日本人の和算(下平和夫、講談社学術文庫)

江戸時代、みんな数学が好きだった。

「和算」と通称された。

高校で日本史を学ぶ時に、関孝和の「和算」のことを習う。

「日本文化に咲いた数学」に想いを馳せたい。

数学は楽しい。

解けば解くほど要領が掴めてきて面白くなるし、解法にバリエーションが出てくる。

和算の時代も、皆、それが楽しくて競い合うように数学の問題を解いていたのではないか。
和算の大家、関孝和は今でいうインフルエンサーで、周囲を触発したのだと思う。

「塵劫記」の広がり方を見ても、和算や数学が日本文化にしっかり根付いていることがよく分かる。

現代に生きる我々も、数学と日本史の融合する
キーワード「和算」に惹かれる人は少なくない。

新聞記事にもある。

江戸時代は封建的で、身分階層も厳しい鎖国社会というネガティブな印象を持ちがちなのだが、関孝和の生きた時代、実はもっと大らかで、平和を享受していた時代なのではないかと思う。

和算の大家、関孝和が世に出るのは綱吉の後任、家宣の時代。

以下は私の勝手な想像。

逆説の日本史で有名な、井沢元彦氏の綱吉名君論の仮説「生類憐みの令が「戦闘による死」を終焉させた」タイミングと、和算が花開くタイミングが近いのは偶然ではないと思う。

生きるか死ぬかの日常から抜け出せたからこそ、数学を楽しむ余裕が出来た。

あと数学と社会のつながりも考察の価値のある題材である。数学を実務上使う工学的発想も見て取れる。
とは言え、女性が数学をやるものという意識はさすがにまだない。

フェルマーの最終定理(新潮文庫)でも、娘が数学や物理に没頭するのをやめさせようと、父親がローソクの火を消すシーンが出てくる。

ちょっと思考が発散してきたのでここまで。

和算そのものも心惹かれるが、和算を生んだ時代背景や、明治以降の西洋数学の導入の流れ等も知りたい。





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