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ヤラセと情熱ー川口浩探検隊の「真実」プチ鹿島著を読んで

 「あなたにとってのヤラセとは何ですか?」と質問をされたら、私は何と答えるのだろうか?いろいろなテレビマンのいろいろな答えがあるだろうが私の答えはこうだ。

 「ないものを作ったらやらせです」

 ただし、それは報道やドキュメンタリーの世界の話であり、ことバラエティーになると、ファンタジーを作ることは「ないものを作ることである」がやらせだとは思ってない。とかく「伝説」や「噂」というジャンルに関してはそんなものは作らずにどうするという話である。
 問題あるとするならば、「医者じゃないのに、医者にする」「夫婦ではないの夫婦である」と謳うこと。最近で言えば、日本テレビの「秘密のケンミンSHOW極」で夫婦でないにも関わず、夫婦と紹介したことで問題が起きていた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c6caf1d3c8cc7eeaf6e402687fb333a3481b5e67

 時効で言えば、元気が出るテレビの「幸せの黄色いハンカチ」で別れた恋人がもう一度やり直すために手紙を書き、やり直す気があればベランダにハンカチを出す企画であるが、元々、恋人ではなかった人がやったら、それはやらせであろう。おぎはやぎの矢作君は素人時代にその役をやっていたと確か告白していたはずだ。
 一方、TBSで昔、TOKIOがメインのガチンコという番組で素人がプロボクサーを目指す「ガチンコファイトクラブ」という企画があり、散々やらせじゃないか!と当時から言われていた。私はそこのスタッフじゃないから本当のところは知らないけど、「ここで竹原が切れる!」みたいな指示の台本が存在したらしい。けど、どうだろうか?個人的にはあれはドキュメントではなく、ファンタジーであり、半分ドラマ、半分バラエティーという認識である。あれをヤラセと糾弾するのも野暮な話である。(確か当時、週刊誌のFLASHあたりが「台本が存在した!」との記事を出していたと思うが)上記の元テレとガチンコの差はなんなんだ!と矛盾してないか?と突っ込まれそうだが、よりガチンコのほうは「そんなわけねーだろ!」感があるのでバラエティーとして安心して楽しめる。でも、ちょっと真実かな?真実じゃないとしてもいい演技してるなと楽しめる。(と書くと、一般の方から怒られそうだが。アダルトビデオのナンパものをガチと思うぐらいおめでたいレベルと思うが)

 その点、「幸せの黄色いハンカチ」でうその恋人だと、興ざめな感じがする。そういえば、フジテレビのテラスハウスでも同様に台本問題があったと思うが、世間的にも「そこ、台本あんのかよ!」ってのはジャンルによっても違いはあるのかもしれない。(ちなみにフジテレビのみのもんたさんの「愛する二人別れる二人」では夫婦じゃない人の出演や不適切な演出で打ち切りになっている。ことも踏まえると、恋愛、夫婦ものは作ってしまうのは問題ありだろう。)

 他にテレビ史のヤラセ問題で思い出すのがフジテレビの「発掘!あるある大事典」のデータ捏造問題と、同じくフジテレビの「ほこ×たて」である。ほこたては、ラジコンカーVS猿の対決など。対決が白熱したように見せるなど、演出が入り、ガチではなかったなどある。詳細はウィキペディアを見て欲しい。

 番組の性質上、バラエティーと言えど「情報の捏造」はまずいだろう。かたや、ガチを売り物にする「ほこ×たて」とはいえ、これもファンタジーと思えば、多少の演出はあるだろう。クイズ番組だって多少のストーリーはあるだろう。個人的に気になるのはむしろ、猿の首に釣り糸をつけてたことはさすがの私もどうかと思う。単純に、そこは動物虐待に当たるからであり、演出以前に問題あるだろうという話だ。この辺は今回、読んだ「ヤラセと情熱 川口浩探検隊の真実」にもつながる話でもある。

 本書の構成は百田尚樹氏の「永遠の0」のごとく、著者が「水曜スペシャル」の元スタッフを訪ねながら、撮影秘話を浮き彫りにしながら現在のテレビへの警句が随所に散りばめられている。それは時にハチャメチャな武勇伝であり、モラルが問われる内容でもある。そして番組そのものよりも制作過程こそが一番の冒険であったことがこれでもかと分かってくる。撮影手法に関してはテリー伊藤さんの下で働いていた私でも、「そんなことやってるんだ!」「俺でも辞めるかもしれない」というエピソードが満載である。特に石器時代のまま暮らす、「タサザイ族」はフィリピンのマルコスが話題作りためにやったという逸話には、私もそこまでやるかと唸った。また、名言集としても香ばしいキーワードが連なっている。
 
「一番ヤバい時っていうのはカメラが回せない時なんですよ」
「今のテレビ界においては、要は交通整理ですね(略)」

 だが、本書の真骨頂はここではない。著者本人は「やらせのわらしべ長者」と表現するように「徳川埋蔵金」や「アフタヌーンショー」へとより洞窟の奥へと足を踏み入れていく。これは私自身も全く予期せぬ展開であり、まさかこんな展開になるのかと正直、驚いた。特にテレビ朝日がヤラセ事件、また、水曜スペシャルが打ち切りになった引き金でもある「アフタヌーンショー」の真実の話は、全く知らない衝撃の世界であった。(この話を読むだけでも本書を買う意味はあると思う)著者の趣味が新聞の読み比べであるのは承知していたが、改めて多角的視点のその見えない部分への掘り下げ方と現代への照らし合わせ方は「今、読むべき本」に昇華しており、すっかり私もヤラセについて考えてしまった。

 一方で気になるポイントもある。それはタイトルにもなっている「情熱」だ。本書でも「情熱」を感じさせるエピソードが満載なのだが、個人的にはやはり引っかかる。悪い意味で「情熱」というと響きがいいのだ。「視聴率のためではなく、その場をどう面白く撮るか?」という情熱。「絶対できません!と言えない中での必死の努力」という情熱。これはテリー伊藤さんの下で働いていた私も経験済みなところではあり、自分に酔えるテレビマンは「ヒーヒー」言って喜ぶ自分のマゾ体質を自覚するものだ。

 だが、ちょっと危険だなと感じるのはこれが戦場だったらとふとよぎる。カリスマ性のある逆らえない上官、自分たちの良かれと思う世界にまい進すること。やっているのはもちろん、戦争ではなく、バラエティーなので「情熱」があることは決して悪いことじゃない。けどその情熱は時に環境破壊をし、動物虐待をしている可能性も、びんびん感じる。

 で、そのいいものを作りたい「情熱」は形を変えると、何とかしなくてはいけない緊迫や焦りとなる。もっと言えば「仕事を失う」プレッシャーにもなる。視聴率というプレッシャー、放送日までぎりぎりの中での調整を余儀なくされる。そうそう、良い画なんて撮れないのが現実だ。下手をすると現場のディレクターは上のプロデューサーにうそをついてまでVTRを作るだろう。それこそ、プロデューサーですら見抜けないうそを。
 
 と書いてはみたが、今やそんな番組も少ない気がする。予算が削られ、大掛かりなバラエティー番組も思いつかない。本書では「今のテレビマン」との比較めいた文章もあるが、テレビメディアそのもののが曲がり角に来ていると痛切に感じる次第である。

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  そしておすすめ回は、CydonieさんのOMGスペシャルです。彼女の圧倒的キャラクターが炸裂しています。

執筆者:島津秀泰(放送作家)
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