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40代にこそ観てほしいLIHGT HOUSE

お正月の休みを利用してLIGHT HOUSEを(今更ながら)一気観した。

星野源とオードリー若林という世間的に見たら成功者と言える二人が、市井に生きる自分たちと同じような鬱屈とした悩みを抱えており、視聴者と近い目線で悩みを吐露し合う。筆者は星野源の曲を全部聴いてるわけでも、オードリーのオールナイトニッポンを聴いてるわけでもない、二人の視聴者としては圧倒的なビギナーなのだが、深夜ラジオを聴いているようなゆるさと二人の絶妙な言語化力、時折でる黒い暴露話に次々とエピソードを見てしまった。

こうしたコンテンツとしても十分に面白がることができるが、一歩引いてみると別の面白さが浮かび上がる。それは、LIGHT HOUSEが中年男性のケアの時間をコンテンツ化している、ということだ。

上り詰めるほど、弱音が吐けない

(撮影時)星野源は42歳、若林は44歳。企業の中の職位で言えば、中間管理職であり、企業規模によっては部長だったり、起業して何年目という人もいるだろう。芸能界で売れるのも、企業の中で出世するのも、もちろんそれ相応の努力がいる。おそらく同期よりも何倍も頑張ってきたからこそ、今の地位にいる、という人が多いだろう。一方、そうした努力を積み重ねていくと、その場で立ち止まることが難しくなる。だけど本当は、少し立ち止まりたいし、弱音も吐きたい。そんな様子が垣間見えるのが、エピソード3の若林の発言だ。

「”飽きた”って言葉をね(中略)3年間、誰にも言えなかったんすよ。俺、飽きたんすよ」

この発言は、おそらく狙って出たものではないと思うが、この発言を皮切りに、二人が互いに悩みを吐露し合い、共感するというコンテンツから、若林が星野との対話を通して、自分の次の目標を見つけていく、というコンテンツに変わっていく。自分が他の人には言い出せなかったことを、同年代の男性に伝えることで、お互いをケアし合う。こうしたやりとりは、今の日本ではほとんど見られないやりとりではないだろうか。地位が上がるほど、自分の弱みを見せてはいけない。もし、見せるとしてもそれは、仲間ではなく、全くの第三者であることが多い気がする。即効性のある解決策に繋がらないからと、そうした機会を取らない場合も多いだろう。ただ話して、ただ聞く。非効率とも言えるやりとりの重要性が、若林の悩みの吐露によって浮かび上がる。

セロトニン的時間があるから、ドーパミン的時間に戻れる

エピソード3では、もう一つ興味深い話が出てくる。それは、星野が述べたドーパミンとセロトニンの話だ。

「ドーパミンは期待物質。その量になれるともっと欲しくなる。未来への期待物質。(それだけではなく、)今の幸せの物質(セロトニン)もバランスよく充実させていく方がいい」

LIGHT HOUSEはいわばセロトニンの時間である。特に前に進むことをしない。というか、どこに向かったらいいかモヤモヤしているため、何かを原動力に進むことができない。エピソード4では、星野からの提案をきっかけに、ラップをつくってみたりするも、若林の悩みが晴れきっている様子はない。しかし、客前に出ることが好きであることや、エピソード5で語られるように、自分の持つ同じ世界に立っていながらどこかその場を客観視している宇宙人的な感覚を持つ自分に気づき、言語化されていく中で、いくつかやりたいことが芽生えてくる。

「3日ぐらいで「阿佐ヶ谷 高円寺」っていうラップ作った」
「若い女の子が泣くことは絶対にしたくない」
「傷つけないでお笑いをやりたい」

そして、最終的には毎年50歳まで武道館で漫才をやりたいという目標に辿り着く。(この目標自体はもしかしたら以前から持っていたものかもしれないが、それを口に出してしまうことへの戸惑いがあったのかもしれない、と私は思っている)

目標が見つかってからは、星野から武道館での話を聞いたりしながら、少しづつ目標の輪郭を明確にしていく。

「人間に夢って必要」

この若林のセリフが、彼のケアの時間が終わったことを明確に表している。そして、目標に向かって歩むというのは、期待に向かって走る、ドーパミン的な快楽だ。

今、求められる「聞ける友達」

しかし、目標ができたからといって、それで全てが解決するわけではない。

「もう120歳じゃが、一向にストレスが減らんぞい」

と星野が最後の一行日記(番組内での企画として、その月で考えたことを一行の日記として共有する時間がある)で語るように、今後も二人は鬱屈として思いを抱え続けるのだろう。それは、二人に限った話ではなく、何かに挑戦している人、いや、生きている人全てに当てはまることだろう。

そうしたモヤモヤを抱えた時に、二人の対話の時間のようなものを持てるかどうかが、今の時代を生きる上で大事になってくる。ドーパミン的な目標を追いながら、セロトニン的な時間も見つける。この二つを行き来しないと、ガタがきてしまう。セロトニン的な時間というのは、一人ではなかなかつくりづらい。聞いてくれる相手が必要になってくる。それは、自分のことを客観的にみてくれるコーチのような存在でも良いのかもしれないが、やっぱり友達のような存在が一番ではないかと思う。

友達の数で寿命は決まる」という本があるように、友達の存在というのは生きる上では非常に大きい。しかし、歳を取れば取るほど、特に男性は友達をつくるのが上手くなくなっていく。それは、自分の弱さを表に出しづらくなるからだろうし、相手からの相談に対して、つい「答え」を出そうとしてしまうからだろう。

そういった意味で、LIGHT HOUSEにおける星野の聞き方は絶妙だったと思う。一見すると若林が上手く星野の話をまとめながら、その「MC力」で対話が進んでいるように見えるが、星野は自分の意見を言いながらも、そこに重さを変に持たせない。相手の意見を強く否定も肯定もせず、同じ土壌に立ちながら、上手く自分はこう思うということを伝えている。傾聴力と対話力が非常に高い人なのだろうと感じた。

ラジオのようなコンテンツでありながら、実のところ、参加者をケアするコンテンツでもあったLIGHT HOUSE。どこまで狙っていたのかはわからないが、さすがは佐久間さんだなと思ったのであった。

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