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キズナアイvsフェミニズム

社会学者の千田教授による炎上

キズナアイ騒動をご存知だろうか。京都大学の本庶教授によるノーベル医学生理学賞受賞を受け、NHKはキズナアイを利用した特別サイトを開設した。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize2018/maruwakari03.html

キズナアイは日本政府観光局が訪日観光大使に認定しており、世界初のバーチャルユーチューバー観光大使として、人気だけでなく社会的な地位も築いている。武蔵大学社会学部の千田有紀教授はこれに対し、ネットで話題を呼んでいるとして噛み付いた。

このNHKのサイトで「キズナアイ」に割り振られた役割は、基本的に相槌である。それは、従来「女性」に与えられてきた役割である。ある意味で、性別役割分業を再生産していると言えるのだ。

は? と思われる方も多いだろう。私も首を傾げた。NHKのサイトを見る限り、キズナアイの役割は相槌だけではない。難しい事象を理解しやすくするためのナビゲーションを行っている。そしてキズナアイの動画を一度でも見たことのある人なら周知の通り、彼女の魅力はその「ポンコツさ」にある。NHKはこのポンコツさを利用しているのだ。

キズナアイのフォロワーは世界で200万人に及ぶ。千田教授はジェンダーロール(性的な役割を強制される社会)の象徴として取り上げたが、キズナアイには女性ファンも多いのだ。そりゃ炎上するだろう。


種火をつけたのは別のフェミニスト

千田教授は「ネットで話題」と書いているが、彼女の投稿前は確かに「話題」程度だった。彼女は種火にガソリンをぶっかけただけで、話題の種火をつけた人は別に存在する。それは弁護士の太田啓子氏。

NHKノーベル賞解説サイトでこのイラストを使う感覚を疑う。女性の体はしばしばこの社会では性的に強調した描写されアイキャッチの具にされるがよりによってNHKのサイトでやめて。

これが種火となった。性的に強調されているからNHKでの使用に適さないとの主張だ。上述の通りキズナアイは国の観光大使になっており、NHKとしては何の問題もなく使用したはずだ。太田弁護士は色々なところから「差別」を発見して種火をつけることで有名であったため、そのメチャクチャ具合を監視する人達も多い。最近はこんなツイートもしている。

なぜそんな単語を検索したのかと。ゾーニングされ一般社会の目に触れない場所で展開している性的嗜好を探し、表に引っ張り出し、こんなものが存在することは問題なのだケシカランと声高に主張する、オナニーのトレジャーハンター、ズリネタの当り屋みたいなことをやっている。

ちなみに、キズナアイの服装を性的だとする太田氏の服装がこれ。

キズナアイの衣装をもって性的な存在とするならば、太田啓子氏の服装は私を魅了するのだから、すなわち性的だということになる。しかし彼女はこの服装をやめようとしないだろう。他人に対しては性的すぎると糾弾しながら、自身はそれをフル活用するのは、フェミニストとしてダブルスタンダードを指摘されても仕方ない。


オタク達の反撃と千田教授の自爆逃走

太田弁護士は風向きを察したのか、あるいは他の獲物を見つけたのか、パッタリと主張を止めた。そのタイミングでハイオクガソリンを抱えて登場したのが、件の千田教授である。オタクからの批判に対して「私を誰だと思ってるの!」とツイートするも、「いやお前誰やねんw」と嘲笑を受け更にヒートアップ。教授を支持する勢力は「キズナアイという絵は性的な搾取であり女性全体が被害者」とまで言い出し、混迷を深めていった。

これに対してBL(ボーイズラブ)小説家の水戸泉氏は「余計なお世話だ」と反論。驚いたことに千田教授は水戸泉氏の大ファンだったらしく、「好きな作家さんからこんなことを言われるなんてショックです」と、いきなり被害者ポジションを取り始めた。これにより傍観していたオタク達は一斉に千田教授を叩き始める。「お前は男の性的な部分を消費しておきながら、キズナアイを性的な存在だから使うなと言うのか」と。

まさかの大反撃に千田教授はアカウントに鍵をかけた。その理由は「育児が忙しいから」。彼女は常日頃からジェンダーロール(性別によって課せられる役割)について日本はおかしいと主張していたため、「批判していた『女性の育児』に逃げるの!?」「ツイッターをやる時間はあったってことは、これまで育児を放棄していたの?」と、男女を問わず絨毯爆撃を受ける状態となってしまった。


口だけ義賊は炎上の種

千田教授にしろ太田弁護士にしろ、自身の気に入らない物(今回はキズナアイという「絵」)を排除しようと、自身の好き嫌いを隠した上で「社会的に問題あり」と断じてしまった。いつも通りのオタク叩きであったはずなのに、より広範な規制の匂いを察知したオタク側は黙っていなかった。

私達はSNS社会で自身の意見を発表する機会に(突如として)恵まれるようになった。感情を乗せるのはもちろん構わないし、時にはバズる(いいね!を集める)条件となるのだが、そこに社会性を付与しようとすれば危険を伴う。特にフォロワーの多い人ほど、自身の意見を絶対視しがちだ。それは本当に普遍的な社会性を持っているのか。単に個人の好き嫌いではないのか。

もしも公憤、義憤の類から出発しているのであれば、「私はこれを嫌っているのか?」という感情の有無をまず問わねばならない。もしもそこに「嫌い」という感情を含んでいるのなら、口だけ義賊、ケシカラン勢に落ちている可能性は極めて高い。消防士が立ち食い蕎麦を食べているのはケシカランとか、公務員がジュースを飲んでいるのはケシカランとかいう、アレである。議論は牽強付会となり、自分の田んぼにだけ水を流すような手前勝手な論理構成で炎上するだろう。

これはケシカラン!と憤った感情をSNSで流す際は気をつけよう。貴方の感情は普遍的ではないのだから。文章の最後に(※これは個人の感想です)という見えない注釈を入れる意識を持ちたいところだ。

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