レミ氏と私の双子的な関係について(パラドクス自己解説・その3)
・この記事は、ノベルゲーム「パラドクス研究部の解けない謎のナゾとき」の元ネタとなるパラドクス(=解けない謎)を解説するものです。
ゲーム部分(=解ける謎)の攻略については、別のページをご覧ください。
・この記事ではパラドクスの面白さを説明することを重視していますので、学問的な正確性には欠ける可能性があります。
・以下「だ・である調」で書かせていただきます。
・バックナンバーはそれぞれのページをご覧ください。
「ゼロ」と「無限」の概念が、このゲームの根幹を成す重要なものである。
「ゼロ」と「無限」という言葉は、日常的にも使われるものだが、ここでは数学的な意味を押さえたい。
文系の僕にも比較的分かりやすく数学が解説されものとしては、ハヤカワ文庫の「〈数理を愉しむ〉シリーズ」や新潮文庫の「Science&History Collection」などの本がある。
ゲームクリア後の参考文献の画面でも挙げたが、中でもハヤカワ文庫の『異端の数ゼロ──数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』(著者:チャールズ・サイフェ)は非常に興奮させられる一冊だ。
1.リーマン球
『異端の数ゼロ──数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』は、僕に数学の美しさを教えてくれた。
多くの数学的な美しさがこの本には登場するが、僕が最も美しいと感じたのが「リーマン球」である(数学者ベルンハルト・リーマンによって考案されたため、この名前で呼ばれる)。
我々は、デカルト座標系と呼ばれる、X、Y、Z軸の空間認識を行っている。
いくら科学が発展しているこの現代でも、一般の我々の日常的な感覚は、いまだにデカルトに縛られているのである。
数学はそこから複素平面へと進化していく。
虚数の概念を導入したわけであるが、一般の日常感覚はまだそこに追いついていない。このため、学生時代に数学を勉強していると、虚数でつまずくのだ。
そこからさらに進化して、この「リーマン球」と呼ばれる概念にたどりつく。
数学の計算においては、ゼロと無限が登場すると、式が破綻する。
ゼロにあらゆる数をかけても、ゼロになってしまう。
無限も、すべての数を飲み込んで、無限である。
この極めて厄介で不可解な「ゼロ」と「無限」の概念を見事に解明し、まさかのビジュアル化をしたのがリーマン球である。
球体のいわば北極に「無限」、南極に「ゼロ」が位置し、無限とゼロの関係が説明される。
複素数も無限もゼロも取り込み、掛け算、割り算、べき乗の操作などが図形的に表現されるのは感動的である(数学について語るのが主目的ではないので、話はこれぐらいに留める。興味があれば『異端の数ゼロ』などをお読みいただければと思う)。
2.連続体仮説
もう一つ、数学の概念を紹介する必要がある。
それが「連続体仮説」である。
このゲームでは多くのパラドクスを登場させた。
僕は量子力学を入口にしてSFの世界に触れたという経緯もあり、パラドクスの中でも、シュレディンガーの猫は別格の存在だ(ゆえに、物語の転換点となる第五パラドクスの話は、これをモチーフとした)。
パラドクスの中でどれが一番好きかと言われれば、シュレディンガーの猫を別格とすると、この「連続体仮説」を挙げる。
「連続体仮説」はこれまた非常に難しい概念だが、ハヤカワ文庫の『「無限」に魅入られた天才数学者たち』(著者:アミール・D・アクゼル)が比較的分かりやすく、これを教えてくれる。
タイトルから分かる通り、「連続体仮説」とは、無限にまつわる概念である。
素人の誤った解釈になりそうだが、超ざっくり言うと、これは数直線の「1」と「2」の間に、数はいくつあるのか? というような話である。
(厳密な話については、『「無限」に魅入られた天才数学者たち』などを読んでいただきたい)
「1」と「2」の間には、例えば「1.1」「1.2」・・・「1.8」「1.9」という数字がある。
しかし、それらで全部ではない。
「1.11」「1.12」などもある。
さらに「1.11111111」などもある。
つまり、「1」と「2」の間に、数は「無限」に存在する。
そして、これら「1.11」や「1.11111111」などは、この数だ、と言い切れる、特定の数である。
しかし、数の中には、そうした特定ができない数もある。
例えば「ルート2」は、「1.4142・・・」と延々と続き、最後の桁まで特定することはできない。
つまり、この数である、とすら言えない、特定すらできない数があるのだ(そしてそれも「無限」にある)。
となると、例えば数直線の「1」と「2」の間から、ある一つの数をひょいと取り出した場合、それが我々が知っている数になる可能性はどれだけあるか?
ひょいと取り上げたのが、「1.5」である可能性はどれぐらいか?
「1.50000000000000001」ではダメなのだ、「1.49999999999999999999」でもない、「1.5」である確率は?
答えは確率0%である。
では、我々は、「1」と「2」の間にある数のうち、何%を知っているか?
答えはゼロである。
自己解説・その1、その2から何度も繰り返されている話題がこれである。
3.巫女たち
以上で見た数学的な話をベースとして、理系的知識と文系的想像力の融合(妄想とも言う)によって生み出したのが、このパラドクスのゲームである。
文系方面の想像力としては、これまたゲーム中の「あとがきに代えて」でも触れたように、講談社文芸文庫の『百句燦燦 現代俳諧頌』(著者:塚本邦雄)が核となっている。
百の俳句を解説した本であるが、紹介文の「ありうべき最高の美学は虚無」というスタンス、そして本文中、特に野澤節子の俳句を解説した箇所に僕は心を奪われた。
当然、これは反語であり、仕えるものは虚無以外にありえない。
これは最も美しい一文である。
僕はこの一文に出会えた幸福をかみしめ、これを何度も反芻し、味わい、そして、虚無、すなわちゼロに仕える巫女の姿を幻視した(これが後にレミとなる)。
さらにリーマン球における、ゼロと無限の関係から、もう一人、無限に仕える巫女の姿も僕の脳裏に現れた(これが後にカサコとなる)。
ゆえにレミとカサコは双子的な関係にあり、ゲーム中、カサコは副部長ではなく、あくまでレミと同じ部長であるとされる。
ユウイチ(=主人公=我々)にとっては、リーマン球における北極(無限)も南極(ゼロ)も、永遠の無限遠点である。
それは常にまとわりつき、我々はそこに飲み込まれる。しかし、我々は決してそれを征服することはできない。
これがこのゲームの基本的な構図である。
4.河沙子、カサコ、カサ、傘
こうしてキャラ3人の枠組みが決まった。
(さらにここに光の三原色をあてはめているのだが、その話はまた別の機会に)
名前をどうするかについては、その1でも触れたように、虚無=ゼロを美しいとみなす価値観、ということから「零美」の名前をつけた。
対する無限については、大きな数字を示す漢字では「億、兆、京・・・」とあり、数が増えていって最後は「・・・恒河沙、阿僧祇、那由多、不可思議、無量大数」となる。
無限に近い最後の付近で名前に使えそうなものを考え、当初は「那由多」から「那由子」という名前を思いついた。
が、有名な星人様がいらっしゃるので、それは避けて、「恒河沙」を用いることとした。
「恒河沙」から「河沙」をもってきて、「子」をつけたのである。
ちなみに「恒河沙」とは、インドの聖なるガンジス川にある砂粒の数の意味である。
また、河沙子は、ユウイチからは「カサコ先輩」と呼ばれるが、レミからは短く「カサ」と呼ばれる。
そこから「傘」になり、LINEのアイコンが傘であったり、部室の中で傘をさしたりするのである。
笑いを示す「www」が草になったのと同じで、大きな数を表す砂粒から、本質的には何の関係もない「傘」に至るまで、言葉が変化すること、新たに意味が生まれる様子を表現したかったものである(ゆえに「意味」をテーマにした第六パラドクスでは、カサコがメインに出てくる形となっている)。
ということで、3人のキャラのうち、零美と河沙子の名前の由来を説明できた。
次回、その4では、有一の名前の由来について解説することになるわけだが、それは死に関する話になる。
ゲーム中、主人公のユウイチが長く語る、第零パラドクスの章が、死にまつわる話だったことからも分かる通り、死はこのゲームにおける重要なテーマであり、この話を避けては通れない。
(パラドクス自己解説・その3/了)
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