遺書。さよなら、もうどうしようもないから、こういう気持ちや考え方をすれば物事を良い方向に持っていけるのは自分で考えてるから分かる。お前に言われなくても。自分の自然発生の気持ちや感性を別の形に矯正して人と関わって物事を進めるしか生きる方法がない。とっくの昔に割り切ってるから、もういいんだけど。でもねー、もう疲れた、心を矯正しても、本当に自分が感じていることは変わらないし、誰に言っても分かってもらえないし救ってもらえないし(人は人を救えないことは自明のことなので、それも納得しているけど)自分でも救えない自分の心が溜まりに溜まって限界。無理すればきっといい事あるけど、そもそもプラスを得るために自分がすり減っていくのって本当に幸せ?私は初めから何も無いのが一番だと思うつまり生まれてこないってこと。痛いのは苦手だし寝てて気づかないうちに死んでたらいいなー、体だけでなく心も魂も記憶も。初めから何も無かったのと同じようになりたい。「自殺なんてダメだよ、もったいない」とか多くの人は言う。本当に自殺する人、これからしようと思っている本気の人と、「自分を殺す」という言葉通りの意味で受け取っているその他の人では「自殺」の意味が違う。五月蝿い雑音、無神経な奴ら、人の気持ちを理解できないで自分勝手に嫌がらせをする人、些細なことが許せなくてとっくに大人なくせに中学生みたいな態度をとるガキ、人を見下す奴、いい人、暑苦しい人、いっぱいいっぱい世の中に溢れているそういうものから脱けだす。誰がなんと言おうとロクな世界じゃないから、だからこんなところからはサッサと去るのだ。負けたんじゃない。選択したんだ。選べなかった生を続けないという選択。苦しみ悲しみ罪悪焦り孤独、全ての許容量を超えた。もう我慢しないと決めた。お前らは、肉とか草を便に変換しながら、人間のクソがいっぱいあるこの世界で、勘違いした魂を持ち続けていればいい。私からみれば世界は便器でお前らはうんこ。臭すぎるからさよなら!

死のうと思って、母にLINEで送る文面を練習で書いた。もう明日にはいないんだなと思った帰り道は今までで一番、自分が自分に愛してもらっているんだと感じた。

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