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新型コロナウイルスと宝塚歌劇団-2021年月組『Dream Chaser』第6章 Hyme of life(生命の讃歌)考察

新型コロナウイルスへの視点を背景にファンとの関係性を明示した…ように私には感じられた、宝塚歌劇団月組・珠城りょう退団ショーの一場面。
 
退団トップの個人的意向か、劇団全体の意思か、その両方か、またはそのいずれでもないのか。背景は知り得ずとも、想像する自由が誰にでもあるなら書きましょう。書くことでこの疑問が、何らかの昇華につながらんことを。
 
こんにちは、塚です。「つか」と読んでください。今日は初めてnoteに自分の考えを書きます。考察と題しましたが、個人的な感想のようなものです。
 
宝塚歌劇を見始めてから数年経ちます。おおむね全組まんべんなく観劇、本公演が中心です。とくに贔屓はおらず、「誰が好き」より「何が好き」派なのかもしれません。
 
以下、私が公演(または映像)で見たものから感じ、考えたことをお話しします。とくに専門誌は読みませんので、事実誤認や誤解、また解釈の相違などもあるでしょう。たいした根拠もなく断定調で書くこともありますが、「そういう見方もあるんだ」くらいに軽い気持ちで読んでいただければうれしいです。

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歌詞や画像などの出典はできるだけ記載しますが、もし不都合がありましたらお知らせください。削除いたします。

いつもの退団ショーと少し違う

さて、今日お話しするのは次のとおり。
 
●2021年月組『Dream Chaser』第6章 Hyme of life(生命の讃歌)
●演出:中村暁 振付:平澤智 衣装:薄井香菜
 
珠城りょう退団公演のショー、しかも後半のメインを飾るパフォーマンスです。ちなみに宝塚のショー後半のメイン場面、何か特別な名称があるのでしょうか(「中詰め」みたいな用語)。ご存じの方、ご教示くださいましたら幸いです。
 
ともあれ結論からいえば本章は、新型コロナウイルスと宝塚歌劇団、また生徒とファンとの関係性を、これだけの本音(に近いであろう)情報満載でよくぞ見せてくれたなあ、です。
 
たいてい退団トップがいちばん伝えたいことは「ファンへの感謝」でしょう。しかし、この公演は、もうちょっと複雑だった。

あのころ、新型コロナウイルスが公演に与えた影響


 2020年からこちら、新型コロナウイルスの影響で中止されたり、初日が延期されたり、またA・B日程で出演者を振り分けたりする公演が数多くありました。客席販売も「1席置き」また「1度の抽選で1枚のみ」の時期が長く続きました。
 
そもそも新型コロナウイルス感染症の「はしり」だった2020年晩冬から春ごろにかけて、「宝塚歌劇団は公演を中止すべきだ」との声は、けっして小さくはなかった。雪組『Once Upon a Time in America』の東京千秋楽、また星組『眩耀の谷/Ray』公演をイレギュラーな形で、おそらくは劇団も手探りの状態で無料配信、また公演日変更などに踏み切ったのを覚えています。
 
このトンネルの出口が見えないことに悲しむのは、ファンだけではない。出演者も迷い、苦しんでいたのだと、翌2021年夏の本章パフォーマンスは語ります。「ありがとう」だけではない、演じる側の葛藤と心情の変化がここまで明らかに描かれた退団公演が、それまであったでしょうか。

衣装が伝えるもの

 冒頭、月城かなとが本章のメインテーマをソロで歌います。歌詞にある「この災い」とは、もちろん新型コロナウイルス。
 
彼女の、また珠城以外すべての衣装は白ベース。白のターバンもあいまって、医療従事者を思わせます。さらに黒の肩サッシュ(肩帯? 何と呼んでいいのかわからない。どなたかご教示くださいましたら幸いです)は、喪章のようにも見えます。医療従事者はもちろん、そうでなくても、死に直面した人は多かったでしょう。
 
途中から登場する美園さくらだけが、黒ではなくグレーの肩サッシュです。これは彼女がトップ娘役だから別の色をあてただけで、やはり喪の色だと私は解釈しました。
 
もちろん珠城の薄紫の衣装は、宝塚歌劇団の象徴です。

受け入れてもらえない宝塚歌劇団

月城ソロ歌唱の後に登場する珠城は、白い衣装の男役群舞に入れません。宝塚だけではなくエンターテインメントそのものが不要不急と再定義され、「それどころじゃない」と拒絶されたからです。男役たちの役割は「世間一般の空気」と考えてよいかもしれません。
 
短調の激しい音楽のなか、珠城はひとり戸惑いの表情で、男役群舞を見やるばかり。次第に男役たちは、珠城を非難し始めます。この振付は鮮やかでした。「自分たちは災厄を乗り切るのに必死なのに、あなたは何かの役に立ってるの」とばかりに珠城に存在意義を問い、その孤独を強くあぶり出します。
 
曲調が変化して男役たちが去った後、美園が娘役たちを引き連れて登場します。彼女たちは、宝塚ファンだと私は受け取りました。しかし、美園から珠城への視線は空虚です。コロナと闘う日々に疲れ果て、もう自分の喜びが何なのか、わからなくなったのでしょう。憧れのスターを目の前にしても、何の反応もできません。
 
音楽は、男役シーンとは違った静かなトーン。男役シーンがエンタメに対する「怒り」なら、娘役シーンは死と隣り合わせの日常に打ちひしがれた「悲しみ」でしょうか。ここでも珠城は群舞に入れません。

ファンの心情に触れる宝塚歌劇団


 娘役群舞から距離を置いて上手から見つめていた珠城が、曲調変化の直前にセンターに戻ります。このときの彼女の表情に注目してください。ここで珠城はついに、ファンの心情を知ったのです。彼女たちの日常の悲しみに、疲れに、無力感に。所在なげに男役群舞を見つめていた表情と、まったく違います。
 
表情を変えた珠城を、娘役たちが囲み始めます。より近くから寄せられる彼女らの視線から、さらに深く珠城は悟ります。ああそうだったんだ、自分だけではなく、あなたたちだって苦しいのに、そこに自分は思いを十分に寄せていたのだろうかと。今になってようやくファンの置かれた立場と心情を理解したと、珠城はパントマイム(手話?)で伝えます。
 
自分は演者としての居場所を失われてつらかった。でもあなたがたも、そう、私たちみんなが、同じくつらかったのだ。
 
分断されていたかのような両者は、実はこの時代にともに生きる仲間。静かに踊り出す珠城に、娘役たちが穏やかな視線を送りながら、「自分のポジション」に戻ります。

カメラの向こうにいるあなたも、仲間だ

 いつの間にか「世間の空気」たる男役たちも再登場し、珠城と同じ振りで踊ります。カメラに指をさす彼女たちは、「板の上にいる自分たちだけじゃない、これを観ているあなたも、このつらい時代をともに生きる仲間なんだ」と言っているようです。
 
そのうち男役だけ、娘役だけの群舞がほぐれ、ペアダンスが始まります。今までは義務を果たすだけで精一杯だった。でもこれから、「喜び」「愛情」は育んでいける。この場面、珠城が初めて歌います。

♪君に出会えて気づく
信じ続ける輝き
迷いのなか見つけ出した
ひとかけらの明日の夢

『Hyme of life(生命の讃歌)』作詞:中村暁

下手に虹が架かっているのが見えます。太陽の光の存在を感じます。

♪たとえ暗い闇 君を襲っても
運命なんかに負けやしない
けして離さない けして忘れない
強い絆を胸にいま

『Hyme of life(生命の讃歌)』作詞:中村暁

歌いながら珠城は、同時退団するメンバーや、そのほかの生徒たちと触れあいます。あのころ目にすることが「貴重」だった、リアルな触れあいです。

♪たとえ暗い闇 君を襲っても
運命なんかに負けやしない
けして離さない けして忘れない
強い絆を胸に刻んで
 
小さな心をつないだこの輝き
ここに ここに ここにあるから

『Hyme of life(生命の讃歌)』作詞:中村暁

「ここ」で全員が胸に手を当てます。たとえ今はファンとのリアルな触れあいができなくても、胸の裡にさえ絆が刻まれていれば、今後どんな運命が待っていても負けたりしないのだと。

エンタメ全体へのエール

珠城の退団公演の、しかもショーいちばんのメイン場面だから、彼女に希望をヒアリングした演出家がストーリーを練ったのかもしれません(もちろん珠城ではなく、演出家または劇団の意向である可能性も否定できません)。
 
あの状況は演者として、組のトップとして、彼女を大いに傷つけた。でも次第にファンや世間の苦しさを知り、
 
「優等生ではない」メッセージを、私は感じたのです。
 
具体的には、宝塚に今も残る「お手紙文化」のおかげかもしれませんし、または別の何かかもしれません。いずれにしろ「傷ついた自分」だけでなく、「傷ついているあなた」も見えるようになったのだと、心情の変化が伝わってきたのでした。
 
また、宝塚歌劇団のみならず、「こんな時代のエンタメ業界全体」へのエールも見えます。珠城個人か、演出家か、あるいは両者の意図かはともかく、エンタメ業界に携わる人、それを楽しみに見る人、みなそれぞれの立場で傷ついているけれど、「同じ仲間だ」という連帯を感じさせてくれました。

あの衣装デザインが本当に意味すること

先ほど白ベース×黒の肩サッシュ(たすき掛け)の衣装×白ターバンは医療従事者を思わせると書きました。でも医療従事者を象徴するなら、かならずしもこのデザインでなくてもよかったでしょう。もっと…、たとえば髪は白ターバンではなく看護帽に寄せてもよかったし、白衣っぽいコート風の群舞も裾の動きが美しいと思います。
 
でも、やっぱりこの衣装にした決め手は、黒の肩サッシュではないかと思うのです。これ、ちょっと軍服のように見えませんか。新型コロナウイルスと闘うときはいわば戦時で、「こんなときに歌だ踊りだ物語だ夢だとか何事か」との非難を浴びてしまう時代なのだと、まるで衣装でも表現しているようでもあります。
 
※ちなみに衛生兵の制服を画像検索してみたのですが、宝塚の衣装にアレンジする完成形が見えてきませんでした
 
なおプロローグとフィナーレの帽子は、看護帽や昔のCAっぽくもあり、そしてやはり軍服用帽子(ギャリソンキャップ、ギャリソン=駐屯地)にも見えました。もちろん私の考えすぎかもしれませんが。

闘いの、その先

珠城の歌う歌詞の意味は、「絆が胸にあれば今後の運命には負けない」でした。あの公演は2021年夏、もう3年が経とうとしています。
 
コロナウイルスとの戦が「終わった」とは言えないのでしょうけれど、戦況が変わりつつあるのは感じます。あの戦争のあいだも宝塚の味方だった人、いえいえ当時はその立場を取れなかった人。どなたも、状況が少しずつ好転している今、徐々にでも劇場に足を運び始め、「ないと困るよね」と再確認・新発見する人が増えていけばいいなと、劇団は当然ながら、ひとりの観客として私も願っています。


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