん」とLINEで謝り連絡事項を伝えるのみ。「先輩は悪くないですよ」という後輩の言葉がさらに苦しかった。

さらにその時期に誕生日を迎えたが、「悪い子を祝うはずなんかないじゃん」で終わった。(ちなみに、毎回誕生日はパートでなんやかんや祝うことになっていた)唯一後輩がくれたプレゼントと同輩がくれたトッポに泣けた。こんなに最悪な誕生日は生まれて初めてだった。

演奏会で一度怒られ期間が終わったと思ったら、次の日からまた怒られ期間が始まった。きっかけはパートにもらったお菓子をF先輩に最初に配らなかったから、という理由だった。もう、怒れる理由があればなんでもよかったんだと思う。

私が辞めたら危害は後輩に行く、それだけは絶対嫌だという思いだけが私をつなぎ止めていた。

それだけ追い詰められた結果、私は部活の時間が近づくとお腹が痛くなった。

頭痛や生理痛が酷くなった。手汗が止まらなくなった。夜ねれず朝起きられず、昼はひどい眠気に襲われ授業に集中できなくなった。成績は下から数えた方が早かった。何よりも笑顔でいられなくなった。

相談するのも報復が怖くて他パートの先輩や同輩から「最近大丈夫?」と聞かれたが、大丈夫です、すみませんとしか答えられなかった。

そして7月。コンクール前。

私は家でパニックを起こした。

階段を登ってこようとする母親が怖く「嫌だ!!近づかないで!」と泣き叫んだ。限界だった。

その数日後だろうか。朝のホームルームの後、担任の先生に用事があり話終えたあと

「最近、なんかあった?大丈夫?」

その言葉をきっかけに私はその場に泣き崩れてしまった。担任もさすがに何かを察したらしく、1時間目の時間にカウンセリングルームを急遽取ってくれた。

私は1時間かけて今までの事を全て話した。自分がされてきたこと、言われた言葉、後輩とのこと…。泣きながら話していたから終始支離滅裂だったと思う。

一通り聞き終えたあと、しばらく黙っていた先生が口を開いた。

「それはひどいね。○○が受けているのはね、ただのいじめだよ。教育なんかじゃない。」

私はここでやっと洗脳がとけた。

そうか。指導じゃなかったんだ。いじめだったんだ。そう思った瞬間涙がどんどん止まらなくなって、ぐしゃぐしゃになるまで泣いた。先生はずっとそばにいてくれた。その日の部活はちょっと頑張れた。

翌日は保健室の先生と話した。

「今まであったこと、全部書き出してみてごらん?」

と言われ、紙にひたすら書き出していった。書くだけで胸がきゅっと苦しくなった。ついでにカレンダーに「怒られタイム」の時期もつけてみた。今まで部活をやってきた期間のうち2/3以上に印がついた。

先生はそれを見て絶句していた。「いや…これはひどいね。いじめ対策委員会立てれるレベルだよ。あなたがゴーサインだしたら全然動けるよ。どうする?」

私は躊躇った。正直今はコンクール前。団長のF先輩がいなくなったら部がまずいだろう…そう思ってしまい、私は断った。今ではなんで言わなかったんかいとこの時の自分を突っ込みたい。

その代わり、1日高校を休むことになった。「好きなことしてゆっくり心を回復させなさい!」とのことだった。家に帰り先生からの電話を通じて親にも全てがつたわった。父と母はしばらく考えたあと、1万円を出し「これでなんか遠くのショッピングセンター行って、好きなことしてこい」と言ってくれた。

その次の日は部活のことを考えなかった。ただショッピングセンターをうろうろして、ビアードパパのシュークリームを食べた。こんなに心が軽かったのいつぶりだろう?と思って少し晴れ晴れした。この時のことに関しては親と先生には本当に感謝している。

その後も一応部活は憂鬱な中どうにかやり過ごし、謝るタイミングを見つけようとしたが無理だった。まあコンクールまでやり過ごすか…と思っていた。

先生と話してから3日ほど後。私はF先輩に空き教室に呼び出された。パートの全員がいて、みんな沈んだ顔をしていた。

ああ、これはやばいなと胃をキリキリさせながら話を聞いていた

その時だった。

突然、ドアが空いて他のパートの先輩や同輩、副団長が10人ほど入ってきた。

「なにやってるの?」

と副団長が聞いた。

F「いや、ここで話し合いを…」

副「こんなとこで?○○ちゃんだけ立たせて?前から思っていたんだけど、やってることおかしくない?」

私は一瞬何が起きたか分からなかった。うろたえるF先輩。とまどうパートの人たち。


沈黙を切り裂いたのは2年の副団長だった。(ちなみに彼女が私たちの代の団長である。いつもハイテンションで周りを引っ張っていく、なぜかみんながその子のいうことに付いて行ってしまうようなパワーがある子だった。私の尊敬する人物の一人だ。)

「よし、じゃあちょっと○○はこっち来てね!」

そう言われ私は別の教室に連れ去られた。

私は何が何だかわからず、ただただ「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣き続けていた。

そんな私に副団長は

「○○は悪くないんだよ。そんなに一人で抱え込まなくていいんだよ、辛い思いしなくてもいいんだよ!!」

と涙ながらに言ってくれた

私は号泣してしまった。彼女はずっと私に寄り添っていてくれた。きけば、前々から何かおかしいと思っていた先輩方が今日私が連れ出されるのを見て突撃してくれたらしい。

その後のことはあまり覚えていない。F先輩は話し合い中に過呼吸で倒れたようだ。

私はその日は帰され、翌日に立会人のもとでF先輩と話し合い、解決したかのように思えた。が。

立会人がいなくなったあと

「でもこれって○○も悪いよね笑、なんで謝らないの??」

思わず「は?」と言いそうになった。

あ、ダメだこの人。

ここで私は完全に洗脳が溶けた。

その後無事にコンクールも終わり、先輩方は引退して行った。

ここで私の修羅場は一通り終わった。

平成を振り返って。

長かった…

私は人から罵倒されたりすることが多かったし、そのせいもあってすごく自己肯定感が低いなと思う。

自分に自信が無いなと思う。

未だに人と接するのが苦手でもある。

でもね、それを少しでも解消出来たらいいなって思ってる。令和を期に、20歳にもなるし過去を振り返り過ぎないようにしたいなと思ってる。

だから、令和元年は私のRestartの年にしたいんだ!ここで全部吐きだしたぶん、もう一度スタートしたいんだ!

新たな自分として頑張っていきたいんだ!!

というわけで令和1年、頑張ります!!

私の成長には必要な思い出だったとは思うんだ。この思い出も無駄だとは思ってない。


ありがとう平成。








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