✏︎えんぴつとノート。

道具が持つ本来の目的を改めて考え直したとき、新しい世代の道具が常に最適とは限らないこと…

✏︎えんぴつとノート。

道具が持つ本来の目的を改めて考え直したとき、新しい世代の道具が常に最適とは限らないことを忘れず暮らしていきたい。 そんな象徴としてえんぴつとノートと言うちょっと古典的な道具を選んでタイトルにしてみました。

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えんぴつとノート。(自己紹介)

「えんぴつとキーボード。」初めて勤めた会社は IT 業界で SI 事業を中心に行なっていた企業でした。もう 30 年ほど前の事ですが、この世界では最も頼りになる入力装置がキーボードでした。今と違うのはそれがその時代のほぼ唯一の選択肢であったか、タッチパネルやマウスなどの数々の選択肢のうちの一つであるかくらい。そして途中に寄り道の転職は幾つかありましたが、今も再び IT で糧を得ております。このような背景がありますので自然な事とは思いますが、今でもキーボードは私にとって頼りにな

    • その後、いかがですか?

      最近、この言葉をよく投げかけるようになりました。 「タスクは旅をする。」サラリーマンですので組織で仕事をしております。人からタスクを得ることもあれば、人にタスクを与えることもあります。タスクはババ抜きのババなのか、あるいは通貨なのか。もらって嬉しいものかどうかはさておき社内に留まることなく広く流通しており、それぞれの場所で加工されたり新たに派生するタスクを生んでいたりします。そして、中には忘れられるタスクもあったりします。物質ですらないタスクではありますが、かなり有機的な動

      • 紙束を持つ安心。(札束では無い)

        RHODIA などのメモブロックであったり、普通の綴じノートであったり、最近は 2 穴パンチで揃えただけの雑多な紙束であったり。とにかく、ある程度の紙の束が近くにあるととても安心感があるのです。 「札束の安心感とは異なる。」 これまで触れた機会もそう多くはないのですが、同じ紙の束でも札束が与えてくれる安心感とは異なるのです。確かに、仮に札束が充分にある暮らしというものが実現していたら、それはそれで社会的な安心感が得られるとは思います。そこそこの安定は手にしていても、札束は

        • 数学とデザインは共に言語である。

          “universal language.”「univerdsal language = 世界共通の言語」と言うものについて考えてみました。エスペラントはそれを目指として生まれましたが、まだその地位には居りません。そして、この先そうなるようにも思えないのです。英語はビジネスの場面において、多くの国で通じるようになりました。しかし、ビジネスは世界の極々一部であってそれ自体が世界そのものではありません。中国語やヒンディーであれば確かに話者の人数は多いでしょう。それでもその人々が世界

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        えんぴつとノート。(自己紹介)

          エレガントではないが、目的は果たすハエ叩き。

          関連記事: ロングセラーは頼りになる。 「殺虫剤が使えない場合の選択肢。」兎や小鳥など幾つかの小動物と一緒に暮らしているせいか、幾つかの歓迎されざる昆虫類も一緒に暮らしてしまっております。まぁ、ハエのことなのですが。 小動物たちのことを考えると殺虫剤を噴霧するわけにもいかず、しばらくは放置をしていたのです。しかし、数が増え出し、在宅勤務も本格化したこともあってそう寛容でも居られなくなりました。それでハエ退治に取り組むことと致しました。 当初は Amazon から届けられ

          エレガントではないが、目的は果たすハエ叩き。

          付箋は惜しむと有効に使えない。

          「情報同士に関係性を見出す。」私にとって付箋は人に渡すメモと言うよりはノートの類として、特に KJ 法と言う古典的な思考法で頼りにしています。同様に情報を二次元的に展開していく手法として過去にマインドマップなどにも手を出したことはあるのですが、余白を計画的に使えない私にはなかなか活かせない手法でした。その点、付箋は自在に余白を作り替えられる点が心地よく思います。これらは IT 機器でも出来る事なのですが、一覧性の欠点が無視できないので私は紙の上で行います。実は、かつては付箋で

          付箋は惜しむと有効に使えない。

          計算尺 - 美しくも忘れられつつある道具。

          「始まりは道具史として。」高校が実業高校だったこともあり、授業の中で関数電卓を扱う時間がありました。小さい単位や大きな単位を扱う上での指数表示、交流電圧のための三角関数、或いは周波数のための自然対数が必須だったのです。おそらく、今でも関数電卓はこの用途において最適な道具であると思います。そんな授業の中で教師が、自身の学生時代に使っていた道具として触れられていたのが計算尺でした。 その道具での計算を実演して頂きました。教師の熟達した淀みない所作が非常に美しく思えたのと同時に、

          計算尺 - 美しくも忘れられつつある道具。

          老眼鏡。

          「前向きに言うと、大人っぽさ。」もちろん最初は抵抗ありましたし、事実を認めたくない自分がおりました。しかし、当時充分に大きかった iPhone 7 Plus を選んでもなお厳しい現実。仕方ないのです。それでやむを得ず導入しました、老眼鏡。しかし、いざ導入してみるとこれほど優れた道具をこれまで否定してきた事を残念に思いました。読書にしろ物書きにしろ、iPhone でも iPad でも。もう何であれ、手元で行う作業がこれほど快適になるとは思っても見ませんでした。もっと早く、一度も

          ロングセラーは頼りになる。

          「信頼できる道具を使いたい。」どんな道具が好みかは人それぞれであったとしても、使う道具は頼れるものであって欲しいと言う願望は割と広く共有できるのではないかと思っております。私もそうです。とりわけ筆記具にはその要求が強く、頼りない筆記具はペンケースに入れてもらう機会が訪れません。 その道具のどの要素を頼るのかは人それぞれとは思います。多くの面はその道具の機能や精度の面を頼ることになりますが、今回はそれら以外の要素についてふれたいと思います。 「容易に補充できると言う能力。」

          ロングセラーは頼りになる。

          文庫本と言うデザイン。

          先にお伝えしておくと、最近はもう電子書籍の Kindle ばかり。でも、その前にあった体験として文庫本の存在が私の好奇心の受け皿であったこと、今でも読書に時間を割く気にさせてくれたことについて触れたいのです。 「単行本がほとんど無い。」私の本棚には単行本は殆どなく、妻の本棚にはたくさんある。私の本棚はほぼ文庫本なので、出版社にとっては良客では無いのかもしれない。仮に文庫本の値段が単行本と同じだったらどちらを買うか、やはり私は文庫本を選ぶと思う。 つまり、文庫本と言うフォー

          文庫本と言うデザイン。

          タイプライターの美。

          「はじまりは道具としてよりも機械として。」英文タイプライターと言う道具自体は子供の頃に大人の一部が使ってはいたものの、その当時ですらすでに時代遅れ感のあるレトロな道具になり始めた頃でした。なので、私がそれなりの年齢になった時にはもう実用の道具ではなく、アンティークショップで装飾用で売られるものになっておりました。そんな道具ですが、持っております。 我が家には 10 年ほど前に迎えました。存在そのもののエレガントさだけではなく、フォントの美しさにも魅入られて道具として使って見

          タイプライターの美。

          道具に付いた傷。

          「最初の傷はショックでしかない。」道具を使えば傷がつくことは避けられない。かと言って大事に仕舞い込んでしまうのも、道具の目的からは外れてしまう。 ‘A ship in port is safe, but that's not what ships are built for.’ 「港にいる船は安全かもしれないが、それは船が作られた目的ではない。」 — Grace Hopper もちろん、せっかく手にした道具を仕舞い込むなんてことはないので使いながらも最初のうちは大

          白紙の手帳。

          関連記事: デザインの良さ ≒ 使いやすさ 「未来は空白で、過去は省みない。」手帳、ある時期までは市販の手帳をつけておりましたし、各種の手帳を必要以上に試して回る手帳難民の一人でした。しかし、同時にどの手帳を使ってもなかなかしっくりこないでおりました。最初に疑問を持ったのは新しく始まった 1 年間の手帳、たいてい 1 ヶ月以上先の予定は空白。使い始めはほぼ白紙の手帳を持ち歩いていることになります。 それでもほぼ 1 年使ってきた年度末付近には当然ながら白紙のページはほぼな

          消せるボールペンと色鉛筆のデザイン。

          「日本の文房具にとってデザインは重要。」文房具はデザインとの関係が密接な道具であると思います。それは目的が明確であること、説明書を読まずに使う事が前提であること、繰り返し使われるものであること、繰り返し選定・購入のプロセスが発生すること。様々な要素によって消費者にデザインが吟味される道具であると考えております。 とりわけ日本は文房具に限らず、一つのカテゴリに於ける競合製品が非常に多い特殊な市場を持っている国であると思います。消費者は多くの選択肢から自身に合う製品を購入するこ

          消せるボールペンと色鉛筆のデザイン。

          デザインの良さ ≒ 使いやすさ。

          「デザイン > 外見。」“デザイン” という単語は守備範囲が広くて、それ故に誤解も生じさせていると思います。そして、私自身はそれを決して外見的なものとは捉えていないのです。外見は確かにデザインの中である程度の重要性を占めているとは思うけれども、それが全てではないし、最も重要と言うわけでも無いと考えております。これは “デザイナー” と呼ばれる人々の役割と言うか責任範囲、あるいは彼らへの期待をより広く捉えていると言う意味でもあります。 もし、仮にデザインが外見的なものであった

          デザインの良さ ≒ 使いやすさ。

          自由は人を幸せにするのでしょうか。

          「不自由と自由、どちらが好きですか。」まぁ、多くの人が自由を選びますよね。私もそうです。ただ漠然と、どちらが好きかと問われたら間違いなく自由を選びます。好きか嫌いかであれば確かにそうなのです。しかし、仮に自由が与えられたとしたら、それで私は幸せになるだろうか。最近はこんな自問もするようになりました。今のところ、自由は私を幸せにしないのではないかな、と考えております。裏を返すと、不自由な中にも幸せがありそう、と言うことです。 「不自由な方を選んでいました。」色々経験して、色々

          自由は人を幸せにするのでしょうか。