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夢はかなう

夢はほんとうに叶うのだ。

忘れていた子供の頃の夢。
そうだったそれをやりたかった。
そんなことが、いつのまにか叶っていたりする。

思い描いた形でなかったとしても、
そうだ、思ったことはちゃんとかなっているのだ。
よいことも、そうでないことも。
ちゃんと。

どこかで自分をその夢を諦めなければ、
強く願って歩き続けていれば、みちはできた。

人は経験したことや見聞きしてきた事しか知らない。
当たり前だけれど、その土台の上に夢を描く。
だから、昔見たドラマのように陳腐なゴールを思い描いてしまうのだ。

けれど、宇宙は、神様は、世界はずっともっと優しい。
私の願いがどんなに大きく、素晴らしいものなのかを教えてくれる。

その願いは、本当に心からなの?ほかにあるでしょ?ずっと何代も持ち続けてきた心から叶えたいことを、もう遠慮しないで叶えていいんだよ。と。
もういい加減あなたのことを信じてあげなさいな、と。
けれど、弱虫な私は、認めてしまえばまたそれが始まってしまう。認めてしまえばもうあらがえないのだ。と知って不安に思うのだ。

願いを叶えるための旅が、また始まってしまうから、言い訳をしてためらっている。

だから、目の前のそれが、願ったものが叶ったものであると、気がつきたくはないのだ。
思ったものとは違うじゃないか、と駄々っ子みたいに拗ねてみる。


けれど、知っているのだ。
もう、止められないことを。


思考を巡らす小賢しいわたしではなく、純粋で自由で止められない勢いを持っているもう一人のわたしは、よく知っている。

からだの中の奥底で体育座りをして自分を見上げて問いかける。
さあ、どうするんだ? と。


本が好きで空想世界の物語を作っていた小学生の私は、こうして心の中を文字にしているし、お姫さまになりたかった3歳の私は、ドレスを着て女性たちと一緒にファッションショーをした。洋服が好きで、アイドルの衣装をデザインしていた小学生は、大人になってアパレルショップで働いた。

結婚なんかしても幸せになれない。独身主義を公言していた私が、結婚して離婚もせずに暮らしていることは想定外かもしれないが、そのおかげで人の手助けができている。
カフェではなくても、いつも人が集まり笑顔がある。


なんてこった、やっぱりあらがえないな。


コミュニティカフェのような人が集まる場所が欲しい、という願いは、時々開くお茶会などのイベントや仲人や私のライフワークになっている。
箱がない分、自由にやりたいことができている、いまが私には一番合っていると思う。

もしかして、ずいぶんとお祖母ちゃんになったら、待っている場所ができるかもしれない。それも楽しみだ。
カウンターだけの日の当たる小さな店で、ちょこんと椅子に座って、くる人を待つ自分。その映像はずっとここにあるから、本当にそうなるのかもしれない。


まるで映画のように息遣いさえ聞こえるような、カラフルな映像が額の真ん中に浮かぶと、それは、大抵その通りに叶えられるのだ。

ずっとそうだった。
きっとこれから、また始まるのだろう。

暫く休館していた、私のハートのスクリーンに
また、予告編が流れ始めている。
もう一人のわたしが、やっと楽しむ覚悟を決めたようだ。

グズグズしていたら、そうか、いらないのか。と、言われそうだ。
そうはいかないよ。
もうそこへ向かって、足を進めてしまったのだから。

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