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ときには嫌いな映画の話

私はリドリー・スコットの「ブレードランナー」を最後までみたことがなかった。たまにテレビで最後を見て満足していたのだった。息子がSFの基本になる映画だから、感動したからと、最近、テレビ放映をいっしょに最初から最後まで見てみた。そして、やっぱり思った、嫌いだわ。

そもそも、好き嫌いってなんだろう。それを私が考察した文章を思い出した。

最近、私が書いている好きなことのって、もっと知りたいっていうことなんだろうか。映画だと、なんか、調べちゃったり、何度も見たりするんですよね。映画の出来不出来で言えば、もっとこのテーマでいい映画があるよとか雑音が聴こえてくる。でも、愛着って、不完全な身近な人への執着に似ている。嫌いっていうのはどんなに素晴らしくても体質が合わないとかだな。

ブレードランナーは主役のハリソン・フォードが嫌だ。これは監督のリドリー・スコットも人柄を含めて言ってたようで、あまりにもアメリカンでヨーロッパ風の美意識に合わないのですね。最後のルトガー・ハウアーの姿をつい見てしまうから、彼が主役だったらって、いつも思います。レプリカントの演技もいいけど、彼の演技力だったらこなせるはず。

あと、あのシンセ、ピコピコの音楽が嫌い。まあ、走りの音楽だからしかたがない。映像もさんざパクられて陳腐じゃないですか。パクったとされる攻殻機動隊とかの方が好きです。

と、いうか元々、リドリー・スコットが嫌い。エイリアン見てないんです。ホラー見れるようになったの最近だっていうのもありますが。嫌いなんだよ。女好きなイギリス富裕層の潔癖症。昔、彼の家の女中さんをしていた、日本女性の本、たまたま読みましたが、納得です。お母さんがシャネルのお気に入りで、シャネルスーツの初期モデルを大切にしてるとあったな。大したもんだと思う。

しかし、映像を見るとそういった美意識の集大成に感動してしまう。尊敬してます。でも、エイリアンは見ないと思う。ブレードランナーはいい映画なので、私以外はしっかり見るようにと思います。

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