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センスの民主化で、相対的欠乏をなくす

もう10年以上服が好きです。

クローゼットは常にパンパンなんだけど、微妙な違いに惹かれて似たような服を買ってしまいます。クローゼットの8割は黒い服。

今よりも時間があったころは、結構頻繁に表参道やら代官山やらを歩き回っては何時間もかけて気になる服を探していました。それだけ探し回っても、自分の服へのこだわりが強いため、何も買わないこともしょっちゅう。特定のブランドに惹かれるよりも、映画や漫画で見た服からインスピレーションを受けて服を選ぶことが多いので、結構大変です。

そのため、自分で服が作れるようになれたらとちょくちょく思うのですが、時間とセンスをいいわけにして全く手を出してきませんでした。

もし、自分で簡単に服を作れるようになったらと思っていた矢先、仕事の関係で耳に入ったのが「デジタルファブリケーション」の存在です。


デジタルファブリケーションとは、デジタルデータを元にモノをつくる技術です。3Dプリンターやレーザーカッターなどがメインの機材。使ったことはないにせよ、見たことある人は結構いると思います。安い3Dプリンターだと3万円ほどで手に入るようで、僕の友人にも持っている人がいます。

さて、このデジタルファブリケーション、市場としては伸び続けていて、2025年における3Dプリンターの世界の市場規模は最大60兆円。2021年には、台数が48万台に上ると予測されています

デジタルファブリケーションが台頭することで、これまで中央集権的に作る人が限られていたものが、データさえあればどんどん個人で作れるようになっていきます。データとはこれまで蓄積されてきたセンスに他ならないため、僕のように服を作る知識が全くなくても、パターンを起こして、縫い方をミシンに学習させれば、論理的には作ることができます。

技術的課題はまだまだあるため、一家に一台3Dプリンターが当たり前、とはまだいかないでしょう。しかし、いまやほとんどの人がスマホを持っているように、そのうち3Dプリンターが普通にある可能性もあるはずです。


服に限らず、あらゆるライフスタイル用品が自分の手で作れるようになったとき、人の欲望はどう変わるのか。

例えば、友人がLOUIS VUITTONの鞄を持っていたとして、自分がLOUIS VUITTONが好きでかつ、買えない場合、その友人をうらやましく思うでしょう。

ですが、3Dプリンターによって、本当に見分けのつかない成功な偽物が作られたり、逆にパターンの組み合わせでこの世に一つだけの鞄を作れるようになったら、どこまでうらやましいと思うのか。

可能性として、友人が持っているバックが偽物かもしれない。かつ、自分は自分だけのバッグ(しかも素材もしっかりしている)を持っているという状態になったとき、人は自分の持ち物と相手の持ち物を比較しにくくなると思います。

ロバート・H・フランクの「幸せとお金の経済学」によれば、羨望や優越感とは「相対的欠乏」によって引き起こされるものだそうです。

「相対的欠乏」とは、ある文脈において、自分と他者を比較したときに感じる不幸感のこと。先ほどのLOUIS VUITTONの例もそうですし、高級住宅街で隣の家が豪華だから自分は貧しく思えてしまう、など。

こうした財産は本書では「地位財」と呼ばれます。供給に限りがあり、特定の人しか手に入れられない財産です。

仮に、外見が全く同じものが作れたとしても資源が希少なら価値があるから、結局は「相対的欠乏」に悩むのでは、とも思いましたが、希少性という観点で計るなら、やはり一点ものの方が価値はあるはず。しかも、それを自分で作っているのだから、愛着も湧きます。

さらに、オリジナルのプロダクト同士が交換されるようになり、金銭を介さない経済圏が生まれたら、今よりもっと心が豊かな社会になるのでは、と思います。

自分の作ったモノにより、自分のアイデンティティが確立されることで、「相対的欠乏」を感じにくい社会が早く訪れれば良いなと思っています。




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