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【98回】教師を続けるということ(190323)

Twitterを見ていると、「教師をやめました」「退職しました」というツイートを見かける。毎日の勤務時間の異常さ。管理職からの圧力。部活顧問問題。生徒指導に保護者対応。同僚との兼ね合い。  

子どもとともにいたいけれど、続けるのは難しい。
辞めて、新しい仕事に行く。
勇気がいったことだろう。
具体的に、どのような仕事に就かれたのかはわからない。自分が選んだ道だ。楽しみを見出しながら進んでいくのだろう。
僕は結局、教師を辞めることはできなかった。

精神疾患で仕事を休むことに決めたとき。もう二度とこの学校には戻れないと脱力した。教師を辞めて、いったい何ができるのだろう。

放課後デイサービス?
障害者福祉に関わる仕事?
塾?
学童保育?
幼稚園教諭?
保育士?  

大学院に行きたいと言いながら、結局踏み込むこともできず。
何ができるか考えて、何もしてこなかった。  

休んでいる間にわかったことは、「何ができるか」ではなくて「何をやりたいか」が大切ということだ。  

何をやりたいか。
「子どもたちが毎日生活を楽しむ居場所を作る手伝いをしたい。」
「子どもたち一人ひとりの力に合わせて、学び方を一緒に考えたい」
「子どもが中心となって活動をする授業をしたい」
「社会科の授業をしたい」
「道徳の授業をしたい」

小学校または中学校の特別支援学級、通級指導教室で勤務してみたい。  

もっと言えば、障害の有無に関係なく、どんな子どもでも、気になるところを学び直す場所。「学びの保健室」のようなところを作ることはできないか。  

結局、自分がやりたいことは「学校」にある。
だから、教師を続けるのだ。

精神疾患で休む前、職員室で泣いたこと。1ヶ月で3回も泣いたこと。辛い、辛いと。
でも、同じ泣いたなら…教員採用試験に合格したとき。ボロボロ泣いたなあ。
小学校の教育実習に行ったとき。「僕みたいな先生になりたい」と手紙をくれた子。感激よりも、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
教師1年目。卒業式で生徒と退場したとき、涙があふれて、ドバーっと出てきた。
ある年。担任として初めて卒業生を出したとき。卒業式中に涙が出そうでたまらなかった。
ある年。「いろいろあったけれど、やっぱ先生に来年も受け持ってもらいたいな」と厳しかった保護者に言われて、やはり、力不足で謝りたくなった。
ある年。担任をしていた生徒が亡くなった。僕のことをとても信頼してくれていた生徒だった。
ある年。行事のチーフとして仕事をまわし、へとへとになったけれど、行事終了後、同僚とがっちり握手したこと。そんなこともあったなあ。
ある年。育児休暇に入ることを生徒に話して、生徒の顔を見ていると、一気に涙があふれてきてしまった。
毎日の授業ひとつひとつが必死で、悔しさと申し訳なさと。でも手応えもあって。何よりも、子どもたちの表情を見ていたくて、子どもたちとともに生活をしたかった。

結局、僕は物事の大小に関わらず感動して、心がふるえて、泣いてしまう。泣き虫なんだ。
そうだよ。娘が小学校の運動会で、入場行進しているだけで、泣いていたのだから。  

「子どもに成長させてもらっている」「子どもから与えられている」「僕は何を与えているか」と考えているから、ひとつひとつに反応してしまう。
これだけ、感動して、感謝して生きる仕事とは。僕にとっては今のところ、教師という仕事になる。

だから、教師を続ける。

同じ職場。同じ職員室に戻る。
同僚の顔色を伺わなくていい。嫌われていい。
自分の人生を自分のものにするため。
自分がやりたいことを目指していく。