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宿泊療養5日目・自動化する生活と時間の関係

 宿泊療養も5日目となった。
 昨日は途中昼寝をしたせいか、夜の寝付きが悪い。単に寝すぎかもしれないが、朝ご飯と健康観察への報告さえ、間に合えば問題は何もない生活だ。その辺はお気楽三昧だ。

弁当にパパんパン!

 朝から編集三昧。昨日、収録したものをすかさず編集じゃ。こういう生ものは少しでも早い方がいいだろう。午前中に尺出しを完了。昼飯。

  午後からは水曜日の配信回「秋の味覚SP」のテロップ入れ作業。途中、眠気が襲い2度ダウン。YouTube shrots用に一本編集する。昔のイタリア出身のMichelleが日本とイタリアのスーパーマーケットの違いを紹介しれくれたものののダイジェストを再編集。ちゃちゃっと終わらせする。

300近いテロップを入れ終わるのに19時過ぎになる。

 腹ごしらえして、今度は朝方尺を出した動画の文字起こし。一言一句喋ったものを拾っていく作業。昔ならAD君にでも任せた作業だが、YouTuber稼業ともなると自分でやらんとね。毎回、面倒くさいがやるしかない。2時間ちょっとで終了。思った以上に早い。

 今回の宿泊療養で唯一、持ち込んだ一冊。最近の私のテーマでもある。年末ともなると、風物詩で「今年も12月だよー。また歳取るよー」と嘆き、気づいたら棺桶だろうといつも思うのでこの流れゆく時間の早さを何とか食い止めるにはどうしたらいいのか?と思っていた矢先に出会った一冊である。
 しかし、この本が中々の厄介ぶりで中身が難しい。まとめられない。考えもまとまらない。うーむ。
 時計としての時間、私たちが日常生活で当たり前に使う1分1秒という時間の定義もあなたは答えられるだろうか?ちなみにこの時間の定義は、原子時計によって決められている。
 本文からの説明によると

1秒はセシウム133原子が、91億9236万1770回振動する時間とされている。

 まあ、こんな感じで説明されてもって感じだが。
 時計の時間と体内時計、心の中の時間とまあ、一口に時間といってもいろいろあるようだ。
 どうにもならないが、今日の進歩として気づいたのが「時間が経つのが早いのはいいことなのか?悪いことなのか?」という疑問である。
 通常、時間が経つのが早い!と感じるのは楽しい時ではないのか?これがもし辛い環境ならば、時の流れは遅く感じる傾向があるのではないか?だとすると、年末に「今年も早いな」と言ってる内は実はハッピーな証拠ではないのか?と思ったり。
 実は、この療養生活においても時間の早さへの感じ方は変化していることにさっき気づいた。明らかにここに来た初日に流れた時間は「ゆったり」していた。恐らく、初めての空間、初めてのスケジュール、初めての作業に対し、戸惑った。慣れるまでに時間が掛かった。ところが2日目以降、明らかにどこに行けば弁当が手に入り、どこに行けばごみを捨てられるのか?迷いもなくなった。動作としてのショートカットが進み、時間の感じ方も短く感じられるようになった。
 これはひょっとして人生の縮図そのものか?子どもの頃というのは見るもの、触れるものが新鮮だから、時間が長く感じるというやつだ。それはこんな療養生活においても当てはまるのか?と今更ながらに気付く。
 だとしたら時間を長く感じるコツはいつも新鮮なことをやれと。いつもと違う道を歩き、いつもと違う人に会い、いつもと違うものでも食べろということになる。

 結論としてはそうなるがあまりにもつまららない帰着だ。考え事をしたい時はルーティーンの道の方が良かったりもする。言うなれば「自動化する生活」を全否定する気もない。とはいえ、「自動化する生活」が時間を短くさせる元凶にも思える。

 一時期、スティーブジョブスの言葉に強く惹かれた時期があった。

「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

スティーブジョブスの名言

 だから、一日一日を大事にしないといけない!!と強く思ったりもしたのだが今の私はちょっと違ったりしている。というのも離婚した直後に結構、うつ病手前の状態になり、日々さいなまされた。自分には生きる価値がないとか、生きててどうしていいか、分からなくなることもしばしばだった。この時の私にはジョブスの言葉は重すぎた。「ただ、生きて何が悪いんだ。死にたくないけど、死にたい願望がちらつく俺に何が出来るんだ。今はただ、生きてやる。」って考えていた時もあった。思えば、この頃の流れる時間はとてつもなく長く、1日過ぎるのもやっとだった。あの頃に比べると今は時の流れは早い。きっと調子がいいのだろう。

 とりとめのない話が続いたが、今はもっとハイブリッドな考え方かもしれない。ジョブスの言うような「それは本当にやりたいことか?」という問いと適当にダラっとする時間も必要じゃないかと。本当にやりたいことを突き詰めると生き急ぐ感も出るんじゃないか?適当に寄り道とかもいいんじゃないかとか思っている。

 まとまりない話になった。誰がここまで読んでくれるのか?分からないけど。療養生活したおかげでたまには自分の立ち位置を確認出来たような気もする。さて、明日は退所である。まあ、がんばるべ。ではまた。

執筆者:島津秀泰(放送作家)
     Twitter:@shimazujaoriya
     Instagram:hideyasushimazu
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