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お金の話:子供のお小遣いを三万円にすべき理由

#お金について考える

今日は思い出話を。

中学生の頃、ある日父親から「1ヶ月あたり、どれくらいのお金が自分が生きるためにかかっているか計算してみて」と言われた。その計算に基づいて1ヶ月ごとに生活費をまとめて渡すから、自分で管理しなさい、と言う。

学校の授業料以外のお金(通学定期代、制服のクリーニング代、部活のジャージ代、洋服代、教科書代、書籍代、CD代、お友達と遊ぶお金、帰り道に買うのが好きだったコーンポタージュ代 などなど生活にかかるお金ほぼ全て)を一年分全部リストアップした。合計すると、年間30万円くらいの計算になった。せっかくなのでちょっと盛った上で申告し、その要求はそのまま受け入れられて1ヶ月あたり生活費として3万円を受け取れることになった。

その代わり、親は余程のことがない限り、私のためにこの3万円以外は財布を開かないお約束。

**例外ゾーンはいくつかあった。たとえば医療費は、万が一私が節約しすぎて必要な時に医者にかからず、健康を害してしまうと本末転倒だからと言う理由で別枠に設定された。家で食べる食事代や電気代なども請求はされないが、修学旅行費用などは貯めておかないといけなくなるのでうっかり使いこむと大変なことになった。

ちなみに、どうでもいいディテールだが千円札で渡して欲しいと頼んだものだから、毎月1日に30枚の千円札をもらうことになった。中学生としてはかなりのお金持ち気分である。3万円というと当時はとくに大金のように感じたが、いま子育てをしていて、子供にかかる費用を考えるとまあそれくらいかかるよな、と思う。中学生だった私が「盛って」申告したとはいえ。

もう30年も前のことだけど、これはすごく教育的には面白い実験だった。

例えばこんなことが起きる。

友達と週末に町田へ(町田!そう、町田!)遊びに行く時の予算を貯金したいから、当時バスで通っていた通学定期代を節約して、片道60分の道のりを毎朝・毎夕歩くことにした。これで毎月数千円貯金できる。ところが、2ヶ月目くらいに、革靴が以前よりずっと痛むことに気がついた。これじゃ貯金した分と、革靴代を比べると、大して得してない!やたら歩いてるだけじゃないか!と気がついてまたバスに乗るようになった。

これは細やかだけどトレードオフを体で学んだ瞬間である。あちらを立てればこちらが立たぬ。あと、公共交通って合理的なのね、と言うのも理解できた。

そんなこんなで中学生から大学を出るまでの間、金額は調整しながらも月給制のような形で親にはお小遣いあるいは生活費をもらっていた。結果、大学を出る頃にはすっかりある種のサラリーマンマインド?というか毎月の予算をどうやりくりするかの意識が出来上がっていた。見方によっては純粋サラリーマン育成ゲームのようでもある。

今考えると、勇気ある親だ。

10年くらい経ってから父と答え合わせの会話をしたところ「お金を、無理強い交渉すれば出てくるもの(駄々をこねるなど)ととらえず、予算感覚を身につけさせたかった」という。

自分の子供に同じことができるか?と考えるとかなり不安というか無理な気がする。小学生の息子に3万円を渡したあかつきには、必要なはずの通学定期も買わずに1日目に全てゲームの課金に使い込んでしまいそうな気がしてならない。あるいはグミを300個買ってバスタブに入れてYouTubeで配信するとか。子供プールでメントスコーラ、スーパーボールを回転扉に1000個投入してみた、などの悪夢が鮮やかに目にうかぶ。

ということで、あのとき勇気をもって関わってくれた親には感謝しているし、子供の性格によってリスクが許容範囲内だと思えるご家庭ではぜひお試しいただくのはとてもオススメ。

大学を出る頃に、父から渡されたお金の本についてはまた明日。

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